2007年11月15日

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」−男、京大生じゃないの日記

「ウェブ時代をゆく」を再度読了したところである。既に一度読んで、こんなことを書いた。そのときの心境はと言うと、
「いやー、なんかメチャクチャ興奮する本だったなあ。ブログに何か書くとすっか。待てよ、そういやあ、梅田さん、ウェブ上の書評に全部目を通すとか言ってたなあ。もしかしたら、こんな誰も読んでないブログも見つけて読まれちゃうのかしら。だとすると、普通に書いても、多分自分の考えていることなんて、絶対他の誰かが書いちゃってるだろう。せっかくだから、思いっきりハジけて書いちゃうか。少なくとも、梅田さんを退屈させないことだけを唯一の目標にしてみるか。ソレッ。」
ってな調子でやったんで、あんな感じになってしまった。そしたら梅田さんにブクマされちゃったよ。勿論うれしいんだけど、同時に極度に恥ずかしかったよ。読み直して、オレ、なんて口の利き方を梅田さんにしてるんだろうって。
で、少なくとも、梅田さんがブクマしている「ウェブ時代をゆく」関連に、ほとんど全部目を通して見ましたよ。ますます恥ずかしさが膨らみましたよ。みんな、もっとちゃんとした書き方してるじゃん。それに、こんなこと書いてる人間、全然いないじゃん。普通に書けばよかったよ、普通に。もう、恥ずかしさのあまり、ここ一日すっかり寝込みました(ウソ)。
しかし、タイトルで臆面もなくパクった京大生翌日書いた記事で言ってる、「「梅田さんに届けこの気持ち」えいやっとあちら側に投げ込んだ記事」というの、多分みんなこんなに気持ちは多かれ少なかれ、あるんだろうね。まあ、女、京大生だから、梅田さんの「おお、かわいき奴」と思うのであって、四十過ぎのオヤジからこの種の熱いメッセージが届いたら、ちょっと当惑するでしょうが(笑)。
さてと、二回目読んでみて、結構改めて色々なことに気づいた。この本は、二回読むのが正解だと思う。一回目は、狂喜乱舞して熱に浮かれたように、二回目は、冷静に内容をたどって。
で、改めて冷静に「普通」に書いて見ます。そのため凡庸さを露呈するのは仕方ないとするか。

この本を読んですぐ思ったのは、もしその気になったら、いくらでも色々なことが書けるだろうなっていうこと。梅田さんの本は、一応ウェブ論なのだけれど、もう少し広義に、現代における個としてのあり方とか、日本社会のシステムに対する建設的な批判という読み方も可能なはずだ。私はウェブにもかなり興味があるが、そういう、もう少し広い漠然とした問題をめぐって書いてみる。

組織型人間と、非組織型人間について。一人の非組織型人間として、梅田氏は、具体的にいかに生きていくかの方法論をきわめて具体的に提示している。これは、組織従属型社会から、個人主義社会へというレベルよりさらに根深い、各自の人間としての個性、性質、アイデンティティにかかわる問題である。非組織型の人間というのは、どうやっても組織になじめないものだ。思想上の要請というより、個人の資質の問題として、必要に迫られて非組織型が、どう生きるかという話だと受け取るのがよいのかもしれない。
私自身、明らかに非組織型なのだが、それでも、梅田さんとは全く人間としての性質が異なると感じる。ユングが提出した、「外向型」と「内向型」という対概念がある。梅田さんは、明らかに「外向型」である。「組織型と非組織型」に加えて「外向型と内向型」という二つの軸を加えてみる。梅田さんが対象にしているのは「非組織型外向型」なのではないだろうか。しかし、世の中には少数派ながら「非組織型内向型」が、ほとんど肉体の特質のように確固たる個性として刻みつけられている人々がいる。
そういう人間は、概して人付き合いが苦手だし、世の中でうまく立ち回れるタイプではない。残念ながら「けものみち」をバイタリティあふれて進んでいくパワーはないだろう。しかし、そういう人間だって、なんとか生きていかなければいけない。
しかし、そういう人間にも、ウェブは役立ちそうだ。内向型の場合、求める目標を外交型より、極端に緩めてウェブを現実生活で直接生きて生きる為の手段にしなくても、本当に無償の自己表現だけのために使ってもよいと思う。内向型は、無理しなくてもいいし、無理しても挫折するだけなので。
しかし、ウェブにおいては、本来完全に対立する「外向と内向」も、実は共通点をもつ。梅田氏も、本書で何度も触れているが、ウェブで評価されるのは、無償の努力、好きなものを徹底的に貫く姿勢である。外交型は、自分にあった好きを貫いて現実に関わればよいし、内向型は、さらに無責任に好きをウェブで貫けばよいのではないか。一人の「内向型」として、そんなことを思った。
梅田氏の言う「勤勉」や「サバイバル」というのも、誤解を招きがちな表現である。下手すると、戦後に会社員が組織のために滅私奉公でやったことを、ウェブでやれといっているだけではないかと。しかし、本書全体を少しでも注意深く読んだ人ならすぐ分かるが、そういう行為を苦しみとしてでなく、楽しんでやるというのが大きな違いだ。それなら、内向型でも出来そうだ。内向型は極端に挫折しやすいので、「勤勉」は苦手ではあるが、本当に自分のペースで自由にやることは得意なので。
「サバイバル」については、なんとか生活さえできるのなら、ふつうの社会的な意味で「サバイバル」する必要などないんじゃないかと思う。そもそも、日本というのは、そういう生き方に許容度が高かったはずなのだ。大風呂敷を広げてしまうと、ウェブは日本人古来の、個が社会から一歩身をひく行き方が出来る可能性を秘めているのではないだろうか。
と、基本的に私が、やりたいのは、梅田氏の著作を拡大解釈することだ。
ついでに、非組織高内向型を対象に特化している書き手がいる。本多信一。普通に大マスコミに就職したが、生来の極端な非組織型内向性のために、ノイローゼ状態に陥り、自殺を図り会社を辞める。その後は、完全に自分の好きなように、なおかつ利他的な生き方をしようとして「無料相談」業をじめる。それだけでは、生計は立たないので、中小企業診断士の資格を取ったり、ものを書くことをはじめて、既に数十冊、いや、もしかすると百冊を超えるかもしれない本を書いている。しかし、本人の中では、あくまで本業は「無料相談」をして人々に利他行することである。ほとんど現実離れした話で、本多信一を架空の人物と疑う人もいるくらいだが、私は実際に数度会ったのだ!
ということで、「非組織型外向型」には、梅田氏の本を、「非組織型内向型」には、本多氏の本を薦めておく。
しかし、梅田の言う「人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること。本当の幸福とは、そういう心の在りようにこそあると思う」というのは、全ての人間に当てはまる金言である。こういうのを、わかり易すぎるとか、安っぽい人生論といってバカにする人もいるのかもしれないが、こういう当たり前の真実をきちんと言う梅田氏の強さと率直さ私は尊敬する。この言葉を、どれだけ深く受け取る能力があるかは、各人次第なのである。

