2008年01月04日

菊地成孔・大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー」(東大ジャズ講義録・歴史編)

今からかれこれもう二十年近く前のことだと思うのだが、新宿歌舞伎町で飲んだくれて、終電を乗り過ごし帰れなくなった私は、どこかで一夜を明かし、さらに翌日も帰る気もなくして、旧新宿ピットインの朝の部にフラフラ入って行った。その時に若き日の菊地成孔と遭遇している。演奏は目がさめるかっこよさだった。MCを菊地が担当していたのだが、実に才気煥発という感じで、日本のジャズメンにもこんなヤツがいるのかと思ったものである。
それ以外では森山威男グループにゲスト出演したライブも、なぜか見ている。やっぱり、アイディアが溢れて尽きることがないとい類のサックスを吹いていた。私は全然熱心にライブに行くタイプではないのだが、多分どちらも菊池ファンにとっては垂涎物のはずである。運がいいのだ。
「ティポグラフィカ」に参加したCDを持っているのだが、そこの菊地のライナーというのが、ブッ飛んでいる。絶対に普通の思考回路の人間には書けない文章。
そういう菊地の、ジャズ歴史講義が面白くないわけがない。モダンジャズの歴史は、スタイルの進化、変遷なのだが、実は今までにあまりちゃんとした歴史が書かれたり、語られたことはない。いや、この本が出現するまでは存在しなかった。視野が狭隘なジャズ史に限定されていない。西欧音楽を含めた全音楽の中のジャズの立ち位置、逸脱性、ジャズが生み出されたアメリカ(世界)の社会文化状況との関わりも強引に織り込んだ、壮大なジャズ史建立の実験。
講義のタイトルは「十二音平均律→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」である。もうこれだけで、全然普通じゃないって分かる(笑)。
具体的内容は本書に当たっていただくとして、とにかく西洋古典音楽の体系、そしてそれをメソッド化したバークレーシステムの普遍文化に反抗するものとしてのモード・ジャズといった、巨視的視点なのである。マイルスの「かインド・オブ・ブルー」における、モード導入ということなら、どんな凡庸なジャズ史でも言うことなのだが、その歴史的パースペクティブが壮大なのである。機能和声に基づくいわゆるコードチェンジの制約から離れて、モードで自由にアドリブしようとしたマイルスの試みを、西洋普遍音楽の呪縛から離れ、もともと平均十二音律などが主流ではなかった全世界の伝統的モード(旋法)による音楽へのな回帰、反近代を読み取ろうとしているのである。
まあ、下手な要約はもうやめておく。とにかく、単なるジャズ史ではない、音楽史なのである。
しかし、抽象的な話ばかりしているのでなく、きわめて具体的に、実際に東大でも多くのアルバムを流しながら(アルバート・アイラーを東大で流して喜んだりしながら)、講義しているのである。「ネフェルティティ」を菊地は一番すきなそうだが、実は私もマイルスでは一番このアルバムを繰り返し聴いた。また、「コーダル・モーダル」の代表曲として挙げられている、ハービー・ハンコックの「ドルフィン・ダンス」も。私は大好きだ。若いころ、周りに少数のジャズファンがいたものの、誰も同意してくれなかったが、やっとそういう人とめぐり合えたかっていう感じである。また。マイルスの復帰作での「マン・ウィズ・ザ・ホーン」という歌つきの曲はジャズファンからは黙殺されたが、アレもアレで悪くないと菊地は言っている。私も、あれとか「シャウト」とか結構好きだったのだ。さらに、復帰後では「ザ・ドゥー・バップ・ソングEP」がひそかに一番好きだったりする。と、ジャズファンならば、こういうことを語りだすとキリがないのでやめておこう。
とにかく、ジャズファンにも、そうじゃない人にも一読をオススメしたい本である。

―――本当に久しぶりに、B・エヴァンス、S・ラファロ、P・モチアンのトリオを聴きながら、なんだか新鮮で仕方がない、こんなに猛烈にスウィングする「枯葉」だったっけ
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ
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