2009年08月22日

小林秀雄 「年齢」

孔子の言葉について面白いことを言っている。「六十にして耳に順(した)がう。」について。孔子は、熱心な音楽研究家だった、それまでは思索思想の研究も重ねてきたが、結局人の思想というのは、その人の物の言い方、調子、ニュアンスに現れるものだ。それをようやく、60にして感じ取ることができるようにになったというのが小林流の解釈である。
そこには、小林流の抽象的な空虚な思想への嫌悪がある。また、日本の古典や古寺や古美術についても、若い時は違和感をいだいていたが、ある程度の年齢を重ねると自然に分かるようになったと。若い時は幽霊の様な思想で頭を一杯にしていたために、対象を直に感じられなかったが、年を経てそれが自然に感知できるようになったためだと。例えば、徒然草のような古典の面白さは、理屈では説明できない。
こういう小林の考え方を、理論思想を突き詰めない姿勢として批判することは容易だ。しかし、これは誰でもある程度年を行った人間が実感することだろう。私もそう。全く意識的な努力などしていないのに、年をとって急に実感として理解できるようになったものがたくさんある。文学でも思想でも音楽でも桜でも何でも。
人間は、ただ生きているだけでも、自分の気づかない深い生を生きている。単なる浅い知恵や思想の発展だけを生きているわけではない。感覚や感情を知らず知らずのうちに深めているものだ。また、そういうものを深める事ができなければ、わざわざ各人が一人一人孤独に生きている意味などない。これは若い人にはなかなか受け入れがたいことなのかもしれないが。
ただ、だからといって年をとって思想放棄思考停止になってしまってもいいというわけではない。それがもし、死んだ偽者の作り物の思想ならば、ためらわずに拒否すればよいだけのことである。余計な思想を捨て去ることで、本物の知恵をはぐくんだり深化させることが可能なはずだ。各人の個人的感覚に裏づけされない思考思想はむなしい。小林が言っているのは、そういう簡単きわまりないことである。
そもそも、私自身も孔子の言葉に対して、昔はなんだか怪しげだとしか思わなかった。そのように年齢によって、都合よく人間が変わるものなのかと。でも、実際に人は年齢によって確かに内的な必然性を持って変わっていくものだと思う。勿論、それにはある程度の努力も必要だが。しかし、それは何かを思想家として文字の上で勉強する努力に限らない。どんな人でも、ただ生きていると必ず与えられる課題を普通にこなしていくだけで、十分立派な努力になるはずだ。孔子の言葉は、一分エリートだけのものではない。きちんと生きている全ての人間に対する言葉のプレゼントなのである。我々が、なかなかそのことに気がつきにくい生き方をしがちなだけである。
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2009年08月17日

小林秀雄全集第六巻(旧全集版) ドストエフスキイの作品

小林によるドストエフスキー作品各論。素直に恐ろしく読みが深いと思う。ドストエフスキー解釈で誘惑に駆られる思想的観念的心理的解釈を徹底して排除し、ドストエフスキーの巨大な肉体自体をじかに感じようとする批評。少なくとも私には理解が難しい部分もあったが、それは分かりやすい安易な解釈を拒否しているためである。特に「「罪と罰」についてU」が圧巻。まず、ラスコーリニコフがソーニャの前で悔悟したという解釈を拒否する。また、ラスコーリニコフの思想にニーチェの超人思想をかぎつけると言ったイージーゴーイングな解釈も勿論ノー。
私自身の感じたことを書こうと思ったのだが、正直言ってここでは小林に圧倒されてしまっていて、特に何か付け加えることも出来ないし、要約めいたこともする気がしない。気になった部分をまとめて引用しすましておく。ちなみに、「「罪と罰について」U」の最後の部分に、意表をついて現れる結語はいかにも小林流の独断なのだけれども、必ずしも分かりやすいとはいえない小林の思考を辛抱して辿った後に突然これが出てくると抵抗しがたい説得力を感じてしまう。ドストエフスキーも、イエス・キリストについて突き詰めてギリギリまで考えたが、小林も伝染して同じ事を考え、ついこんな言葉をもらしたようにも思える。その部分も、最後に引用しておく。

彼(ドストエフスキー)を知る難しさは、とどのつまり、己を知る易しさを全く放棄してしまうことに帰するのではあるまいか。彼が限度を踏み超える時、僕も限度を踏み超えてみねばならぬ。なぜか。彼の作品が、さう要求しているからだ。彼の謎めいた作品は、あれこれの解き手を期待しているがゆえに謎めいているとは見えず、それは、彼の全努力によって支えられた解いてはならぬ大きな謎の力として現われ、僕にさういう風に要求するからである。

ラスコオリニコフの思想を明らかにし、彼の行為を合理的に解釈しようとする、評家たちの試みは成功しない。作者にしてみれば、もし諸君が成功するなら、私の方が失敗していたわけだ、とさえ言いたいだろう。作者は、主人公の行為の明らかな思想的背景といふようなものを信じてはいない。

ラスコオリニコフとは何者か。聡明な頭と優しい心を持ちながら、貧困と激しい疑惑により、何も彼も滅茶滅茶にしてしまった憐れな肩書きの大学生であって、それ以外の何者でもない。

作者が示したかったのは、明らかに、殺人とは、ラスコオリニコフの意志でもなく、願望とさえ呼べない一つの強迫観念であったということだ。強迫観念は、彼を追い、しばしば彼を追い抜くのである。

彼女(ソーニャ)は見抜いてしまう。この人がなにを言おうと、なにをしようと、神様はご存知だ、この人は限りなく不幸な人だ、と。これが、彼女の人間認識の全部である。ソオニャの目は、根底的にはまた作者の目であったに違いないと僕は信じる。

これは犯罪小説でも心理小説でもない。いかに生くべきかを問うたある「猛り狂った良心」の記録なのである。僕らを十二重に取り巻いている観念の諸形態を、原理的に否定しようとするある危険な何ものかが僕らの奥深い内部に必ずあるのであり、そのことがまさに僕らが生きている真の意味であり、状態である。さういふ作者の洞察力に耐えるために、この憐れな主人公は、異様な忍耐を必要としているのである。

ラスコオリニコフは監獄に入れられたから孤独でもなく、人を殺したから不安なのでもない。この影は、一切の人間的なものの孤立と不安を語る異様な(これこそ真に異様である)背光を背負っている。見える人には見えるであろう。そして、これを見てしまった人には、もはや「罪と罰」といふ標題から離れることは出来ないであろう。作者はこの標題については、一言も語りはしなかった。しかし、聞こえるものには聞こえるであろう。「全て信仰によらぬことは罪なり」(ロマ書)と。
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2009年08月01日

小林秀雄 「モオツァルト」

小林がこれを書いた頃とは現代ではモーツアルトの音楽に対する考え方も当然全然変わってしまっている。特に現代においては古楽器派の演奏や使用楽器や考え方の影響を無視するのは無理で、かつてのモーツアルト演奏が、どんな種類のものであれ「ロマン派主義」のレッテルを貼られかねない。私は別にクラシックマニアではないが、それても古楽器派の演奏に始めて接した頃は、それは新鮮に感じて夢中になった。でも、飽きるのも早かった。演奏以外でもアーノンクールなどが挑発的に議論をふっかけていることは、面白し学ぶべきことも多いのだが、結局演奏が好きになれない。古いとされるタイプのモーツアルト演奏、一時代前の巨匠演奏家がの「ロマン主義的」モーツアルトに結局強くひきつけられてしまう。最近、ヴァルター・ギーゼキングのモーツアルトピアノソロ作品集をたまたま入手したのだが、やっと理想的なモーツアルトに出会ったと感じた。彼の演奏は「新即物主義」とされて音符を忠実に再現するといわれるものだが、多分現代の目からすると、本来のモーツアルトの時代の演奏スタイルとはかなり違うということになるのだろう。しかし、そんなことはどうでも良いくらい、一切挟雑物のないモーツアルの音楽、昔の巨匠にしかない品格とかこせこせしたところのない柄の大きさが素晴らしい。いつまで聴いていても飽きないモーツアルトである。
さて、小林のモーツアルト論というのも、かなり「文学的」だし、音楽そのものに即すると言うよりも、モーツアルトの音楽精神に対する哲学思想的「説明」とも受け取れてしまう。時代的に制約されたロマン主義的モーツアルト像といえるかもしれない。しかし、そんなことが一体なんだというのだ。小林が「かなし」と言ったり一切感傷性のない音楽といったり、吐息のように短いテーマとその自然な発展とか色々な言い方で表現しようとしていることは、今でも正しい。それは、昔の教養人の歴史的に相対的なモーツアルト観といったものでも無いし、文学趣味によるモーツアルト語りでもなく、モーツアルトの音楽自体を直截的直覚的に捉えていると思う。音楽のかんしゃくや演奏様式は時代よって当然変遷する。しかし、古いタイプの演奏だから意味がないというのくらい、つまらないくだらない考え方はないと思う。
もっとも、音楽について、こういうことはいくら言葉尽くして説明しても虚しいところである。結局私がいいたいのは「小林がモーツアルトの音楽について言っている事は、とてもよく分かる。」ということだけなので。
小林は、この時期の「無常といふこと」でもそうなのだけれとも、「死」についての言及が多い。当然、戦争で色々なものを見たり体験した色濃い反映なのだろう。モーツアルトの手紙からも、このような引用をしている。
二年来、死は人間達の最上の真実な友だという考えにすっかり慣れております。−−僕はまだ若いが、恐らく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床に入った事はありませぬ。しかも、僕を知っているものは、誰も、僕が付き合いの上で、陰気とか悲しげとかいえるものはない筈です。僕は、この幸福を神に感謝しております。