物書きとしての、梅田氏の特異な立ち位置について。バルザックの話が出てくる。古典的文豪のイメージしかないバルザックは、実は行動的な起業家だったのだ。梅田氏の父親の話が出てくる。もともと純文学作家だったのが、ラジオ、テレビ、広告等の分野に転身を続けた。
現在では、基本的に物書きというのは、書くことのみ行う専門職だというイメージもある。まあ、今時、書斎で苦吟氏ながら文章を生み出すということはないにしても。しかし、本来のもの書きというのは、単なる文章家からはみ出す部分がある人なのかもしれない。そうでないと、本当に広い範囲の社会に生きる人々を動かす力のあるものを書けないのかもしれない。
梅田氏は、普通に考えるもの書きとして異色な位置にあるのかもしれない。しかし、実は本来のもの書きのあり方を回復しようとする人物なのかもしれないと感じる。さらに言うと、梅田氏は別に「物書き」になりたいわけではないのだろう。ロールモデルの章で述べているように、かつて氏が本当に憧れていたのは「シャーロック・ホームズ」である。単なる、若き日の懐かしき憧れなのだろうか、いや、私は、梅田氏が本当になりたいのは、今でも「物書き」などではなくて「シャーロック・ホームズ」なのだと思うぞ(笑)。

ウェブの光と影について。梅田氏は、ウェブについて意図的に徹底的にオプティミスティックに語っている。しかし、勿論ウェブの影の部分についても、十二分に承知しているはずだ。本書を読むまで知らなかったが、梅田ブログも「炎上」しかけたらしいし(笑)。
2チャンネルの功罪について、私は包括的に論じる力は全くない。ただ、2ちゃんるるが、現代人の心のありようの一種のネガであることを否定する者はいないだろう。匿名で完全に自由にものを言った場合に、人の心のネガティブな部分が過剰に増幅されるということはあるだろう。しかし、基本的に現代人の心が、本質的に荒れ果てて、未熟で、攻撃的で、猛獣のように操縦不能なことを、2チャンネルほど雄弁に証明しているものはないと思う。念のため言っておくが、これは2ちゃんねらーに限定した話ではなく、2ちゃんを毛嫌いする人間の心にも、誰しもそういう部分が潜んでいるという意味で。そういう心を持つ人間が使ってしまうと、ウェブはきわめて危険な存在と化す恐れがある。
「オープンソース」に関連させると、技術系については、実際にすでに大きな成果を上げているし、それを否定するものはいないだろう。しかし、梅田氏が本書でもすこし触れている「文型のオープンソース」についてはどうだろう。梅田氏は、良心的なリーダー、管理者の存在を想定している。しかし、問題の種類にもよるが、大雑把に言うと「文型」の世界というのは、各人の主観が関わる分野である。例えば、歴史認識ひとつをとっても、客観的な記述にいかに努めてね。突きつめると各人の価値観、思想、信条の問題に逢着せざるをえない。そういう問題において、本当に客観性や質の高さを保てるもののだろうか。それどころか、声の高い者のみがまかり通り、悪貨が良貨を駆逐して、政治的に有害な現象が起こる可能性の方が高いと思う。実際、現在の日本のネットにおいて、そういう傾向は、既に十分出ているわけだし。
「群集の叡智」への基本的な信頼という考え方に共感する一方で、一番「群集の愚衆性、盲目性」が噴出しかねないジャンルだと思う。やはり、ウェブについて、全てを有効に活用するのでなく、この分野にはあっている、この分野にはあっていないという現実的な区別をすることが必要だと思う。えらく常識的なことを力んで言って恐縮ではあるが・・・。
しかし、梅田氏は、実はウェブへのかかわりについて、自発性、志向性といった形で、受動的にではなく、各個人がいかに建設的にウェブを生かすべきだということを、きちんと言っている。それは、個人としてはその通りだと思う。しかし、私は「群集の叡智」が集団化して暴走した場合に恐れを抱く古いタイプなのだ。
「群集の叡智」と「個」の関わりについて、梅田氏は決して単純な考え方をしていない。序章にこんな部分がある。

