2008年01月22日

キーワード編 菊地成孔・大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー」

「歴史編」よりも、こっちのほうがとんでもない問題提起をしていてより面白い。
と言っても、まず最初にお断りしておくと、私は音楽の実学的知識が、本当に必要最小限しかないので、彼らが判りやすくしてくれている楽理の話でも、なんとか忠実についていくだけで精一杯だった。だから、楽理の話はほぼ全て略。興味のある人は必ず実際に本書を読んでください。
最初から最後まで面白いのだが、話をブルースと濱瀬元彦氏の下方倍音の話に限定する。
まず、彼らは、ブルースを宙吊り感・係留感があり、統合不全をそのまま受け入れるようなタフネスを有する、西欧的な善悪・明暗の二元論を拒否する存在として捉える。音楽的には、増四度、7thコードの多用による解決感を持たせないまま延々と続ける方法。それを、バークリー・メソッドが、理論的に説明しようとしているが、W7に含まれる短三度音を、フラットしているのでなくシャープしているのだという、どう見ても強引な解釈で切り抜けようとしている。要するに、ブルースというのは、西欧十二音律やそのメソッド化のバークリー・システムでは、説明不能な部分をかかえこんでいるということである。彼らは、西欧の一種帝国主義的な音楽観からこぼれ出るものを常に見出そうとして、その重要例としてブルースを考えているわけだ。歴史編でのジャズのモードの捉え方も、基本的には同様な問題意識なのであろう。ちなみに、菊地は自身をブルース・マンと考えているそうだ。
で、その話と関連するのが、最後に出てくる濱瀬氏の下方倍音理論である。これがまたとんでもない。私には、ちゃんと理解できたとは到底言えず、正誤の判断なども無理なのだが、あくまで「仮説」として捉えるならば、とてつもなく面白い。
ラモーが説いた上方倍音が和声学の基本として認められている一方、下方倍音は、論じられることはあっても、実証不能なオカルトとして否定され続けてきたそうである。それを、濱瀬氏は、人間の聴覚を科学的に分析する感覚的協和の実験を(あくまて)参考にして、上方とは逆方向の協和性を仮説として提出する。
その下方倍音によると、なんとブルー・ノートが出現する。その下方倍音の世界では、ひとつの基音に収斂されず、基音が同居する、多調的、複調的な世界である。ものすごく平たく言うと、従来の西欧的なバークリー・メゾッドでは、うまく説明できなかったブルー・ノートを、下方倍音の仮説で解明できるということである。
さらに、この理論によれば、従来、モーダルジャズは、旋法によるジャズだとされていたのも一面的ということになるそうだ。マイルス・デイヴィスが、「例えば、フリジアン・スケールにしても、みんなが理解しているものと俺が掴んでいるものは、まるで違う。そういうのは愉快だぜ。」と発言したのを、濱瀬氏は、マイルスは、フリジアを下方倍音を示唆する短音列だと分かっていて、それを自分は使えるといっているのだと解釈する。さらに、下方倍音においては、根音進行が不可能で、ベースラインが不要なので、マイルスはロックに音楽的な必然として移行したのだと。
面白すぎます。無論、私には真偽の判断は全く不能だが、とにかくこういう仮説を立てただけでもすごい。また、菊地氏が煽って、この濱瀬講義は難しいかもしれないが、そもそもフロイドやソシュールやラカンの講義だって、当初は受講者にとってチンプンカンプンだったとか言ってるし(笑)。
この下方倍音理論は、従来の和声学の根本を揺るがすものである。例えば、ジャズの、チャーリー・パーカーだって、基本的にはどんなに高度なアドリブをしても、あくまで、バークリー的なコード・チェンジ分析で、十分対応できるとされていたのだが、全く別の分析の仕方が必要になるのかもしれない。実際、濱瀬氏は、パーカーのアドリブを、人知れず採譜、分析する作業を続けていたらしい。とにかく、過激な求道者風の原理主義者という印象をうけてしまう。
かつて、グレン・グールドが、当時流行していた、レニー・トリスターノを軽く皮肉った上で、「音楽史上、もっともうまく即興してスウィングできたのはバッハ以外にいない」という意味のことを言ったそうである。十二音平均律に基づくバークリー式記号化分析においては、いくらパーカーが頑張っても、予定調和の退屈な音の動きをしているということになりかねないだろう。また、パーカーについても、どこかで誰かが言っていたが、パーカーの非凡性というのは、冷徹に分析してしまえば予定調和的なアドリブの音列ではなく、あのスピード感とか、音の生命力とか、音が紡ぎだされる新鮮な臨場感といったような、パーカーの個体的特質にしかありえない、ということになりかねない。もっともらしいし、正直に言うと、私自身、かなりそういう見方に洗脳されていた。知らず知らずのうちに、西欧音楽の見方に毒されているのだろうか。しかし、濱瀬理論によれば、パーカーのアドリブを、全く別の見方で捉えないといけないということになるのかもしれない。

とはいっても、やっぱり私にはわからないところだらけの本だった。正直、興奮と困惑が入り混じっている状態である。何かすごいものを見せられたという気はするのだが、その正体が全くつかめていないというか。今日も、何か本を読んだ感想を伸べるつもりだったが、ほぼ要約めいたことだけで終わってしまった。ちゃんと消化しきれていないのである。
彼らの他の本とも、格闘する羽目になりそうである・・。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(1) | ジャズ
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負けても勝ち組w
Excerpt: てぃん★てぃんシゴきまくってもらって5諭吉くれるってどんだけww パチ屋行く前の軍資金集めの定番になってしまったw
Weblog: ドンパッチ
Tracked: 2008-02-16 17:06
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