同じ音楽エッセイの「バッハ」でバッハ未亡人の著作について扱った最後にもこんな部分がある。
夫の音楽の精髄については、かう言って夫を笑はしただけだ。「人間がみんな聾でも、貴方はやっぱりかういふ音楽を書くに相違ない。」この冗談には、恐らく彼女の万感がこもっていたので、バッハの死後、彼女は同じことを非常に明瞭に書いたのである。長いから引用はしないが、それは次のようなことだ。これは早くから感じて驚いていたことだが、彼はそのことについて一言も語らなかったし、私たちは幸福で多忙だったし、熟考してみる暇がなかったことなのであるが、それは、バッハは常に死を憧憬し、死こそ全生活の真の完成であると確信していたという事だ、今こそ私はそれをはっきりと信ずる、と。
小林の魂が、こうした部分に深く共鳴していることは、言うまでもない。そういう、小林の感じ方は、変で不自然なものなのだろうか?そんなことはない。「無常といふこと」の最後でこう述べているように、おかしいのは現代人の方なのである。今もそうだ。
現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常といふことが分かっていない。常なるものを見失ったからである。

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2009年07月31日

小林秀雄 「無常といふ事」

旧全集第八巻に収録されている「無常といふこと」を読んだ。
坂口安吾が「教祖の文学」で、この頃の小林に噛みついている。あれは、言うまでもなく安吾の小林へのラブレターであって、全然批判という類のものではない。安吾の言っていることは相変わらず面白いが、小林に対してと言うより、安吾自身の小説観や生き方を語っていて、今冷静に読むと必ずしも小林自体には届いていないと感じる。
「生きてゐる人間なんて仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひだすのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解つた例(ため)しがあつたのか。鑑賞にも観察にも堪へない。其処に行くと死んでしまつた人間といふものは大したものだ。何故あゝはつきりとしつかりとしてくるんだらう。まさに人間の形をしてゐるよ。してみると、生きてゐる人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな」(無常といふこと)

これに安吾は噛みついて、生きている人間の方が大切だ。小林は生きた人間を見ることをやめてしっまた骨董鑑定屋になり下がった邪教の教祖に過ぎないと。私自身、安吾の「人間的過ぎる」小説が大好きだし、安吾のいいたいこともよく分かるのだけれども、小林の側から見ると決して悟り済ましているというようなことではないと思う。
小林は戦争を真正面から逃げずに受け止めた。多分イメージとは違って、小林は花のように恐ろしく繊細な心の持ち主で、戦争体験によって。生と死の姿というものを理屈ではなく深く感じずにはいられなかったのではないかと思う。引用した表現もふざけたなめた言い方のようだが、まさしく「無常」を心の底から感じた人間の言葉だと思う。
安吾の言う通りに、人間の場合生きていることが何より大切だ。しかし、それは死の認識と、と言うよりは実感によってこそ、本当の意味を持つものでもある。小林の「無常といふこと」の一連の作品には、そうした人間の生と死の無常の姿への深い実感が底流に流れていて、だから、あれだけ人を動かすのである。
実は、安吾も、死の方のこともよく分かっていた人物で、そもそも仏教哲学か何かを学ぶことから始めたのだし。安吾の作品も、徹底的な生の肯定とであると同時に常に巨大な虚無が不気味にポッカリ穴をあけているというようなものだった。そういうところが安吾の魅力である。だから、基本的には小林とは、むしろ共通する部分が大きい。安吾が、生の方に重きを置き、小林が死を見つめる方に重きを置いている。そういう違いだけである。結局、小説家と批評家の違いだ。
個人的な感傷的な思い出話になってしまうが、私は大学入試の浪人時代に、小林西行や実朝を読んで、とても感動したことがある。人並みに浪人生活で苦しい思いをしていて、今思えば軽い鬱病のような状態だったと思うのだが、小林のこれらの作品は、心にしみいったし本当に救われるような思いがした、心が弱り切っている時は、ある種感受性が研ぎ澄まされていて、本物をいつも以上に正確に感知するものである。私自身、小林の言っていることをよく理解していたわけではないが、西行や実朝の内容というよりは、そこからはつきりと伝わってくるイメージにうたれたのである。いま思えば、小林が戦争体験した後の無常観や孤独、そうしたものを見つめる伝統的な精神を直覚していたのだと勝手に思っている。

但し、今回改めて読み直すと、必ずしも小林の書き方は客観的ではないと感じた。

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ

この実朝の万葉調の歌を、小林は「大変悲しい歌}と読んでいる。実際、ここまでの小林の文章を読んでくると、そのように思えていまう。小林の文章の説得力、感染力は恐ろしいのだけれども、やはりこの歌の姿自体からそのように読み取るのは無理だと思う。西行の歌にしても、「自意識」の問題を勝手に見て取りすぎているという印象を受ける。
つまり、客観的な西行像、実朝像ではなく、あくまで小林流の解釈なのである。しかし、それが悪いということではない。むしろ客観的な解釈にこだわるあまり、退屈極まりない解釈よりよほどよい。例えば、ベートーヴェンの音楽が指揮者の解釈によって全く異なるものに聴こえながら、それでも音楽自体がベートーヴェンのものであり続けているように、小林流の西行や実朝も、あくまで個人的な解釈でありながらオリジナルを全然殺したり、損ねていないばかりか、最大限に魅力を伝えることに成功しているのだ。

美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない

この有名な言葉は、結局小林の批評において、この後も大きな意味を持ち続けた。例えば本居宣長の思想の受け取り方というのも、乱暴に端的に言えばこういうこととである。しかし、やはりこれは小林の長所であるとともに弱点でもある。
観念的な美や思想や言葉や文学の脆弱性に対するほとんど本能的な嫌悪が小林にはあって、それは我々の生きる現代の問題でもあるのだけれども、そのために小林の場合、意識的な対象化とか客観かをおろそかにしてしまうところがある。無論、小林の場合、その辺は決して単純に考えてないわけだが、例えば「本居宣長」を読んだ時に、小林的な態度のギリギリの欠点が露呈しているようにも感じた。同時に、ギリギリまで、観念性の否定を突き詰めていくところが「本居宣長」の面白いところでもあるのだが。

しかし、そんなことより何よりも、この「無常といふこと」は、とても美しい音楽だと思う。安吾の言うように、かなり独特な色彩の音楽であって、全ての人向きというわけにはいかないのかもしれないが。少なくとも私にとっては、大の愛聴盤である。
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2009年07月30日

小林秀雄全集(旧全集版) 第七巻 歴史と文学

小林の戦争時、あるいは戦争に関する文章が多く収められている。小林は、知識人的な反戦主義者ではなく、戦争という日本の運命を多くの国民と同じく黙って受け入れる立場だった。いや、立場というよりは個人の資質としてそうせざるをえないタイプだったと言うべきか。小林は、上っ面の反戦主義を気取る知識人的態度に苛立ち、ほとんど放言ととられても仕方ないような発言もしている。それを、現在の目で批判するのは容易だ。また、場合によっては批判する必要もあるのかもしれないが、あまりそういうことに私は興味が無い。
それよりも、戦争体験によって、小林の繊細で鋭敏な感受性が心底震撼させられるような影響を受けたのかが良く伝わってくる事のほうが大切だ。戦争を一歩外に立って批判していた知識人たちよりも、真正面から戦争と言う出来事の意味を受け入れ、自分自身や日本という国の伝統の深いところで再確認する契機になったことが、よく分かる。この後、小林は「無常といふこと」にまとめられた素晴らしいエッセイ類を書くのだが、あの文章のなんともいえず人を深いところでひきつけずにはいれない迫力とは、小林の戦争体験、そしてそれをまったく逃げることなく真正面から受けとめた心が書かせたものなのだと痛感する。西行や徒然草についての素晴らしいエッセイは、小林自身のことを語っているのだ。だから、自分以外の対象のことを語っていながら、あれだけ生きたことを書けるのだろう。そういう対象への向かい方は、小林のどの時期についてもいえることだが、特にこの後あたりの時期では、日本という伝統の形を、どんな時期よりも、小林がありありと実際のもののように生々しくイメージして書いている。、小林が体ごと戦争体験を受け入れたことが、「無常といふこと」という美しい結実をもたらしたとも言えるだろう。
勿論、それと小林のような戦争の受けれ入れ方が正しいかどうかは、全く別問題である。例えば、ナチに対する協力が戦後問題になったフルトヴェングラー。彼のナチへの具体的協力の内容、程度はともかくとして、フルトヴェングラーは、心底ドイツ的な指揮者で、彼が国に残って演奏し続けたのは、善悪を超えてよく理解できるところである。トスカニーニは、明快にナチを否定し、フルトヴェングラーも激しく批判した。政治的行為としては、どう考えてもトスカニーニのとった態度のほうが明快だし「正しい」わけなのだが、それでも人間の本質的なタイプとして、フルトヴェングラーは破滅に一直線に向かう祖国に残ってその宿命を身をもって国民と共にするしかないという人間だったのではないかとも思う。
勿論、ナチと日本の問題は全然違うのだが、小林についても、似たようなものを感じる。小林は、マルキシズムも深く研究したり、政治的問題で啖呵をきったりはしているが、本質的には、徹底的に非政治的なタイプだったのではないかと思う。小林の一種の理論性が錯覚させるのだが、色々政治について発言してはいるものの、実際には政治的な面では全く役に立たないタイプだったのではないだろうか。むしろ、どうしようもなく繊細で外部の出来事からナイーブ過ぎる影響を受けずにはいられない根っからの非政治的文人タイプだったという気がする。これは善悪の問題ではなく、小林は人間として本質的にそういうタイプだったのであり、彼らしく戦争を受け止めるという小林の宿命に従ったということなのではないだろうか。
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2009年03月29日

