2008年03月06日

梅田望夫「ウェブ時代5つの定理」を読んで感じたこと

梅田さんについて書かれた有名なブログ記事に「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」というのがある。率直に気取ることなく綴られていて、多くの人間の共感を集めたらしい。梅田さんも、この記事のことは気になっているようで、何かの講演(だと思う)で言及している。そして、「ウェブ時代をゆく」は、(梅田さん本人を含めての)「Rest of us」を対象にして書いたのだとも話していた。
この「ウェブ時代5つの定理」は、バリバリの企業経営陣の言葉が中心なので、率直な感じ方としては、普通の人間には「遠い世界の話」となってしまうのかもしれない。私も勿論そういう普通の人の一人である。しかし、ウェブの世界で働こうとする人間向け限定ということではない。ウェブの最先端で活躍する人物が、どういう「思想」や「パーソナリティ」の持ち主なのかを知るための貴重な資料という読み方も可能だろう。
グーグル的世界観についての感想については既に書いたことがある。ここでは、もっと根本的な大きな問題についての漠然とした雑談をしてみよう。
基本的に、ウェブ世界の第一線で活躍する人たちは「理系人間」である。梅田さんは理系出身ではあるが、そういう人たちと比べると文型人間的だと自己分析している。それは、梅田さんの著作を読んだ者なら多分納得できるだろう。
一方、私は、それこそガチガチの文系人間である。特に技術者が中心の会社で働いていた際に、文系スタッフとして彼らと接してよく分かったのだが、本当に人間としての感性が両者では全く異なる。別の種類の生き物というくらいに。文系人間として放言すると、理系人間というのは、確かに専門性も高いし勤勉だし人間的にもマジメだ。しかし、何か人間としての幅の狭さのようなものを感じることが多い。自分自身も人のことを言えた義理はないのだが、世間知らずで自分の価値観を人に押し付けて融通のきかないところがある。無論、今言ったのは極端な単純化したパターンであるが。逆に理系人間からすると、文系人間というのは、無知で不勉強で不真面目で全く実用的には何の役にもたたないのに、人生が分かったような顔をしている奴らということになるのかもしれない。
そういう偏見に満ち満ちた文系人間として、この本の経営陣について、かすかに嗅ぎ取っててしまうのは、そんな事なのである。勿論、彼らのチャレンジャー精神や楽天性や倫理性や勤勉性やリーダーシップについては素直にリスペクトする。すごいなあと思う。しかし、そういうことは、あくまで企業家としての資質であって、なんと言うか、人間としての深い思想性の話ではない。無論、ビジネスの世界はあくまでビジネスの世界である。深い思想など持ち込まれたらかえって迷惑なのだが。
ただ、グーグルの例が顕著なのだが、彼らがウェブにかかわって行っている仕事というのは、人の生き方や人生観思想の部分に、どうしても抵触せずにはいられない領域である。(そのことに、いち早く気づいていた一人が梅田さんなのであって。我々はそのおかげでグーグルの持つとんでもない重大な意義を教えてもらっているわけである。)
ただ、どうしても気になるのは、グーグルの経営陣の思想というのが、ちょっと単純すぎやしませんかということなのである。「邪悪であってはいけない」とか「世界をより良い場所にするための機関」というのは、素晴らしいし、現在グーグルが携わっている領域の意義を考えると、こういう姿勢でやってくれないと困るのである。
しかし、改めていうまでもないが、世界は邪悪に満ちている。どんな楽天的な人間でも、現在の全世界を見渡して、正義が行使されている状態だと言い切れる者はいないだろう。だからこそ、グーグル的な善への信頼が必要なのだといえるかもしれない。しかし、彼らの楽天性というのは、本当に現実の諸々の困難や悪や障害や、現在の人の心の絶望的な未熟さを、きちんと分かった上での、本当に強靭なものなのだろうか。一種の理系人間にありがちな、世間知らずなところがあるのではないだろうか。そういうのは、あくまで偏った文型人間の偏見と杞憂であって欲しいとは思う。
しかし、グーグル的な楽天的な善への信頼というのは、もし彼らの力が現実の権力関係に影響を及ぼうほどに肥大化した場合に、どうしても現実の悪の部分と衝突せざるをえないものなのではないかと思う。なんだかんだいっても、グーグルは今のところ、現実世界のリアルな経済圏としてはちっぽけな広告収入世界に過ぎない。しかし、梅田さんが適切に理解しているように、それは本質的に世界の成り立ちを揺るがしかねない衝撃力と革新性を孕んでいる。
そういう重大な意義を持つ世界の導き手の思想が、楽天的ではあっても、やや底が浅いように感じられるのは、一般人としてはかなり不安なのである。
こんなことをいっているのも、私自身やっと、グーグル的な世界全体の情報整理の持つとんでもない意義に、梅田さんの力を借りてやっと気づいたからなのである。本当に、グーグルのような一企業がやれること、やっていいのかということを感じているのである。今はともかく、遠い将来的には、一般人民がたとえ間接的に出あれ。その情報管理や監視をできるくらいになっていないと安心できないくらい、重大なことだという気がするのだ。
書き進むにつれて、妄想が肥大するのを防げなかったので、もうこの辺にしておこう。

