2007年09月21日

武満徹、ミルトン・ナシメント、南米

何にもする気がしないので、武満をずっと流している。オケ作品、ピアノ作品、フルート作品、ギター作品をつまみ食い。CD店で現代音楽の棚に押し込められている作曲家では、メシアンと武満をよく聞く。理由は聴いていてキモチイイの一言に尽きる。両巨匠には申し訳ない低級な聞き方だが、聴いていて文句なく気持ちよくなってしまう音楽というのは、最高のほめ言葉なのだと正当化してしまおう。メシアンによれば、世の中には色彩のある音楽とない音楽の二種類あるそうだが。武満は明らかに前者に聴こえる。
ギター作品集は、将棋指しとは別人二十八号の鈴木大介が弾いている。武満作品だけでなく、スタンダードやビートルズのアレンジがはいっているのが魅力だ。特にビートルズがいい。ビートルズ、というかポール・マッカートニーの作るメロディーは確かに美しいのだが、オリジナルよりも、うまく編曲したりカバーした際にこそ、ハッとするような美しさを発散すると思う。この武満編曲もそうだ。でも、一番すごいと思うのは、ミルトン・ナシメントが、「ライブ この美しい惑星より」で「Hellow Goodbye」を歌ったやつだ。胸に染み入る。ナシメントは、私に言わせれば、半分人間、半分神様みたいな存在だ。ブラジルには、確かにミューズの神が生きている。それも、西欧式のひとつの体系に属する音楽でなく、多種多様のスタイルの音楽が自然に共存していて、それぞれが自然に美しい。そういえば、ブラジルのサッカーは、自然に白黒が混合したチームだ。
ブラジルに限らず、南米というのは、いまだに、このギリギリに締め付けられた全世界にあって想像力の源である。グローバルな世界秩序に組み込まれるのを本能的に拒否する何かがある。南米に反米政権が、次々に生まれたのは、単なる政治的要因だけではないように感じる。多種多様な要素が雑然と同居し、しかも深刻には対立しあわない。サッカーも、欧州式の組織型ではない芸術であり、日本のようにルールの遵守に美意識をおかず、その場でルールを作ればよく、サポータも、わが国のように秩序だった応援をしたり、ゴミをちゃんと片付けたりせず、試合観戦が即カーニバルの南米。ボルヘス、ピアソラ、ジョアン・ジルベルトを生んだ西欧にはない形の洗練文化の南米。ナシメントのような、原住的文化も生き続けている南米。世界で唯一アメリカに従わない力を持つ南米。テロや犯罪も、日本のようにはきちんと取り締まられていない南米。ヒクソン・グレーシーやヴァンダレイ・シウバを生んだ南米。混沌と無秩序と調和と美と恐怖と文化と自然と反自然の南米。
私は、根っからベタな日本人だし、多分日本以外では生きられないだろうし、日本の快楽文化に安住している怠惰な一人に過ぎない。でも、時々このクソったれな日本の現実の全てがすっかりイヤになり、内田裕也がある映画のラストで「I  can’t  speak fucking Japanese」いったのに共感してしまうような時、南米は、現実逃避の想像力の翼を広げる為の現実でありながら現実ではない幻想の存在であり続けている。
posted by rukert | Comment(2) | TrackBack(0) | その他
この記事へのコメント
武満のギター曲は最初の頃のは奏法を考えずピアノ曲のように書かれているので、演奏するのが難しい、というか不可能だったりした、とのこと。でも、そんな部分は気にせずに弾いてしまえばよいのだそうです。
(失礼、間違ったところに書き込んでしまいましした。そちらのは削除してくださって構いません)
Posted by maro
そうなんですかー。武満のピアノ曲の「間」の話も、しっかり読ませていただきましたよ(笑)。
あと、私は「夢千代日記」が大好きなんですが、あれも武満の音楽がすごく良くきいていると思います。それと、デューク・エリントンに、本気で弟子入りしたいとか言ったらしいのも、気にぃっています。
Posted by shogitygoo
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