小林秀雄全集 第五巻 「ドストエフスキイの生活」

そもそも、私はドストエフスキーを全部読んでいるわけではない。五大長編でも、「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」を、若い時に読んだだけだ。しかし、小林の評論を読んでいると、全部読みたくなってしまう。今第六巻の「ドストエフスキーの作品」に手をつけたところだが、「罪と罰」からの引用がとてつもなく面白い。多分。若い時読んだ時は全然気がつかなかったものがあるように感じる。私は小林の「ゴッホの手紙」を読んで、実際にあの膨大なゴッホの書簡を全部読むという馬鹿なことをした前科もあるのだ。あれが、個人的には最高の読書体験だった。ゴッホに完全に取り憑かれていた。常にあの分厚いゴッホの書簡集を持ち歩いて、電車の中だろうがどこだろうが所構わず読んだ。人気のない海辺の砂浜で酒を飲みながら寝っころがって読んだりもした。無論、若い時の話である。つい懐かしくなって、くだらない思い出話をしてしまった。
「ドストエフスキーの生活」は、ドストエフスキーの生涯を忠実に辿った伝記である。小林の見方を強く主張するというよりは、きちんと事実を伝えることを重視しているという印象を受ける。それが物足りないという人もいるだろうし、小林流の「無視の精神」で書かれた伝記という事も出来るのだろう。
当時の日本では、ドストエフスキーは作り物、病的な精神による観念小説という見方をされていたという。小林は、そういう見方に反発してドストエフスキーを書きたくなったのかもしれない。小林のドストエフスキー観と言うのは、最初に引かれているこのニーチェの言葉に要約されるといっても構わないだろう。
病者の光学(見地)から、一段と健全な概念や価値を見て、また再び逆に、豊富な生命の充溢と自信とからデカダンス本能のひそやかな働きを見下すということ。ーーこれは私のもっとも長い練習、私に特有の経験であって、もし私が、何事かにおいて大家になったとすれば、それはその点においてであった。(ニーチェ「この人をみよ」)
長年付き合った友人に最低の卑劣相漢のように言われ、妻には高貴な魂のように言われる両面性を持ち、流刑時代に極限的な状況を身をもって体験し、賭博に溺れ、驚くべき生活の乱脈と混乱を「猫の生命力」で全て受け入れて生きた人物。彼の小説は、一見観念的に見えるようでも、観念が極限の姿をとった時にみせる生々しい生命力や現実性を常に湛えている。
ドストエフスキーの独自性は,ロシアという特殊な現実を正面から受け入れ、その混乱をありのままに表現しようとしたところにある。西欧作家の文化的洗練や、あるいは日本の全く別の種類の実感に裏打ちされた文化的洗練とは異なり、ロシア的な荒々しい精神性そのもの表現なのである。
ロシアの混乱を首を出して眺める窓が彼にはなかった。彼が当時のインテリゲンチャに発見した病理は、すなわち己の精神の病理であることを厭でも眺めなければならないような時と場所に彼は生きなければならなかった人である。「現代ロシアの混乱」の鳥瞰は、そのまま彼自身の精神の鳥瞰に他ならなかった。インテリゲンチャの不安はそのまま彼自身の懐疑であった。彼はこれを観察する地点も、これを整頓する支柱も、求めなかった。ただ自らこの嵐の中に飛び込むことによって自他共に救われようとしたところに、彼の思想の全骨格があるのであって、ここにことさら弁証法によって武装した手で、哲学者ドストエフスキイ、神学者ドストエフスキイを発見しようとしなければ、彼の姿は明瞭なのだ。嵐のうちに巻き込まれて生きた彼には、民衆も聖教もキリストも、台風に必死な台風の目のごときものに他ならなかったのである。

晩年に、フーシキン祭で演説して、聴衆を興奮と熱狂の渦に巻き込んだという逸話も興味深い。普段は冷静なツルゲーネフも、泣いてドストエフスキーの手を握り締めたという。ドストエフスキーは癲癇持ちだったが、そういう磁波を他人にも与えるところがある人物だったのだろう。ある種のクラシック指揮者が、そこにいるだけで聞き手を催眠術にかけたように酔わせるように。そういう演奏はライブで聴くととてつもなく興奮するが、録音を聞くとそれが分からない。ドストエフスキーの講演も内容を読むとどうということはないそうである。
他にも、フランス外交団にいたヴォギュエのドストエフスキー描写もとても印象的だ。
人間の面上に、これほど積もり積もった苦悩の表情が表れているのを僕は見たことがない。心身の不安はことごとく面上に刻まれて、彼の作品を読むよりももっとよく死人の家の思い出、恐怖と疑心と犠牲との長年の常習が読み取れるのであった。眼、唇は無論のこと、顔中の筋が神経的な痙攣で震えていた。

ドストエフスキーについて語った小論もいくつか収められている。「ドストエフスキーのこと」のこの部分は素晴らしいと思う。
その謎めいた姿は、何らかの欠如や退廃から来ているのではなく、何かの過剰を語っているように思われる。例えば彼の思想に、反知性主義を仮定してみることは容易だが、彼がそのために僕らに見せてくれる驚くほど高度の知性はどういうことになるか。僕らは作者の全努力の先端といったようなものに面接する。それは何か大きな非決定性であり、解いてはならぬ謎のように思われる。

「ドストエフスキイ七十五年際における講演」も興味深い。ドストエフスキーを生んだロシアという精神的風土についてかなり踏み込んだ考察を行っている。罪と罰の主人公のラスコーリニコフラスの由来となったと思われる「ラスコオル」とは、ロシア正教会から分離したセクト、異端のことである。様々なセクトがあるが、民衆素朴な宗教意識と結びついて、場合によっては集団焼死を選ぶような過激な宗教運動だった。根本的な考え方としては、ロシア皇帝の国はサタンの国であり、反キリストということである。そういう過激な精神的潮流を元にラスコーリニコフという名前をつけたのは、深すぎる意味があるように思える。
この講演から素晴らしい部分を引用する。
ドストエフスキイは、自由の問題は、人間の精神だけに属する問題であり、これに近づく道は内的な道しかないことを、はっきりと考えていた。自由は、人間の最大の憲章であるが、また、最大の重荷でもあり、これに関する意識の苦痛とは、精神という剣の両刃の様なものだ、と考えていた。もし、そういう考えが過ぎ去った人の過ぎ去った観念論に過ぎないなら、ソヴェトで、ドストエフスキイスキイが解禁になっても、昔は、そんな寝言を言っていた作家もあった、でけりがつくでしょう。だが、そんなことはない。この問題は、外部から政治的に解決できるような性質のものではない。
そして、小林は戦後日本で新しいとされている考えへの深い違和感を表明している。この問題は決して古くならない問題である。結局個人個人が自分で血を流して会得するしかない課題だから。
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2009年03月22日

