2015年09月10日

イングリッド・チューリン

ベルイマン映画をかなり昔にスカパーのシネフィル・イマジカが集中して全作品放映したことがある。私はそれをVHSビデオに録画しておいて今でも手元にある。残念ながら全部は残っていないのだが。
最近、ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」を見直して、イングリッド・チューリンにすっかりやられて、ベルイマン出演作を全部観てみた。
「野いちご」「女はそれを待っている」「魔術師」「冬の光」「沈黙」「狼の時刻」「夜の儀式」「叫びとささやき」「リハーサルの後で」の全9作品である。
チューリンが本当に美しい初中期の作品から、58歳で役柄も(実際も)老いを演じている「リハーサルの後で」まで、実に多種多様な役柄をやっているのだが、じつにどれも役になりきって完璧に演じきっている。というよりは、役柄そのものになりきって役を完全に生ききっている。本物の天才役者だったのだと改めて痛感せずにはいられなかった。
個人的にチューリンの顔(あの強烈な光を放つ大きい目や男を飲みこんでしまいそうな肉感的な唇)やスタイルがタイプで、例えば「野いちご」などは本当に美しいと思う。たいそう色気のある女性なのだ。しかし、こうして色々な作品を観ていると、その事よりも彼女の役者としての凄みに感心したのである。

ベルイマン映画デビューの「野いちご」では、ヴィクトル・シェストレム演じる老教授の義理の娘役である。夫役のベルイマン映画の名優グンナール・ビョルンストランドと夫婦の関係で問題を抱えている。
ここでは、普通の心の優しい女性役である。普通に美しいチューリンを観たいのならばこの映画が一番かもしれない。美しくて知性を感じさせ色気もあるたいそう魅力的な女性。それを自然に持ち前の存在感でやっている。ただ、役者としての本領はまだこの映画では(そもそも役柄的に仕方ないが)発揮されていない。

「女はそれを待っている」では、妊娠して病院に入院している妻の役。ここでも、基本的には優しくて知性があって美しい女性の役である。但し、前半で夫と激しくやりあう場面ではチューリンらしい毒や凄みの片鱗がよくでていると思った。

「魔術師」では、やはりベルイマン名優のマックス・フォン・シドー演じる魔術師の妻の役。普段は男装してシドーの弟子としてふるまっている。
それが、嫌な科学者役のビョルンストランド
(こういうのをやらせたら彼は天下一品だ)に部屋をのぞかれて実際は女性だとバレるのだが、男装からその女性の寝着姿への変身ぶりのあざやかで美しいこと。男装の方もとてもよく似合っている。
役者としては静かであまり自己表現はしない役だが、ビョルンストランドとやりあう場面のリアリストとしての女の側面、知性的な演技などは見事である。
シドーをベッドで慰める場面も、女チューリンらしさがよくでていた。

「冬の光」では、ビョルンストランド演じる牧師と男女の関係があり、男に執着する独身の女教師の役である。
地味な服装でダサい眼鏡をかけている野暮ったいちょっとウザい女という設定で、それまでのチューリンの役柄からはかなり意外な配役である。それだけに、チューリンの役者としての真骨頂がここでは十分発揮されている。
もともと相当美しい女性なのにメイクや衣装のせいも勿論あるが、存在自体がそういう女性になりきっている。表情やオーラが役柄に完全に同化しているのだ。役を生ききるチューリンの特異な能力がベルイマン映画の中でも最もよくでていると思う。
特に、教室でビョルンストランドと痴話喧嘩をして、彼に執着する姿をさらすところは演技が素晴らしすぎて、ちょっと笑ってしまうくらいである。人間の醜さと美しさの混合する感情を表現させたら彼女くらいできる人はそうはいまい。
ちなみに、改めて「冬の光」は映像的にたいそう美しい映画だと感じた。

「沈黙」では病身で自分に絶望しきっていて、妹と愛憎の関係にある姉の役。翻訳家わしている知性は女性。ここでは、「美しい」チューリンに戻っているが、複雑な内面を持つ女性として、役者の本領も発揮されている。
ベッドでオナニーをするシーンなどもあり、チューリンらしい役どころではある。その一方で知性と気品も感じさせ、また妹に激しくののしられても、やりすごして部屋を去る際に憐れみのような表情をするのが印象的。激しい気性の妹役のグンネル・リンドブロムに対して「受け」の役である。チューリンならこの妹の方も十分出来そうだが、より難しい演技が求められる姉の方をチューリンは見事にやっている。チューリンの役者としての多面性がよく出ている役である。
ここでのチューリンは「野いちご」とは違った何とも言えない成熟した美しさがある。

