2008年05月07日

(メモ)小林秀雄 マルクスの悟達

むつかしい。
タイトル通りに、マルクスを俗流唯物論でなく、真の天才のギリギリの生きた思想として捕らえようとしている。マルクスはヘーゲルを否定したのではないし、レーニンもマッハを否定したわけではない。彼らの思想は、驚くほど平凡だが、同時に驚くほど複雑である。
マルクスは経済活動を把握するために、言語を清潔な論理的記号として捉え、言語の生々しい肉体を捨てたが、マルクスの天才が言語のそうした性質を見逃したはずがないという。逆に、言語の論理的記号としての性格を捨てたところから始めた芸術的天才もいる。両者とも、まったく別の方法ではあるが、しっかり「現実」と向き合っていることにはなんら変わりはない。
「マルクスは社会の自己理解からはじめて、己の自己理解を貫いた。例えばドストエフスキーはその逆を行ったといえる。私の目にはいつもかういふ二人の達人の典型が交錯して見える。」
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 小林秀雄
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