2008年05月12日

齋藤孝/梅田望夫「私塾のすすめ」読書メモ

私が梅田望夫さんのことを知ったのは「将棋」を通じてである。本書の表現を用いるならば、将棋を対象とした「志向の共同体」を通じて、梅田さんが将棋のことをブログでよく書かれているのを知り、一方、ちょっと自慢話を許していただくと、私が書いている将棋ブログを梅田さんはご覧になってくださることもあるようだ。
ただそれは、私にとっては将棋の世界だけでなく、他の世界への窓も開くことになった。誰だって将棋のことだけ考えているわけではなく、梅田さんにとって将棋はあくまで趣味(といっても相当重要な趣味)であり、現在のところは一応「ウェブの専門家」である。私はブログこそ書いているが、ウェブのことなど、もともと何の興味もなかった。グーグルだって、ただの検索機関としか思ってなかったが、梅田さんの本でそのとんでもない意味にようやく気づいたのである。だいたい、グーグルでなく、ずっと「ゴーグル」と読んでいたし。
とにかく、少し強引に言うと、ネットには「志向の共同体」を通じて、自分と趣味関心が重なる人と知り合えるだけでなく、その別の人が興味を持っている他の分野に視野を広げる機会を得られるという副次効果もあると思う。あるひとつの「志向の共同体」が別の「志向の共同体」への道を切り開いてくれるとでも言うか。
また、私にとっての将棋という「志向の共同体」との関わりで言うと、将棋のブログを細々と書き続けているうちに、他の将棋ブロガーと知り合いになったり、レギュラー的にコメントをつけてくれる人とウェブ上の知己になることが出来た。大した人数ではないのだが、決して馬鹿にできない。少なくとも、将棋というマイナーな分野で、リアルでそれだけの知り合いを得ようとしたら、大変な努力が必要なはずだ。しかも、その人たちは、恐らく人間的なタイプ、年齢等では、必ずしも自分と同質ではないような気がする。そういう個人的な違いを超えて、将棋という同じ「志向性」でゆるやかに自由につながることが出来る可能性をウェブは秘めているのではないかと思う。
また、これも自慢話で恐縮だが、将棋ブログで書いた記事を、ごく稀にだがプロ棋士に取り上げてもらったこともある。将棋ファンにとっては、プロ棋士というのは神様のような存在である。音楽ファンにとってのミュージシャン、映画ファンにとっての俳優、なんでもいいが、人はそういうことに当たっては、もうとんでもなくミーハーになるものである。一般将棋ファンにとっては、プロ棋士というのは完全に別次元の大天才たちなのだ。そういう人たちと、ただブログに記事を書くだけで、いとも簡単に、かすかであれ接点を持てる可能性があるというのは、やはりウェブのすごいところだといわざるをえないだろう。

さて、以下は「私塾のすすめ」自体の内容についてのメモがき。
人は読書するにあたって、必ずしもそれに全面的に賛同したり感情移入できるわけではない。いや、そういう本というのは、それぞれの人間にとっては、ごくごくわずかしか存在しないのだと思う。
この対談の二人は「私塾精神」にのっとって、とてつもなく熱い。そのことが、この本にとても爽快な読後感を与えているし、特に若い人の中に、全面的に共感して二人の私塾精神に参加しようとする人たちが出てきたらいいなあ、と思う。
しかし、特に私のように彼らとほぼ同年齢のもので、既に自分がある程度出来上がってしまっている者にとっては、完全に全てに賛同する必要は必ずしもないだろう。むしろ、読書という行為においては、一冊全て読んで、一箇所でも学んだり心から共感することが出来たならば、それはきわめて幸運かつ幸福な読書体験といえるのではないかと思う。梅田氏もこう言っているではないか。
僕は基本的に、ものごとというのは、だいたいのことはうまくいかないという世界観を持って生きていますね。だから、一個でも何かいいことがあったら大喜び。そのへんがまだ十分に伝え切れていないところなのですが、世の中に対する諦観がベースにあります。
梅田氏の過度なまでのオプティミズムはよく指摘されることだが、こういう徹底した諦観を根底に持っているからこその楽観主義ともいえるだろう。変な比喩だが、仏教の歴史が、徹底した現世否定、無常観を原点としながら、それを突き詰めていって、密教のような、根本に現世に対する空観を保持しながらも徹底した生命肯定に行き着いたのと、似ていなくもないとも言えるだろうか。