「狼の時刻」では出番は少なく、画家役のシドーが恋焦がれる現実とは思えないような女の役。ある意味、チューリンらしい役ではある。全裸を横からアップで移動しながら映すシーンがあったりする。役者としては特に何もしない特別出演的な役であった。

「夜の儀式」では、ビョルンストランドなどと三人で公演をする女優の役。
演目を調べる検事におびえる神経過敏で奔放で感じやすくてきわめて女性らしい女優という設定である。
チューリンは実際には多分恐ろしく「強い」女性だと思うので、厳密には、らしくない役のはずだ。ところが、ここでもやはり役になりきって弱くて繊細な女に見事になりきっている。表情もオーラも。全くもって何でもできてしまう女性である。ここでのチューリンは、ベルイマン映画の中でも特に魅力的で、余計なことだが肌の露出シーンも多い。
ちなみに、この「夜の儀式」はもともとテレビ映画だったのを映画にした短い作品だが、大変出来が良くて、個人的にはベルイマンの隠れた名品だと思っている。

「叫びとささやき」は、チューリン、ハリエット・アンデルセン、リヴ・ウルマンとベルイマン・ガールズが勢ぞろいして三姉妹の愛憎を描いた作品。チューリンは長女役である。
冷たくて気が強い長女という、これはチューリンらしいおはこの役である。
妹のリヴ・ウルマンにひどいことをいうシーンなど素晴らしい。もっとも、リヴ・ウルマンも最後にはやり返すところがあって、そこもすごい。まったくもって、ベルイマンガールズはおっそろしい。
グラスをわって陰部に刺しこみその血を顔になすりつけるシーンもチューリンらしくて、こわいこわい。


そして、最後の「リハーサルの後で」。これはベルイマンでも本当に最後の方の作品で。チューリンも公開当時なんと58歳である。
主人公の演出家と関係のあった老女優の役。
チューリンもさすがに容姿が衰えて、かなり太ってしまっている。しかし、美しさの面影はあるし、何より相変わらず何か人をひきつけずにはいられない抜群の存在感は健在だ。
酔って登場して、演出家に肉体関係を求め、あれこれ自身の不安や不満をぶつける老女優。
すごい役で、チューリンもそういう醜さを見事に表現しきっているのだが、チューリンがやるとなぜか不思議な気品のようなものも感じる。彼女の役者としての本質がよく出ている。ただし、やはり「野いちご」とは別人である。それは本当に仕方のないことだ。
ちなみに、「私はこれでももう46歳なのよ」というセリフがあるが、実際は58歳なのでちょっと笑ってしまった。