小林秀雄全集第四巻「作家の顔」

本巻中の小林と白鳥の論争については、別に書いた。
他にも面白いものはたくさんあるのだが、「戦争について」がとても気になる。小林は戦争の時代を生きた、現在我々はすっかり平和ボケして自分の国が戦争したり動乱している状態を想像することすら出来なくなっている。もし、我々がそういう状態に置かれたら、どのように振舞うべきなのか。
小林が編集していた「文学界」の後記もこの本に収録されているのだが、その中にこういう部分がある。ある雑誌から戦争についての座談会への出席を求められて。
「戦争に対する文士の態度という特別な態度でもあるのかい。」
「ないでしょうね。」
「だから僕は断るよ。一言で済んでしまうもの。戦いは勝たねばならぬ。同感だろう。」
「同感だ。」
小林流の放言なのだけれども、決して馬鹿にして済まされない問題である。
「戦争について」からも、いくつか引用する。
銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国のために死ぬであろう。僕にはそれ以上の覚悟が考えられないし、また必要だとも思わない。一体文学者として銃をとるなどということがそもそも意味をなさない。誰だって戦う時は兵の身分で戦うのである。
文学は平和のためにあるのであって戦争のためにあるのではない。
日本に生まれたということは、僕らの運命だ。(中略)自分一身上の問題では無力なような社会道徳が意味がないように、自国民の団結を省みないような国際正義は無意味である。
いわゆる敗戦思想を僕は信じない。極言すれば、そんなものは思想とさえいえないのだ。科学から意匠だけ失敬してきた感傷的な政策論に過ぎない。俺は審判者である、貴様の国家は歴史的に遅れているから、人類の理想のためにもう一つの国家に負けろ、などということでは子供の喧嘩の仲裁すら難しかろう。
歴史の最大の教訓は、将来に対する予見を盲信せず、、現在だけに精力的な愛着を持った人だけがまさしく歴史を作ってきたということを学ぶところにあるのだ。過去の時代の歴史的限界性を認めるのはよい。但しその歴史的限界性にも関わらず、その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目である。この尊敬の念のないところには歴史の残骸があるばかりだ。
文学者たる限り文学者は徹底した平和主義者であるほかはない。従って戦争という形で政治の理論が誇示された時に矛盾を感じるのは当たり前なことだ。僕はこの矛盾を頭の中で片付けようとは思わない。誰が人生を矛盾なしに生きようなどというおめでたい希望を持つものか。同胞のために死ななければならぬ時が着たら潔く死ぬだろう。僕はただの人間だ。聖者でもなければ預言者でもない。
小林の言っていることは正論なのである。特に、現代の平和ボケの状況において、自分の立場を棚に上げて安易に何らかの政治的事件を批判することに対して、私自身もほとんど生理的嫌悪を感じる。どんなに正しいことを言っているとしても、自分の立場を省みない正義感やヒロイズムや自惚れというのは不愉快なものである。特に本人が全く気付いていない時は醜い。
しかし、だからといって小林の言うところまで一直線に突っ走っていいのだろうかと、決して大声ではなく、こっそりつぶやきたくなるのも事実である。
小林も明快に指摘している通り、本当の文学者というのは本質的に徹底的な平和主義者であるしかない。しかし、戦争という状況においては、自分の実践的、実際的立場を取らざるをえない。小林は、とにかく戦争が起こったら、それに加わるしかないというのである。
戦争で自国民が、そして現場の兵隊たちが極限的な苦しみを受けている時に、大局的な空疎な平和論、敗戦論をぶつのは確かに醜い。それは小林の言うとおりだ。小林の言うことはとことん男らしい。
しかし、文学者が、小林の言うようなものならば、やはり戦争時にも文学者は徹底した平和主義者であり続けるべきなのではないだろうか。それは自分を棚に上げたおめでたい平和主義ではなく、苦渋と苦難に満ちた抵抗だろう。自分が自分の国家から一歩上に立った無関係な存在では決してなく、あくまでその運命を共有する一員であることを鋭く感じながら、激しい苦しみを感じながら、無責任な平和主義の立場を、声高にではなくひっそりと続けること。ヒロイズムや建前論とかは一切なく、ウジウジと戦争に逆らうこと。文学者や知識時間ののとりうる態度、というかギリギリの実際の生き方というのはそういうものでしかないのではないだろうか。
勿論、こういうことも言うだけなら容易だ。実際に戦争という状況におかれた時の振る舞いについて、現在の平和ボケの我々が何らか言うのが、そもそも無限にためらわずにはいられないことなのである。例えば、現実に兵隊になったら、兵となって戦うしかない。それ以外の選択はないのは無論なのだが。
小林は、自分は聖者で話すし預言者ではないという。その通りだ。誰だってそうだ。しかし。文学者や知識人というのは、自らが聖人とは遠く離れた卑小な存在であることを深く自覚しながら、盲目的な民族の集団的運命に、卑怯といわれようが姑息といわれようが、イジイジと逆らうべきものなのではないだろうか。
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2009年03月06日

小林秀雄と正宗白鳥の論争―思想と実生活をめぐって

小林秀雄と正宗白鳥の思想と実生活とをめぐっての論争は、やはり面白い。関連するのは以下の三篇である。残念ながら、私は正宗白鳥側の文章を読んでいない。
「作家の顔」
「思想と実生活」
「文学者の思想と実生活」
発端になったのは、次の正宗の文章である。
廿五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わったとき、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるために旅に上がったという表面的事実を、日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は細君を怖がって逃げたのであった。人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤往独遇の旅に出て、ついに野垂れ死にした径路を日記で熟読すると、悲愴でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡にかけてみるごとくである。ああ、我らが敬愛するトルストイ翁!
これに小林は反発して、そういう実生活の煩悶などより大切なのはトルストイの思想の極限的な姿であり、そこに実生活の真相を暴露的に見て取るのは悪趣味に過ぎないと。
二人は、その後も何度も文章でやりあったが、結局すれ違っていて、小林は自らの考えを詳しく説明しなおしているだけである。ドストエフスキーの人間とも関連させたその主張も大変興味深いのだが、具体的には実際に本文に当たっていただきたい。
むしろ、私が興味を引かれるのは、正宗私的な日本的なものの見方についてである。小林も、具体的に次のように説明している。
僕がこの問題で発言の機を捕えたのは、トルストイの家出の原因は、思想的煩悶にはなく、実際は細君のヒステリーにあり、そこに人生の真相を見る伝々の正宗氏の文章を読んで、長年リアリズム文学によって鍛えられた正宗氏の抜きがたいものの考え方とか考え方が現れていると思い、それに反抗したい気持ちを覚えたからである。僕はその気持ちを率直に書いたのであった。
これはとてもよく分かる。トルストイのように本物の天才に凡人性を嗅ぎつけて引き摺りおろし、それが人生だとうそぶく態度。現代とは縁もゆかりもない私小説作家の正宗のみならず、日本人一般に現在まで通低して生き続けている感受性なのではないだろうか。
「思想」というものには常に偽者くささが付きまとう。それに安直に騙されてしまわずに、具体的な裏づけを求めようとするのは、ある意味良いことではある。偽者の思想に夢のように酔いしれているよりはマシだ。しかし、日本的感受性の場合、それだけにとどまらず、本物の思想を生きようとした天才も、全て実生活の事情に引き摺り下ろさないと気がすまないところがある。要するに、自分たちの凡人性から逸脱するものが不愉快で我慢がならず、なんとしても自分たち凡人の側にまで足を引っ張らずにはいられないのだ。
その根底には、自分たちの生きる生活、習慣、習俗への、ほとんど盲目的ともいえる従属姿勢がある。単に貧しい現実に無意識に迎合しているだけなのに、そこから外れようとする人間を子供っぽいとして嘲笑し、自らを世の中のことを知り尽くした大人だと考えて得々としているのだ。
そういう人間たちが致命的に見落としているのは、自分たちが安住する現実が相対性な「正しさ」を持つだけに過ぎず、すこしも本当は「現実的」な現実などではないということである。無邪気な現実肯定と、自分が理解できないものらに対する意地の悪い蔑視に、自分たちでは全く気付いていない。
正宗白鳥は、かなり正直にそういう感性を告白しているのだと思う。しかし、現代日本においてもミニ正宗が実は嫌というほど蔓延しているのだ。それは、単純な「実生活信仰者」には限らない。それこそ、「思想」の分野でも、冷静な分析を装いながら、他とは違う特異な思想を押しつぶそうとする残酷な力が常に働く。本人は「思想」を冷静に判断しているつもりだろうが、実は思想とは関係ないレベルでの通俗的実感信仰の力が働いているのである。芸術の世界でもスポーツの世界でも、どの世界でもそうだ。何か特別な才能を持つものが、自由にその才能を伸ばすのをことごとく妨害しようとする分厚いどす黒いオーラの雲に日本の精神風土は包み込まれているのである。
小林は「思想と実生活」という観点から論じていたが、別の観点からすれば「個と集団」の問題でもあると思う。日本人の個は常に集団と入り混じった中途半端な個なのである。それだけ柔軟な構造をしている個だが、本物の個はきわめて生まれがたい。長所もあれば短所もあるという問題だが、少なくとも現代においては、圧倒的に短所の面が大きい状態になってしまっているように感じる。
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2009年02月26日

小林秀雄全集 第三巻 私小説論

(私が使っているのは、現在の全集ではなく、すこし前のものです。)

小林が当時していた文芸時評の文章が中心である。さすがに時代の違いを感じて、少々退屈である。そういえば、初めて全集を読もうと思い立ってチャレンジした時も、この第三巻でつまらなくなって投げ出し、結局あとは興味のある批評文だけ読んだのを思い出した。今回はとにかく通読だけはしたのだが。