話がずれたが、このきわめてポジティブかつパワフルなお二人の対談を、気持ちよく読みながらも、正直いって、個人的にはついていけないところもあったのだ。それは、基本的にお二人が、あまりに世界に対しに真っ直ぐに外向的に向き合いすぎているという感覚である。こればお二人に対する批判という話ではなく、ほとんど個人的な資質による生理的反応とでも言えるものである。
もし齋藤氏や梅田氏のような方向性が自分にあっていて出来るという人たちは、思い切ってそういう行為に飛び込むのがよいと思う。しかし、あまり世界に対して真っ正直に向かい合って、戦い抜いて勝利を勝ち抜くということが、に人間としてのタイプとして全くむいていない人間も、世の中には確かに存在する。そういう人間が、無理にお二人のような生き方をしたら疲れはててしまうだけだろう。
そういう人間は、無理に実世界で高いステータスを得ようとする必要はないのだ。あくまで自分の身の丈にあった、世間的生活を続ける術を探し求めながら、うまく世間に適合しながら、自分の中に豊かな世界を築き上げていくというやりかただって立派な生き方だろう。現代社会においては、そういう生き方というのは、逃避的とか社会不適応だとか、場合によっては「負け犬」として否定されがちである。しかし、言うまでもなくそういう現代的な価値観ほど浅薄なものはないだろう。
もともと伝統的な日本社会は、そういう社会に一定の距離を置く生き方をする人たちにもとても寛容だったはずなのだ。お二人は、時代のモデルとして、幕末から明治をあげていて、確かにあの時代も魅力的なのだが、個人的には、さらに遡って、いわゆる「出家遁世」が、ある程度正当な権利として認められていた時代の方に、個人的には共感を抱くのである。これは、お二人に対する批判などではなく、あくまで個人的な感性の問題である。
ただ、私が今言ったような、一種の社会から距離を置く生き方の立場から、逆に社会で積極的に生きる人たちを否定するのも逆に浅はか過ぎるだろう。もし、そういう人間が、単に物質的金銭的快楽的成功のみ追い求めているのならば、批判しても構わないかもしれないが、健全な方向で社会との生き生きとした関わりを保持して進んでいこうとしているならば、もし出来るならばそういうことはした方がよいに決まっている。あくまで、そういうことに向いていない人間が、全く別の生き方を出来る価値観の可能性多様性も残しておいてもらいたいというだけのことである。
そもそも、先に上げた梅田氏の発言の引用を読めば分かるように、氏の社会への関わりは積極的で明るいが、決して浅はかな現世主義でないのは明らかだろう。私がこの本で一番共感できたのは、先の梅田氏の言葉だったのである。

齋藤氏の率直な物言いのおかげで、梅田氏のものの考え方感じ方の本質が見て取れるのも、この本の面白いところだ。やはり、梅田氏というのは、生まれついて徹底した個人主義的性向のある人なのだと思う。例えば、齋藤氏が大学の授業で、全員に同じ行為をやらせようとするとき教室から逃げ出そうとする生徒がいて、「今教室を出て行くと単位を取れないよ」と言ったという話(すごい話だ)に対して、
皆と同じことをやらされるのが苦手で、齋藤先生の授業だとひとり逃げ出すほうです(笑)。
さらに、
子供のころから、「入社式」とか「制服」とか「工場実習」とか「同期入社」とか「課長試験」とか、そういうことに絶対的な違和感をもっていたから(以下略)
こういう部分にも共感してしまって仕方ない。まあ、自分が梅田氏と同じだなどというような自惚れは決して言うまいが、私は思いっきり後ろ向きな梅田望夫なのだと、消して卑下ではなく言うことだけは許してもらえるだろうか。

本書で、一番面白かったのは、実は梅田氏のあと書き「私塾による戦い」である。齋藤さんがある経営者に対して「いずれは文化大臣をやろうと思っているんです。」といったら「ははは、バカを言ってはいけない」と一笑に付されたそうである。また、梅田氏自身も、ある経営者から「梅田君、虚業もいいけれど、そろそろ実業の世界で活躍してみる気はないのかい」と言われて、本気で怒って謝罪を求めたことがあるそうである。
梅田氏が言いたいのは、現代の日本社会にはびこるほとんど無自覚なまでに現状肯定的な価値観、齋藤氏の表現によれば「本気で変える意志というものを持っていない。もやーっとした感じ」である。
梅田氏も、斎藤氏もそういう日本的な惰性に真正面から挑戦状をたたきつけようとしているのだ。梅田氏が酔っ払って書いた有名な記事も、つまるところ、そういう日本的な精神風土への、激しい苛立ちが酒の力を借りて噴出したのだろう。だから、あれだけ反響を呼び、共感する人もいれば、激しい反発を感じる人間もいたのだろう。酔って、日本の本質的な触れていけない部分を刺激してしまったわけだ。
こういう部分についても、私は共感を覚える。先に書いたたように、個人としての考え方感じ方は、多分梅田氏とは全然違うのだが、根底にある個人志向とか日本的共同体を維持している重苦しさに対する違和感は、共有できているのだと思う。梅田氏の本というのは、浅はかに読まれるとウェブを使った立身出世のガイド本になってしまうのだが、そういう根底にある「日本的なもの」への問題意識をもし見逃したら、何も読んでないも同然といってもいいくらいである。一応、私は梅田氏とは全くタイプが異なるからこそ、そのことがよく分かるのだと強弁しておこう。
ついでに言うと、梅田氏が感じていることを、極端なまでにイディアして昇華した形で表現した例が太宰治の「人間失格」だと思う。あそこに描かれている「世間智にまみれた大人」の描写は、太宰的自意識によって激しくゆがめられたものであり、決して客観的とはいえないかもしれない。しかし、太宰の天才は、文芸作品としての価値をこえて「日本的なるもの」の本質を直覚的につかみ取っていたのだと私は考えている。

実は、本書で一番私に突き刺さったのは、申し訳ないけれどもお二人の言葉ではない。梅田氏が紹介している森有正の言葉である。
人間が軽薄であるかぎり、何をしても、何を書いても、どんなに立派に見える仕事を完成しても、どんなに立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。その人は枯れた泉のようなもので、そこからは光の波も刺し出さず、他の波と交錯して、美しい輝きを発することもないのだ。自分の中の軽薄さを殺しつくすこと、そんなことができるものかどうか知らない。その反証ばかり僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければならない。
なんと、恐ろしく、美しい言葉だろうか。
posted by rukert | Comment(2) | TrackBack(5) | 書評
この記事へのコメント
素晴らしい書評をありがとうございました。このブログとあのブログのお二人が同一人物と思ってもみなかったのは、本当に迂闊でした。そうでしたか・・・・・
Posted by Mochio Umeda
こちらこそ迂闊でした。
MONOGUSAのキーワードだけで、分かっていただけるものと信じていた私が、相当自己中心的だったと今やっと気づきました(笑)。
Posted by shogitygoo(ruker)
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