イングリッド・チューリンは役者の中の役者であった。
posted by rukert | イングリッド・チューリン

2015年09月09日

ルキノ・ヴィスコンティ「地獄に堕ちた勇者ども」

近所のTSUTAYAをウロウロしていて、洋画コーナーでヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」をみつけた。最近は旧作ならば一週間100円で借りてしまうことができたりする。久々にヴィスコンティワールドにどっぷりはまってみた。
ヴィスコンティは若い頃によく観た。あの豪華絢爛で退廃した大人の世界に憧れて。
ただ、今冷静に考えると、「ルートヴィヒ」にしても「家族の肖像」にしても、あるいは名作とされる「ベニスに死す」にしても、内容はかなりトンデモ映画の部類に属する。どれも後期の作品だけれども、もっとまともな「山猫」にしても滅びゆく貴族の姿なんて実は日本の庶民の私などには全く縁のない世界だ。
それでも、この「地獄に堕ちた勇者ども」を観ていると、演出家としては文句なく天才のヴィスコンティのつくりあげるきわめて「映画的」な世界の肌合いに魅せられずにはいられない。
こんな映画を日本人が撮るのは不可能だろう。自身本物の西欧貴族であるヴィスコンティが実際に知っている、大人の人間たちの愛憎虚栄退廃美意識といったものがビシビシ伝わってくる。日本人にも愛憎の世界はあるが、それらが子供に見えてしまうくらい露骨すぎるくらいの冷酷な世界がある種心地よいのだ。
ヘルムート・バーガーが女装してマレーネ・ディートリッヒの「嘆きの天使」を真似るあの退廃した世界。
DVDの付録にヴィスコンティのインタビューが収録されていて、本作はナチスがどういうものだったかを描くのに価値があるとか述べている。確かにナチに対する痛烈な批判ととれなくもないが、もうそんな事はどうでもいいくらいヴィスコンティ的な大人の人間の普遍的な愛憎劇だと思う。そもそもヴィスコンティが本気でナチ批判を目的としてこの映画をつくったなどとは私には信じられないところがある。
ラストのところで、ヘルムート・バーガーがダーク・ボガードとイングリッド・チューリンに毒薬を渡して死を迫り、二人を置いた部屋を去り、外のパーティ会場をウロウロするシーンは素晴らしいシーン、演出だ。何もセリフの説明はないが、ヘルムート・バーガーの表情の動きで、彼の落ち着かない不安と憎悪などが入り混じった言葉では説明不能な心の動きが映像だけで如実に伝わってくる。きわめて映画的な表現作法だと思う。
役者はダーク・ボガードを始めとして皆素晴らしいが、何といっても強烈な印象を残すのはヘルムート・バーガーとイングリッド・チューリンである。
バーガーの神経過敏で繊細で弱くてなおかつ狂気と攻撃性をあわせもつキャラクターは鮮烈である。
ただ、私がすっかりやられたのはチューリンの方だ。ベルイマンでおなじみのこの女優はやや歳をとってからヴィスコンティに抜擢された。ヴィスコンティによると、ドイツには役にふさわしい女優が見当たらなかったので、ドイツ人に見えるスウェーデンの大女優のチューリンを呼び演技にも大変満足していたそうである。
チューリンの気の強い女ぶり、ボガードを虜にする魔性の女ぶり、それでいながら女性としての繊細さともろさが全てよく出ている。実にチューリンにピッタリの役で彼女の魅力がベルイマン映画に劣らないくらい存分に発揮されている。
チューリンは役になりきるタイプでベルイマンでは本当に様々なタイプを完璧に演じ分けている。ちょっと彼女には意外な役の「冬の光」でのうざい愛情をまきちらす醜い女の演技が個人的には好きだ。彼女の場合、演技というよりまさしく役になりきって、その役の人間を生きてしまうようなタイプである。
この「地獄に堕ちた勇者ども」では、様々な性格の混合を求められる難しい役にやすやすとなりきってやりきっている。
前半の魔性でこわいくらい気の強いきつくてなおかつ優美な女と、バーガーに近親強姦されて気がふれてすっかり純真な少女のようなもぬけのからになった女の対照が鮮烈で、なおかつ両者をごく自然に演じきっているのである。
というわけで、私はこの後チューリンがベルイマンに出演した全九作をまとめて観る羽目になった。改めてどれも素晴らしい。それらについては、また追々このブログで書ければと思っている。
ちなみに、この映画にインスパイアーされてつくられたのが、「カリギュラ」のティント・ブラスが監督した「サロン・キティ」である。やはりナチス時代を題材にしていて実在した娼館のサロン・キティを描いている。
ヴィスコンティを観た後では、やはり映画の出来としてはちょっと比較にならないけれど、こちらもバーガーとチューリンが主役をはっていて、ハッキリ言えばこの二人を観るための映画と言っていいだろう。
バーガーは「地獄に」の延長線上の似たようなキャラクターのナチ将校でやはり狂気の美をまきちらしている。やはりすごい役者ではある。
一方、チューリンはサロン・キティの女将役。こちらは「地獄に」とは全く異なる娼館の人間、男と女を知り尽くして、きわめて女性らしく、なおかつ心も優しいという役である。これまた、サロンキティのマダムはこんな人だったのではないかと錯覚してしまうくらいなりきっている。
そして、肌をみせて踊りや歌も披露している。映画公開当時チューリンは50歳。
その八年後のベルイマンの「リハーサルの後で」でも、脚や乳房を披露していた。大女優としては珍しく裸をみせるのを最後まで全くいとわない人でもあった
posted by rukert | イングリッド・チューリン
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