「私小説論」では、日本の私小説の西欧とは全く異なる事情について述べている。「私小説論」に引用されている久米正雄の言葉。
芸術が真の意味で、別の人生の「創造」だとは、どうしても信じられない。そんな一時代前の、文学青年の誇張的至上感は、どうしても持てない。そして、ただ私にとっては、芸術はたかがその人々の踏んできた、一人生の「再現」としか考えられない。
たとえばバルザックのような男がいて、どんなに浩瀚な「人間喜劇」を書き、高利貸や貴婦人やその他の人物を、生けるがごとく創造しようと、私にはなんだか、結局、作り物としか思われない。そして彼が自分の製作生活の苦しさをもらした、片言ほどにも信用が置けない。(中略)そういう意味から、私はこのごろある講演会で、こういう暴言すら吐いた。トルストイの「戦争と平和」も、ドストエフスキーの「罪と罰」も、フローベールの「ボヴァリー夫人」も、高級は高級だが、結局は偉大なる通俗小説に過ぎないと。結局、作り物であり、読み物であると。
これが当時の私小説作家の率直で正直な感想である。小林は言う。日本の私小説作家たちの「私」は、十分に社会化されてない「私」であり、そういう「私」に充足して私のことを書けばそれで事足りた。そして、私小説でない小説は、結局作り物にしか思えなかったのだと。一方、西欧の小説では、全く事情が異なる。作家たちは、十分に歴史の蓄積をそれぞれが抱えて社会的な「私」を体験している人たちで、彼らの小説はあくまでそういう背景の下に成り立つものである。日本では、そういう歴史的背景や意味が一切捨象され、その小説テクニックのみをそれぞれが勝手に受け入れてしまった。だから、本当の意味での影響など起こりうるはずもなかったと。
一方、マルキシズムの洗礼と社会の混乱により、今の作家は、技法的には稚拙だとしても、社会的な私というものを意識せずにはいられなくなった。それだけは確かだと。だから、昔のような「私小説」は、もはや書けない。しかしフローべールの「ボヴァリー夫人は私だ。」という公式がいき続ける限り、私小説は別の形で現れるだろうと。
というのが、おおよそ小林のいっていることである。とても分かりやすい。ところで、現代日本では事情はどうなのだろう。
とはいっても、私自身が、もうほとんど同時代の「小説」を読んでいないのだ。だから何も言えない。ますます人は小説を読まなくなったということぐらいしか言えないのだが、少なくとも本格小説のようなものが今時はやらないことだけは確かだ。
小林の言うように日本人の「私」は果たしてある程度社会化したのか。多分、そのこと自体が疑問なのである。当時はマルキシズムという嵐が吹きあれていたので、そういう錯覚に陥ったのかもしれないが、結局日本人は本当に思想を思想として受け入れることは結局回避したままだったのではないだろうか。私小説作家たちの前を、西欧の本格小説が通り過ぎていったのと同じように、マルクス思想も当時の知識人の前を通り過ぎていったのだと思う。
それは、決して昔の話ではなく、現在の我々自身の話でもある。どうしても社会化や理論化を拒む根強い「私」が日本では生き続けている。生き続けざるをえない。その「私」は、決してきっちりとした形を持たないがゆえに、フニャフニャとした柔軟で変幻自在な形を融通無碍に取り続け、いまだに生きている。現在の小説が、かつての私小説とは外見上全く異なるとしても、本質的には私をそのまま信仰する態度は無意識に生き続けているはずである。むしろ、現代では、誰も思想など信じていないので、そういう傾向は幼児的な形で蔓延している。
という、ありがちな日本人論をつい語ってしまったが、小林の私小説論を読んでいると、現在も本質的には事態が全く変わっていないと、多分誰しも感じざるをえないのではないかと思う。

サント・ブウヴについて語っている部分が面白い。ブウヴを語りながら小林自身の批評態度を語っているからだ。
「僕はもう長い間考えていることだが、僕らは批評する時に、他人を判断するよりはるかに多く自分を判断しているものだ。」この言葉は決して難しい言葉ではない。凡庸な批評家も同じことを言うのである。大事なのはどのような深さでサント・ブウヴは、こういう言葉を理解していたか、こういう言葉を吐くときに、彼はどのような苦さを味わっていたか、彼のいう「自分」とはどのような「自分」であったかということだ。
批評は常に冷静な観察であるとともに情熱ある創造である。そういう立場に批評家が立っていることは難しい。それは立場というようなものではなく、むしろ凡そ立場というものに関する疑惑を不断に燃やしていることに他ならないからだ。疑惑の中にこそ自由がある。それが批評精神の精髄である。サント・ブウヴはこれを毒といった。薄められた毒から人々はいろいろなことを学ぶであろう。しかし、真に学ぶとは毒を飲むことではあるまいか。

巻末には、小林の軽いエッセイがいくつか収録されている。なかなか面白い。要するに小林は単なる酔っぱらいである。坂口安吾の「教祖の文学」では、小林が水道橋の駅から墜落して九死に一生を得た話が紹介されている。安吾は言う、小林は理論的できっちりとした煮ても焼いても食えない人のような印象を文章から与えるが、実はオッチョコチョイだと。
ここでも、まったくスキーを滑れもしないのに山スキーをして転びまくりながら必死の思いで降りてきた話やら、横須賀線の連結台の上で小便をして車掌に酔っ払って悪態をついたり、飲み屋で酔って勝手に店の寿司ネタを握って客に出したり、酔って旅館と勘違いして他人の家に乗り込んで酒を飲んだり、若い時によくも分からず山歩きをして遭難しかかったり、色々笑わせてくれます。小林の批評の本質とどうつながるかはよく分からない。まあ、そんなものを無理につなげなくてもいいだろう。
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2009年01月29日

小林秀雄全集 第二巻 ランボオ・Xへの手紙

小林の書いた「小説」を読むことが出来る。観察癖に優れた神経の細かい人の文章である。自身、若い時に一種の神経衰弱的な状態に陥ったことを言っているが、そういう心理状態を反映した一種現実離脱遊離感のある味わいが出ている。ただし、文章としてのうるおいとか魅力ということについては、率直に言って欠けている。この第二巻にはランボオの訳詩も収録されているが、やはり同じことが言える。私は本当に若い時にしか西欧詩を読まなかったから、よくは分からないが、文庫で読んだ他の人間のランボオ訳と比べると、やはり文面から受けるうるおいというものに決定的に欠けているという印象がある。
要するに、小林は小説家には向いていなくて、やはり批評家だということである。とにかく自分で小説も書いてみようとしたことが大切なのであって、出来はどうでもよろしい。小林流に言うなら、宿命の「主調低音」を自身でしっかり確認できたというだけで十分だろう。
有名な「Xへの手紙」は、やはり面白い。「創作」と分類されているが、まさしく手紙、告白文、批評文であって、創作というのとは、ちょっと違う。小林が若い時に自分を追い詰めていた一種異常な心理状態について、かなり具体的に書いている。
人々はめいめいの心の奥底に、多かれ少なかれ自分の言動を映し出す姿見を一枚持っている。言うまでもなく私達の行動上の便利のためだ。別に俺には便利だとは思えないと感じ出したのはいつの事か知らないが、俺の持っている鏡はむやみと映りがよすぎる事を発見したとき、鏡は既に本来の面目を紛失していた。このささやかな発見が、どんな苦痛と悪徳をもたらすものであったか、俺に知れよう筈はなかった。
以来すべての形は迅速に映った、俺になんの相談もなく映し出される形を、俺はまたなんの理由もなく眺めなければならなかった。なんのことわりもなくカメラ狂が一人俺の頭の中で同居を開始した。叩き出そうと苛立つごとに、彼は俺の苛立った顔を一枚づつ撮影した。疲れ果てて観念の眼を閉じてみても、その愚かしい俺の顔はいつも眼前にあった。
複雑な抽象的な思考に耽っていようと、ただ立小便をしていようと、同じようにカメラは働く。凡そ俺を小馬鹿にした俺の姿が同じように眼前にあった。俺にはこの同じようにということが堪えられなかった。何を思おうが何をしようが俺には無意味だ。俺はただ絶えず自分の限界を目の前につきつけられている事を感じた。夢は完全に現実と交錯して、俺は自分のすることにも他人の言うことにも信用が置けなかった。この世に生きるとはむせかえる雑踏を掻き分ける様なものだ、しかも俺を後から押すものは赤の他人であった。さまよい歩いて夜が来る、きれぎれの眠りは俺にも唯一の休息ではあったが、また覚めねばならせぬ眠りとはどうにも奇怪に思われた。
引用が長くなったのをお許しいただきたい。この部分は昔初めて読んだときから忘れられない一節なので。一種の自己分裂の状態なのだが、徹底的に自己分析をしようとすれば、恐らく誰でもこのような奇怪な状態に陥る。自分を明らかにしようとする作業の過程で、どんどん自己の姿が収拾がつかなくなっていき、徹底的に断片化無意味化されていく。その自己喪失の極限点で、今までの偽りの自己像が一挙に崩落し、本物の自己認識に至る。その状態では、自己への固執や狭隘な主観はなくなり、他人との真の客観的な関係性を持てるようになる。自己が完全に新しい形で再生されるのだ。
というのは、今私が勝手に加えてみた解釈であって、多分小林の体験とは関係ない・・。
ただ、この「Xへの手紙」というのは、この第二巻にも収められているヴァレリーの「テスト氏」の影響も相当感じられる。その影響というのは、かなり血肉化していて、小林自身の言葉かヴァレリーの言葉が、どちらかよく分からないくらい混ざっているし、またどこまでが小林の個人的体験に基づくのか、どこまでが考え出して書いているのかが分からないような書き方をしていると思う。やはり「創作」と呼ぶのが正確なのかもしれない。
とはいえかなり個人的体験が色濃く反映されているのは確かで、例えば中原中也とある女性との三角関係、あるいはマルキシズムの強大な影響下での社会と個人の関係の問題等。しかし、それらの問題を決して単純に理論化しようともせず、かといって個人の実感感覚の域にとどまらず語ろうと努めていると思う。「女のみが自分の成熟するところだった」というのは、取りようによっては通俗もいいところなのだが、女性との関係というものを、単なる理性で理解できるものでもないし、単なる感情だけの世界だけでもない、完全に二人だけの微妙な生き生きとした世界として把握しているのだ。吉本隆明が、「共同幻想」でも「個人幻想」でもない、「対幻想」というレベルを設定しているが、小林にとっての「女」というのは、そういう一種別の確固たる位相として捉えられているのだろう。
社会と個人の関係、極限における思想のありについても、説得力のあることを言っていると思う。社会や思想に安易に服従したいという誘惑にも負けず、かといって個人の領域に安易に逃避するのでもない、緊張感のある立場を常に貫こうとしている。言うまでもなく、決して古くさい問題ではない。