「「群集の叡智」とは、ネットの混沌が整理されて、「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく、「もうひとつの地球」に飛び込んで考え続けた「個」の脳の中に顕れるものなのだ。」

梅田氏が、強調するのは、あくまで「個」の主体的なかかわりと努力の側面である。「群集の叡智」は寝ていて、ネットからエサのように与えられるものではないのだ。ネットという混沌世界から、「個」として何かを掴み取ろうとする努力を惜しまないものにだけ与えられる最大の贈り物である。「文系」についても、これはその通りだと思う。グーグルが「グーグル・ブックサーチ」という壮大な実験を実行中だか、もし本当に実現すれば「個」が「群集の叡智」を手で掴み取る有効な手段になるのは間違いない。(しかし、その作業が、もっぱら英語圏で進んでいるというのが残念である。日本というのは、基本的には「規制社会」なので、著作権がらみの風当たりも強いのだろう。)
梅田氏の、ウェブに対する基本姿勢は明確である。ウェブは、最高の宝庫ですよ、しかし、それを生かすも殺すも、各人のウェブに対する付き合い方ひとつなのですよ、ということだ。

グーグル関連でいうと、その「善を信じる世界政府的な発想」は理念としては素晴らしいと思うし、現在のところ実際に、その基本線を堅持して進んでいるようだ。また、ググールがやっていることは、一部の人間が大多数の人間を管理するということではなく、それこそ、コンピューター力を駆使して、なるべく悪い意味での「人間的要素」を排除した形で行っている。
しかし、そうは言っても、根本にあるのは、一部のリーダの「人間的な意志」である。このことについては、やっぱり私は梅田氏のオプティミズムに、無条件にはついて行けないものを感じてしまう。愚かな現実の権力者たちと、一部の賢者の集団というの、昔からよくある話だ。しかし、私はどうしても一部の賢者に全てを任すという発想に、ほとんど本能的な拒否反応を起こしてしまうのだ。ありえない話だが、たとえばグーグルの中枢が暴発したらどうなるのか。また、そうでなくても、ウェブを心底脅威と感じたリアルな権力が、グーグルに介入して、その膨大な情報収集能力を悪用した場合にどうなるのか、それに対抗することは可能なのか。心配性過ぎるよと、笑われそうだが、ほんの少しでも考えておくべきことなのではないだろうか。

最後に、終章のアメリカの話について。アメリカは、かつては旧世界に息苦しさ感じる者にとって、自由に呼吸が出来る「場所」だった。また、現在だって、最小限度の自由は保たれている。
しかし、現にアメリカが現在、全世界に対して行っている政治的干渉と自国中心主義を、無条件で賞賛するものはいないだろう。ここでも、恐らく梅田氏は、そんなことは十二分に承知の上で、アメリカについてオプティミスティックに語っているのだろう。
しかし、アメリカの政府も、メディアも、厳重に自分のよいことしか伝えないように自主規制されており、アメリカ人は政治的真実をほとんど知らないまま、愛国心に捉われてしまっているのが、れっきとした事実である。グーグルがいくら頑張っていても、アメリカの現実は、ほぼ絶望的だといってもいいだろう。
しかし、大切なのは、そういう現実にどう向き合うかということだ。少なくとも、アメリカにおいて、言論の自由は「原則上」は保持されている。徹底的な反アメリカの本だって、いくらでもアメリカ人は読もうと思えば読める。つまり、個人の主体的な取り組み方次第では、アメリカという巨大な幻想の虚偽に気づくことは可能なのだ。そのために、ウェブが強力な武器になる可能性を秘めているのも間違いない。これは、アメリカだけの問題でなく、同じ島国根性を抱える日本にも、同様に適用できる課題であるだろう。
ただ絶望して知るより、梅田氏のように、「個」の主体的かかわりにオプティミスティックに賭けてみるほうが、よほど健全な態度だと思う。梅田氏のこの本は、単なるウェブとの関わりに限定せず、「個」がいかに「世界」と関わるかという問題まで射程に入れているといえないだろうか。誤読、深読みに過ぎないのかもしれないが、少なくとも私はそういう読み方をしたい。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(2) | 書評
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