2007年11月12日

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」雑感

ムズムズして背中に羽が生えてしまったのは、恐らく四コマ漫画の作者だけではない。「ウェブ進化論」の時もそうだったが、なぜ人々は梅田望夫を読んで、これだけ触発され。熱狂し、反発し、巻き込まれ、全否定し、勇気付けられ、失望するのだろうか。梅田の体内に渦巻いているエネルギーの強度と触発機能は、何に由来するのだろうか。父親が、冒険的なもの書きだった血を引いているのか。
そもそも、梅田望夫は、本物か、偽者か。新たなウェブ時代を率いて、人間のライフスタイルに一大革命を起こすオピニオンリーターーか。それとも、ウェブという巨大な幻想を武器に人々を惑わすだけの詐欺師、山師なのか。ある有名ブロガーが、この本を読んで梅田をスピリチャリスト江原呼ばわりしたが、にせのメシアなのか。本物の希望の星なのか。
梅田は、一応経営コンサルトという肩書き「だった」。しかし、本書が明らかにしているように、「固定職業」を目指していた人ではない。梅田は、いわゆる学者でもなければインテリでもない。しかし、ネットなどから猛烈な学習意欲で学びまくり、様々な知識を貪欲に吸い込んでいる。梅田の文章には、何かとてつもないエネルギーが埋蔵されていて、読む者の心を狂わす。
梅田望夫とは、いったい何者か。恐らくなにものでもないのだろう。あえて言うならば、氏がかつてあこがれた「幻想のシャーロック・ホームズ」なのだ。私が、この本を読んで一番感動するのは、ウェブについての論考ではなく、梅田の世にも不思議な存在のありようである。(勿論、最高のほめ言葉のつもり。)

梅田のオプティミズムは、現代のような時代にあって貴重なあり方か、それと現実無視の無責任か。恐らく、それは読む人間の心が決めることだと思う。オプティミズムに共感できる人間はすればよい。出来ない人間は、否定するのもよい。ここでも、梅田は、読む人間の心を映す万華鏡である。
しかし、そうはいっても、確固たるリアルの世界は存在する。ざらざらした救いのない現実を誰もが抱えてトボトボ生きている。が、人間はありのままの現実輪、ありのままに受け入れて生きることが出来るほど強い生き物ではないのである。どんなに現実主義を気取っている人間でも、心の中にみすぼらしい夢をひそかに抱えているものだ。それは、人間の弱点などではなく、人間という生き物の美しき本質なのである。梅田の本が、そういう各人の心の底に隠し持っているものを、著しく刺激し、あるものは有頂天になり、あるものは激しい拒否反応を起こす。

しかしながら、そうは言っても、人は現実を生きなければいけない。梅田のウェブ論は、単なるお気楽な楽観主義者の抱いた一場の夢か。そんなことはない、梅田がいっているのは、ごくごく軽度で初歩的な人の生き方に過ぎない。各人の心のありように従って生きよといっているだけだ。この程度のことが、素直に受け入れられない「現実主義者」は、「現実という幻想」に固執してしがみついているだけなのだ。梅田は、ちゃんと現実との関わりを失わないような書き方をするように極力努めている。しかし、それがかえって誤解を生むところなのだろう。梅田の極めて現実的なアドバイスを生かすも、生かさないも、完全に各人の自由に任せられている。梅田の示すウェブ活用法は、きわめて現実的な一方で、とてつもなく遠いところまで恐らく届いている。しかし、それは断じて「現実拒否」などではない。

しかし、そうは言ってもさすがに私だって、すこしは現実に戻らずにはいられない。技術系のオープンソースについては、ウェブは間違いなくとてつもない効力を発揮するだろう。しかし、「文科系のオープンソース」については、恐らく現実的には意味を持たないのではないだろうか。グーグルの「善を信じる世界政府的な発想」にも、私はついて行けないし、ごくごく常識的な危惧すら覚えざるを得ない。
つまるところ、その種の問題は、人々の「心」のレベルの問題に帰結する。残念ながら、我々の持っている「心」はどうしようもなく未熟で混乱している。それこそ、2ちゃんを三秒でも見れば分かるが、人の「心」はまだ幼児的段階なのである。2チャンネルを平気かイヤなのかは、自分の心の在り方に、無意識か意識的かの違いに過ぎず、誰の心もそれほど違ったレベルにはない。いかにウェブという受け皿が無限の可能性を秘めていようとも、その主体となる人の「心」がどうしようもないので、残念ながらそれを生かすことなど不可能なのだ。これは、ウェブの世界の問題でもなければ、リアルの世界の問題でもない。大きく出ると、人類の永遠の課題であり、それだけが本来は、唯一の「現実」の問題なのである。


ウェブは、果たして現実の世界に革命をもたらすか。断じて否。
しかし、梅田の本を読んでいると、そんなことはどうでも良いと感じる。梅田の本が喚起する、とても危ういながらも美しい夢を受け取る力を、読者が持っているかどうかが一番肝心な問題なのである。少なくとも、私は何かを受け取ることが出来た。それをどう現実に反映されるかは、徹頭徹尾各人の個体責任の問題に属する。そもそも、どんなに刺激的な書物でも、それが限界なのである。しかし、そういう可能性を、かすかでも提示できる書物は、滅多に世の中には存在するものではない。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(3) | 書評
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本「ウェブ時代をゆく」
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