富永太郎、中原中也、ランボオ、ボードレールが登場する。小林の影響で、どれもある程度は読んだ。富永太郎の強靭な散文詩は鮮烈だったし、中原中也の異様に生々しいイメージ喚起力、ボードレールの場合は「悪の華」よりも「パリの憂鬱」のコメディ的作品の側面が好きだった、等なんとも懐かしいが、こうして改めて読むと、昔のように素直に感情移入して読めない。なんというか、小林の「青春」の気恥ずかしさのようなものを、どうしても感じてしまうのだ。でも、青春というのは誰でも基本的には恥ずかしいものである。小林だって例外ではない。自分は年をとったというだけのことだ。ランボオについては、小林の訳詩で主要作を読めるのだが、昔読んだときと同様何かを確かに感じるのだが、正直言ってはっきりとは理解できない。いまだに。
むしろ、小林が翻訳しているのでは、ヴァレリーの「テスト氏」が、面白かった。ヴァレリーの作り出した、この人間とも幽霊ともつかぬ異様な化け物というのは確かに魅力的だ。昔読んだときは観念的な遊びにしか思えなかった。こちらについては、年をとることで、ある程度は理解できた。
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2009年01月28日

小林秀雄「手帖U」他

小林が引用している他の人の言葉で素晴らしいと思ったものをそのままいくつか抜き出しておく。どれも、私が下手なコメントを付け加えたりする必要などないものである。

「手帖U」
昨年の「新潮」十月号で、岸田國士氏の「劇団左右展望」といふ文を読んだが、そのなかに大変面白く思った一節がある。
「凡そ世界の演劇史を通じて、最も偉大かつ高貴なるモニュメントとして残るものは、チェホフの戯曲と能楽の舞台であろうとは、私のかねがね信じるところであるが、前者は、戯曲の生命に、はじめて決定的な文学的表現を与え、それを今日まで生かしている点、後者は、同じく、舞台の幻像が、最も単純な姿を以って最も深きに達している点、共に比類なき芸術と呼ばるべきものであって、何れも、東西演劇の原始精神が、期せずして、後世、見事な花を開いたとも云えるのだが、私は、この二つの例を並べてみて、全て、純粋なるものに共通な特質といふものをはっきり見出しえるような気がするのだ。」


「「夜間飛行」の序文中の私の言葉に、多くの批評家たちが、とやかくつっかかってきた。言葉といふのは「私は、私としては心理的に非常に重要な、次の様な逆説的真理を、著者サン・テクジュペリが表明してくれたことをありがたく思う。すなわち、人間の幸福は、自由の裡にはない、義務の容認の裡にある、という真理だ」という言葉である。そこで私は声を大きくして言う。この真理には何等逆説的なものはない、それどころか、久しい以前から認められ許されて来た(少なくとも当事者の間では)ものだ、ただこの真理を会得するのに、私には大変長い時間を要したといふその点が逆説的なのだ。ところでまた、この私の事情が当事者になぜ合点がいかないかといふと、個人主義といふものの極限にこの真理を発見するといふこと、その事こそ逆説的な事だからだ。私は出来ればかう付言したいと思っている、この真理が当事者に逆説的と映らないのは、彼らがそもそもこの真理を真に理解していないからだ、どの程度に受け入れるか、どのくらいのところまで味到するかによって、この真理の面貌は一変するのだ、と。自分を見出しては又見出すというところに、生きた真理はあるので、因習というものは、真理の形骸しか得させまいと、私たちを誘っているものだ。」(Andre Gide; Pages de Jounal)


「手帖 W」
恋愛を信用する人にも、軽蔑する人にも、兎も角観念的な現代人にとっては、素朴すぎるために大変理解し難い言葉。
「マルカがある男性が好きで、その男と結婚したとしても、彼女は大して誤ってはいない。恋愛とは、概して真赤な虚偽である。心的個人的分析的一面を過度に誇張したものです。もし女性がある男が好きで、その男が立派な男であったなら、彼女が恋しているよりもはるかにましですよ。恋愛の虚偽が必ず伴ってくる嫌悪すべき空想的完成の満足感を各自勝手に主張などせずに、そして結婚後も単に一個の男性と女性として、親切に接したならば、恋愛結婚の生む雑草とは違って強固な根を植えつけるでせう。もし貴方が親しい感情のもてる男を見出し、その男も貴方には親切であると知ったなら、結婚するんですね。恋愛なんか捨ててしまって。批判も自我もそこに沈めてしまう親しい心持で結婚できるならば、結婚なさい。
(引用中略)
人生のAからZまで知っている男性を、物欲しげな目つきで男性を探し回ったり、今後はしてはなりませぬぞ。他の文字は皆見落としていて、AとZを知っているかも知れない男もいます。――中の実を忘れて卵の殻を知っているように。一片の心の焔を求めなさい。アルファやオメガよりもはるかに良いものだ。人の心にある暖かさを尊重なさい。」(「D・H・ロレンスの手紙」、織田正信氏訳)

「梶井基次郎と嘉村磯多」

改めて小林の梶井基次郎評を読んでみると実に的確である。また読んでみたくなった。梶井の小説は、実に繊細な神経の表現なのだが、全然衰弱してなくて生々しく、動物的な生命感と言っても良いリアルな存在感があるのだが、そういうところを小林はさすがにきちんと見抜いている。
葛西善蔵や嘉村磯多については、この小林の批評に影響されて昔読んでみたことがある。二人とも、どうしても他人とうまくいかないように生まれついているような孤独な魂で、きわめて主観的な私小説なのだが、そういうところに偽りのない文章の真実の読み取って見逃さない小林独特のものの見方が面白いと思う。初期の小林は、特に観念的な嘘偽りに過度に敏感なところがあるので、当時流布していた虚飾の文学よりも、こういうものの方がよいというところもあったのかもしれない。
梶井の読みにしてもそうだが、決して観念的にならない対象の本質にじかに迫ろうとする態度なので、批評が古くならないのだと思う。
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2009年01月16日

小林秀雄 「手帖T」

 自分の本当の姿が見つけたかったら、自分というものを一切見失うまで、自己分析をつづけること。中途でやめるなら、初めからしないほうが有益である。途中で見つける自分の姿はみんな影に過ぎない。
 自分というものを一切見失う点、ここには確定的な線が引かれているように思う。こちら側には何物もない、向こう側には他人だけがいる。自分は定かな性格を全く持っていない。同時に、他人はめいめい確固たる性格であり、実体であるように見える。かういう奇妙な風景に接して、はじめて他人というものが自分を映してくれる唯一の歪んでいない鏡だと合点する。
 この作業は見たところ信じ難いようだか、少なくとも私にはほんたうの事であった。