さて、本題とは関係ないくだらないオマケを。これも何かの講演で梅田さんが言っていたのだが、梅田さんの名記事「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」は、実は酔っ払って書いた記事だそうである。そうしたら、大反響でブログが炎上しかけたのだと。私は、初めてこの記事を読んだとき、鈍感なせいなのか良さがピンと来なかった。でも、酔っ払って書いたのだと聞いて読み直してみたら実に良かった。素晴らしい。本当に群衆の叡智というのは確かだ。わたしの見る目など、まったく当てにならないのだとよく分かった。
で、私の場合、こういう本当に素晴らしいものにふれるとパロディをしたくなってしまうのだ。たぶん頭がおかしいのだろう。「お笑い」をテーマにしたのでやってみる。パロディだけれど、かなり私は本気で言っている。

二十歳にもなれば、その人のすべてのお笑いはもう顕れている。その自分の笑える部分を見つけるには、自分のボケを信じ(つまり自分のギャグを信じるということ)、自分が面白いと思える「ネタ」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。
ネット空間で特に顕著だが、日本人は人のいうことを笑わない。もっと笑えよ。心の中でおかしいなと思ったら口に出して笑え。誰だって、いくつになったって、ウケれば嬉しい。そういう小さなことの積み重ねで、世の中はつまらなくもなり楽しくもなる。「人を笑う」というのは「ある対象のボケたところを探す能力」と密接に関係する。「ある対象のボケたところを探す能力」というのは、人生を生きていくうえでとても大切なことだ。「ある対象のお笑いのサムいところを探す能力」を持った人が、日本社会では幅を利かせすぎている。それで知らず知らずのうちに、影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになる。笑わそうとする勇気が低くなる。「人を笑わそうとしちゃいけない」なんて思っちゃいけないんだとか自己規制している。それがいけない。ギャグを思い切っていわないのがいちばんいけない。
僕だって君たちを見ていて、お笑いのつまらないところとか、サムいところとか、たくさん見えるよ。でもそんなことを指摘して何になる?
それでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人のお笑いのサムいところばかり粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分でつまらなくてもいいからギャグのひとつでも言え。
posted by rukert | Comment(4) | TrackBack(2) | 書評
この記事へのコメント
非常に楽しく読ませて頂きました☆
そして何か反応しておきたいなという思いが強く湧いたので、思い切ってコメントさせていただきました。

>彼らの楽天性というのは、本当に現実の諸々の困難や悪や障害や、現在の人の心の絶望的な未熟さを、きちんと分かった上での、本当に強靭なものなのだろうか

この問いはすごく共感しました。僕もそうおもいましたから。
そして"想像以上に強靭なんだろう"というのが今の個人的な感覚です。創業者二人をはじめ彼らの、「企業」としてその壮大すぎるとも思える難題たちに挑まんとする決意は、何か瞬間的な情熱や欲を背景にしているのではないということを少しずつ知ったからです。
また私たち、間接的にしか彼らを知らない人たちが懸念する、彼らの楽観性というのは実はそこまで強くないのではないだろうかとも思います。現実主義的な面と楽観的にコトを推し進めようとする面と、基本的な姿勢としては後者が勝っているが圧倒的にではなく、「どちらかといえば」程度であり、長期的には後者を重んじるが、短期的には前者のスタンスを明確にもって徹底的に修正・対応していく、それくらいのバランスではないかというイメージを持っています。
人間に対する信頼という意味でも、同じく、むしろそこまで信頼してはいないように思って。あくまでトータルとしては漠然と信頼している、くらいなのかなぁと。
結局彼らのやっていることを本気で推し進めようとしたら、とことんヒトに対しての洞察を深めざるを得ないと思うんですよ。だから、「企業」として、「ビジネス」を介して、彼らが挑んでいる現在の状況がむしろ彼らの行動を保証しているのではないだろうかと、最近はちょっとそのあたりまで踏み込んで考えていました。行きすぎかもしれませんが。

唐突で、取り留めもなく書いてしまって失礼しました。
Posted by topo-gigio
>結局彼らのやっていることを本気で推し進めようとしたら、とことんヒトに対しての洞察を深めざるを得ないと思うんですよ。だから、「企業」として、「ビジネス」を介して、彼らが挑んでいる現在の状況がむしろ彼らの行動を保証しているのではないだろうかと、最近はちょっとそのあたりまで踏み込んで考えていました。

なるほど、その通りなのかもしれません。ビジネスとしての、冷静な目を持ってやってくれているから、かえって安心できるのであって、下手に思想信条など持ち込まれると一番まずいわけですから。実際、梅田さんの本を読むと、変に人間的な要素が混入しないように、グーグルは腐心しているようなことを書かれていましたよね。
ただ、同時に最初の文で言われていることも確かであって、一企業がやってしまっていて大丈夫なのかなあ、というのもやっぱりあるんですよねえ。

拙文の内容を、私の考えていないようなところまで深く受け止めていただいているようで、とてもうれしいです。
Posted by rukert
パロディ、面白かったですねん!!
Posted by むらかみ
まいど、おおきに。

関西弁の使い方に慣れていないので、その点お許しください・・・。
Posted by rukert
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