2007年09月17日

パリ・オペラ座のマリア・カラス

マリア・カラス没後30周年ということで、記念CD発売等色々行われている。その一環で、スカパーのシアター・テレビジョンで、これが流れている。私ははじめてみた。1958年なので、声も凄けりゃ、美貌やスタイルも文句なしっていうやつです。

マリア・カラス パリ・オペラ座デビューの記録

一部はコンサート、ベルリーニのノルマから「清らかなる女神よ」など、第二部ではゴッピとトスカ第二幕全篇を歌っている。
人を完全に跪まずかせる声というのはこういうのをいうのだろうか。アナウンサーが「パリを征服した」とか言っているが、それが大げさではないくらいである。一人の人間の女性の声だけで、大聴衆の劇場を完全に支配してしまっている。
何より映像でしか見られない風貌とオーラを確認できる。スカラ座でヴィスコンティの演出で「椿姫」をやった際、ヴィスコンティは徹底的に細部まで演技指導をつけたそうだ。共演のステファーノは、それが気に入らず、すっかりオカンムリでヴィスコンティのことを無視しようとしたらしい。しかし、カラスは本当に熱心に演技を完成させようと自発的に協力したという。歌うことについても、演技についても、徹底的なパーフェクショニストのプロフェッショナルだったのだ。
ここでも、あの大きい目のつくりの大きい顔で、ちょっとした表情の動きで完璧に十二分に感情を表現し、舞台での身のこなしも隅々まで計算されつくされ洗練されている。カラスは単なる歌うたいではなく、トータルな表現者だったのだろう。晩年ヴィスコンティ映画に出なかったのが本当に惜しまれる。そういう完璧な演技で、なおかつ圧倒的な声で「恋に生き、歌に生き」を絶唱されたりしちゃあ、もうどうしようもなく感動せずにはいられないってもんです。
私のように、オペラの快楽、特にイタリア物、にはあんまり興味がない人間も、引っ張り込んでしまう何かがマリア・カラスには確かにある。カラスほど、様々な俗性のゴシップに取り囲まれた人間もいないが、彼女の芸術には俗的な要素が全くといっていいほどないのだ。よく言われるように、声の美しさ、テクニックということなら、カラスよりうまい歌手はいくらでもいるのだろうが、総合的な表現者としては彼女を上回る人は過去も、未来も出現しえないだろう。カラスは永遠に前衛であり続けるだろう。
などと、私がたどたどしく書いていても心もとないので、小林利之氏の、何も付け足す必要のないカラス評を紹介して終わりにする。

「カラスの無類さ、その歌のすばらしさは、そのような声の質とか技巧の練達といったマチエールの問題を超越した点にあるのだった。つまり、問題は音楽の本質に迫る芸術性の深さ、表現力の的確さ、その視線の鋭さ、個性美に徹し、音楽的に完璧で、しかも劇的にもシャープな解釈と表現の魅力なのだった。したがって、カラスの歌で聞くと、アリアひとつから、そのオペラの中におけるヒロインの人間像の全てが理解できるといっても過言ではない。」

例えば、このオペラ座での「ノルマ」の「清らかなる神々」を、観ながら、なおかつ聴いていると、そのことが心から納得できる。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシック
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