そう、自己分析というのは、中途半端にやると常に自己欺瞞に終わる。それが、どのような高尚な精神分析の意匠をまとっていようと同じことである。他者のみが自己を教えてくれるような状態にまで自分を追い込むこと。それが本当の自己分析というものである。
このこととは言うのは易しいが実践するのは大変な難事だ。少なくとも私はいまだに全然出来ていない。本物の完成された人格者とか悟った宗教者ででもなければ到達することは難しい境地なのだ。私は、そのことを理屈としては知っている、完璧に認識している。しかし、実際には全然身についていない。少なくとも全く自分を認識できていないことに気づいてない人間よりは、なんぼかマシだという程度である。
小林は、どうやら本当にそのような経験をしたらしい。自分をほとんど神経衰弱にまで追い込みながら、そういう自己点検の作業をやりぬいたようなのである。なぜ、皆はそのことに驚かないのだろう。マルクスに対する精緻な読みなどよりも、少なくとも私にはそのことのほうがはるかに驚きだ。昔からそう思っていた。そういう作業を身をもって人体実験して行った男だから、ああいう普通でないマルクスの読解も可能なのである。分かりきったことだ。
このことについては「Xへの手紙」で、さらに具体的に詳しく書いている。
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2009年01月06日

小林秀雄「批評家失格 T」他

小林秀雄「批評家失格 T」

探るような目はちっとも恐かない。私が探り当ててしまった残骸をあさるだけだ。和やかな目は恐ろしい、何を見られるかわからぬからだ。
気分をかえようと散歩に出かける気で、自分の心を点検している人がいる。他人にも自分にも迷惑はかけず、恐ろしく精密に自分の心を点検している人がある。
 だが、優れた作品にただよ心は、決して点検された心ぢゃない。日を
送ってきた心だ。生きて来た心だ。どんなに点検された心と見えようとも、それは反吐がでるほど自分を可愛がった心だ。いとほしくなるほど自分を憎んだ心だ。

 どんな切実な告白でも、聴手は何か滑稽を感じるものである。滑稽を感じさせない告白とは人を食った告白に限る。人を食った告白なんぞ実生活では、何の役にも立たぬとしてしても、芸術上では人を食った告白でなければ何の役にも立たない。
 優れた作品はみな人を食っている。どんなにらおとなしく見える作品でも人はちゃんと食っている。そこには人世から一歩すさった眼があるのだ。暫く人間を廃業した眼があるのだ。
 作品の現実とはいつも象徴の現実である。

小林には、当時流行していた俗流心理主義に対する、抵抗嫌悪が常にある。
最初の引用は始めて読んだ時もすごく印象に残って覚えていた。現代日本のネット上も「探るような眼」ばかりで、「和やか目」にお目にかかることなどまずない。何かを批判して自分が賢いと思い込みたいという現代病。いや、日本病。
自己観察自己分析の欺瞞もその通り。どんなに自分を厳しく観察しようとしても、自己愛か自己憎悪にたどり着くだけだ。自己の真実は他者との関係性の中でしか見出せない。
「人を食った告白」というのは存外難しい。ネットのおかげで「告白」はあふれかえっているが、「滑稽」どころかただただ悲惨な見時メッタらしいものばかり。何かいてもいいけど、もっと読む人間を楽しませてくれよ。内容の問題じゃない、内容はどんな悲惨な告白でもいいのだ。問題は告白の「仕方」「様式」だ。他者不在の一方的な垂れ流しの告白など誰が聞きたがるだろう。そして、そういう告白に、何の興味もなく、これまた自己主張だけでの反応。

「批評家失格 U」

「あいつは、ああいふ奴さ」といふ。甚だ厭な言葉である。だが、人を理解しようとしても、その人の行動や心理を、どんなに分析してみたところが、最後につき当たる壁は、「あいつは、ああいう奴さ」といふ同じ言葉であるから妙である。
「子を見るに親に如かず」といふ。わかる親もあれば、わからぬ親もいるといふ風に考えれば一向につまらないが、オヤが子をどういう風に見るかと思えば面白い。私といふ人間を一番理解しているのは、母親だと私は信じている。母親が一番私を愛しているからだ。愛しているから私の性格を分析してみることが無用なのだ。私の行動が辿れないことを少しも悲しまない。悲しまないから決してあやまたない。私といふ子供は「ああいふ奴だ」と思っているののである。世にこれほど見事な理解といふものは考えられない。

この世の真実を、陥穽を構えて、捕へようとする習慣が、私の身についてこの方、この世は壊血症の歌しか歌わなかったはずだったが、その歌は、いつも私には、美しい、見知らぬ情欲を持っているものと聞こえたのだ。
で、私は、後悔するのが、いつも人より遅かった。

はるか昔の小林初期の文章を読んでいると、まるで現代日本のことを語っているかのようだ。いかに他人を普通に理解できていないか。「ああいふ奴だ」と簡単に深く理解してやれていないか。

「批評について」

一体大変大きな軽蔑というものは、大きな愛情と紙一重のものなのかも知れないが、さういふ高級な面倒な問題を言ふのではない。私たちの間での-軽蔑などといふものはそんな大げさなものぢゃない。ある批評家が、ある作品を軽蔑する。だが、彼の心持に、決して激しいものも積極的なものも豊富なものもあるわけでもない。さいうふ人の軽蔑は、ただ己の貧寒を糊塗する口実に過ぎない。貧寒な精神が批評文を作るとき、軽蔑的な口調で述べればえらそうに見えるだけの話だ、もっともえらそうにも見えはしないが、兎も角批評文の体裁を整のへる上に軽蔑口調は便利なだけの話なのだ。だから、心から軽蔑したいなどと思っている人はいないので、みんなうっかりほめたりするとお里を見透かされさうなものだから軽蔑などして済ましている、ところがまずいことにはこの心根が見透かされている。

これもまた、現代日本のネット上の言説について述べているようではないか。
日本的なケチなプライド。他者を軽蔑してみせることで自分がそうではないと証明したいだけのさもしい根性。その実本人には何も内容などないのだ。ただ世間体で自分が馬鹿にされたくないだけ。えらそうに一見理性的に批判しているようでいて、実は明晰な理性の光など全く存在しない。激しい感情もない。ただ微温的な世間知が薄汚く空気のように漂っているだけ。
そういう異種独特な日本的精神風土は、本当にやりきれない。有名な某巨大掲示板の欠点も、あそこに表面上みてとれる悪意ではなく。むしろ根本的な悪意の不在、裏を返せば愛情の欠如、そして自己防衛に汲々としているだけど世間智だけによって成り立つ貧困この上ない精神の問題である。

「逆説といふものについて」

或る時、芥川龍之介を崇拝している人に、芥川氏をどう思うかと聞かれて、三十面下げて道徳とは左側通行といふ事である、などと平気で書けるようなロマンチストは大嫌いだよ、と答えてその人に大変厭な顔をされたことがある。

小林は芥川に対する評価が、とてもからい。他にも乃木将軍をモデルにしたといわれる「将軍」をあげて、ああいう戯画化というのは巧みに見えるが全然人間の本質に届いていないと小林は断じている。「芥川氏のような半知的作家」とまで言い切っている。
言いたいことはよく分かる。しかし、実は私は芥川氏のそういう甘いロマンティストの側面。理知的で辛らつな様でいて全然そうじゃないところにどうしようもなく惹かれるのだ。
今更芥川を、なんと言うか真剣に評価しようなどという義務など全くなしに読める身としては、小林が欠点としてあげていることは、私には全て芥川の美質のように思える。
例えば「杜子春」という作品は、当時甘いといって批判されもしたそうだが、私はあれこそ芥川らしい名作だと思う。もともとああいう作品を書きたい人だったのだと思う。たまたま神経衰弱で自殺したが、本来はああいう死に方をするする必要など全然なかった人ではないかと思う。「地獄変」のような作品もあるが、あれも心底恐ろしいというわけではない。本当に残酷で救いのない精神を持つ外人の不良作家たちとは全然違う。そういう芥川が好きで何が悪いのだと、私は開き直りたいのだ。
小林の言うとおり、例えば「枯野抄」での芭蕉の弟子たちの心理分析も実に浅薄だ。でも、その浅薄さが楽しいのだ。
なんだか、ちゃんと芥川を褒めることが出来ていないような気がするので、このことについては小林が芥川のことを本格的に論じた文章を扱うときに改めて書こうかと思う。
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2008年09月27日

(メモ)小林秀雄「ナンセンス文学」

やはりベルグソンが引かれている。
人体の態度、姿態、運動は、この人体が、ひとつの単なるメカニックであると我々に思わせることに正確に比例して滑稽である。
人はもし笑うことが出来なかったら、気が狂うであろうと。睡眠中に夢を見たり泣いたりすることが出来なかったりした場合と同様。
よく、アメリカン・ジョークを我々日本人は馬鹿にする。あんなもののどこが面白いのかと。しかし、笑いというのは、センスの問題というより、本質的には、人間や事物をどう対象化するかに関わっている。その分析尺度や距離感の問題なのである。高級か低級かという問題ではない。だから、文化によって全く性質が異なってくるのは当然のことだ。
日本的な笑いというのは、やはり理性的な対象化というよりは、感覚的なずらしのような性質のものである。日本人から見れば、欧米の笑いは繊細なニュアンスに欠け、欧米から見れば、日本の笑いは子供っぽい。
タカ・アンド・トシが「欧米か!」のツッコミで一世を風靡したのも当然のことなのである。って違うって。というのは、我ながら日本的な笑いだと思います。
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2008年09月25日

(メモ)小林秀雄「現代文学の不安」

現在と違って、当時は文学の社会的意味が真剣に論じられていたわけだが、小林の言うことはごくごく「常識的」である。この発言も、当時の状況を踏まえて読む必要があるわけだが、そのまま独立して読んでも現在でも変わらない真実だろう。あまりに常識的で正しすぎる発言は、一種通俗的に響くだけである。
私は近頃になってやっと、次のことがおぼろげながら腹に這入った様に思ふ。それは青年にとってはあらゆる思想が、単に己の行動の口実に過ぎず、思想というものは、いかに青年にとっては、真に人間的な形態をとり難いものであるか、という事だ。成る程言葉は簡単だが、事態は非常に複雑である。この欺瞞は、情熱の世界にも感情の隅々にも、愛情にも憎悪にも、さては感受性の端くれにまで、その網の目を張っている。いくら社会を眺めても、本を読んでも、政治行動の真似事をしても、自分の身を省みなければ、この謎はとけぬ。
嘉村磯多を小林は誉めたのだが、当時の風潮からすれば、いかにも天邪鬼であるように受け取られたことだろう。というか、私自身も、小林がほめていたので興味をもって読んでみたことがあるのだが、本当に私小説の極北で、社会性とか一切関知せずという作家なのだ。そういう作品に価値を認める小林の批評眼が面白いと思う。
あと、小林は芥川に対す評価がものすごく低い。小林が言っていることで、私が納得できない点の一つだ。ここでも「人間が描けてない」とか言っているのだが、別に小説で人間なんか描けていなくたって全然構わないじゃないかと思う。要するに、芥川の作品が神経だけで出来ている仮構物だといいたいようなのだが、私には十分その仮構性の完成度が高くて満足なのだが。それどころか、(「明暗」を除く)後期漱石のようなもったいぶったに作品群のほうが、余程「人間が描けてない」のではないだろうか。
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2008年09月24日

(メモ)小林秀雄「再び心理小説について」

ジョイスやプルーストについて。彼らの小説を、自我の解体により意識は一切の選択原理なしに、意識の流れに乗じて表現され、夢のように気まま勝手なもの過ぎない、という俗論を退ける。とにかく小林は、この種の図式的思考が大嫌いなのである。
流行りのシュールリアリズムによるオートマティズムとは違い、ジョイスもプルーストも当然作家としての選択的行為で創作している。その方法が、例えばフローベールとは全く外見が異なるにしても、作家的理知は根底においてはしっかりと保持している。ジョイスやプルーストを感傷的ロマンティシズムとみなすのは、もっともらしいようでいて、何も見ていることにはならない。等々。
ところで、私自身も若い時にはジョイスやプルーストにもチャレンジしてみましたよ。「ユリシーズ」は我慢して最後まで読破したし、「失われた時を求めて」
も、頑張って第何巻かまでは読み進めました。が、ついに我慢の限界で放り出しましたよ。「もう、これ以上読んでいたら、気が変になる!」文字通り、分厚い書物を、放り投げたのでありました。
そんな私なので、この怪物作家二人について、何か言う資格は一切ない。ただ、小林がジョイスの「ユリシーズ」に言っていることを聞いていて、読書のおぼろげな記憶がよみがえり、確かにそういう感じを受けたのを思い出した。記憶とは不思議なものである。プルーストのマドレーヌのように。
「ユリシイズ」を読んだ人は、明らかにジョイスの傲然たる、虚無的な面貌に突き当たるはずだ。
私が無類だと思うのは、その全く独特の苦さである。苛烈な、虚無的なしかも肉感的な無類の味わいである。人間の行動に関する造形的な、残酷と憂鬱とが混交したような描写が、長々しい薄弱な心理像の連鎖に生彩を与え(以下略)
もし、現在もう一度チャレンジすれば、私ももう少しは抵抗して読むことが出来るかもしれない。しかし、私はもはや小説など読むのがすっかり煩わしくなり、ひたすら音楽を聴いている方がよいという怠惰なオヤジにすっかり化してしまったのだ。まして、あんなめんどくさいものを再読しようという気力は、もはやない。
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2008年09月23日

(メモ)小林秀雄「文藝時評の科学性をめぐる論争」

「マルクスの悟達」の反響を受けての文章。
小林は何度も言っているが、マルクスをイデオローグとしてではなく、ぎりぎりまで考え抜いた生きた思想家として捉えようとしている。当時、恐らくそんなことをしようとしていた人は誰もいなかっただろう。小林の言うことは、唯物史観階級闘争派文学者にも純粋芸術派文学者者にも、全く話が通じていなかったのだと思う。また、これもたびたび言っているがマルクスを唯物論者とも観念論者とも考えていないのである。
一体、人々は精神とか物質とか、観念論とか唯物論とかいふ言葉に、どうしてそんなに神経質にこだはっているのでせうか。「資本論」の第一巻第一章を読んで御覧なさい。あそこで、彼が商品を縦横に分析している方法は、観念論的方法なんですか、それとも唯物論的方法なんですか。どつちでもありはしません。
また、エンゲルスの言葉も引いていて、「無限なるものの認識」は「可能でも不可能でもある。そして、これが必要な全てである。」と。エンゲルスを借りて「無限なるものの」認識の可能性を明言している。しかも、純粋な科学的方法でである。
こうして小林の初期の骨っぽい文章を苦労しながら読んでいて感じるのは、彼がマルクスやエンゲルスの言葉を借りて、いや場合によっては彼らの言葉を曲解してと言っても良いのかもしれないが、小林のほとんど直感的で生来的なものの考え方を語っているということだ。後年になると、あまり論理的なことはうるさく言わなくなるし、一見科学性や論理性をどんどん放棄して行ったかかのようにも見える。でも、恐らくそれは見せ掛けだけである。というか「科学的」の意味が、やせ細った「科学的」とは最初から全然違うのだ。
例えば後期のベルグソン論。あれもとても怪しげな部分を含む文章だが、基本的には徹底して科学的に論理的な思考を貫くことで、いかに「無限なるものの認識」をどこまで出来るかを、ベルグソンと共に挑戦した実験記録とも言える。本人は誤りを自ら認めてベルグソン論を封印したわけだが、少なくともあれは小林が完全に「あっちの世界」に行っちゃった証明ではないと思う。むしろ、初期の論文同様、「こっちの世界」の方法でやれることをやりつくしてどれだけ「あっちの世界」を垣間見ることができるのかという態度で書かれている。そういう態度を貫き通したことが一番大切なことであって、結果的に小林のベルグソン論が正しいのか間違っているのかなど、つまるところどうでもいいことだと思う。「本居宣長」だって、基本的にはそういう態度で書かれている。
小林は、初期から晩年まで、全く変わらなかった人である。
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2008年09月22日

(メモ)小林秀雄「心理小説」

ジョイスの心理小説などをめぐって。ジョイス自体というよりも、それを表面的な技法としてしか受け入れられないわが国文壇についての論及である。あるいは、ポーの意識的作業の苛烈さと比べて、わが国の文学者はなんと楽天的であるか。
勿論、現在の日本においても、その状況は全く変わっていない。
文学における心理学とは、安易で危険な誘惑である。小林はそのあぶなっかしさを、きちんと認識している。
心理学は頭にくる酒みたいなものだ。安かったと思ってもあとできっと後悔する。私は両方とも性懲りもなく経験して来た。

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2008年05月08日

(メモ)小林秀雄 文藝時評

享受よりも批評が難しいと考えられがちだが、実は逆だと。コクトーの言葉、「文体というものは、まづ大概の人にとっては非常に簡単なものを複雑に言う術だが、我々作家には複雑なものを非常に簡単に言う術なのだ。」
徒然草で「名工は鈍き刀を使う」といっているのは、ものが見えすぎる兼好自身のことだ、と評していたのを思い出した。
ものをありのままにいきいきと見ることがいかに難しいか。特に、自分が利口だと思い込んでいる者にとっては。
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2008年05月07日

(メモ)小林秀雄 マルクスの悟達

むつかしい。
タイトル通りに、マルクスを俗流唯物論でなく、真の天才のギリギリの生きた思想として捕らえようとしている。マルクスはヘーゲルを否定したのではないし、レーニンもマッハを否定したわけではない。彼らの思想は、驚くほど平凡だが、同時に驚くほど複雑である。
マルクスは経済活動を把握するために、言語を清潔な論理的記号として捉え、言語の生々しい肉体を捨てたが、マルクスの天才が言語のそうした性質を見逃したはずがないという。逆に、言語の論理的記号としての性格を捨てたところから始めた芸術的天才もいる。両者とも、まったく別の方法ではあるが、しっかり「現実」と向き合っていることにはなんら変わりはない。
「マルクスは社会の自己理解からはじめて、己の自己理解を貫いた。例えばドストエフスキーはその逆を行ったといえる。私の目にはいつもかういふ二人の達人の典型が交錯して見える。」
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