2007年09月13日

ウォルフレン「日本/権力構造の謎」 上・下

遅まきながら、ウォルフレンの主著を読んでみた。まあ、日本人としては腹立つ本である。これ、読んでちっとも腹立たないって言う人がいたら、尊敬するって言うか、軽蔑するって言うか。まあ、外国人だから遠慮なく言えるというところはある。
要するに、日本には責任不在のシステムから成り立っていて、官僚、政治家、財界人が、管理者(アドミニストレーター)として日本を支配している。しかし、それぞれの力には限界、縄張りがあって、最終的な権力者はおらず、システムをもたれあって維持している。一般大衆は、システムに馴致させられていて、そのことに気づきもしていない。システムの存在さえ理解していない、といったところだ。
根本の理論には別に、取り立て新しい知見があるわけではない。中心の空虚についてはロラン・バルト、無責任の体系については、丸山真男の焼き直しである。しかし、外国人らしく、遠慮会釈なく具体的な事象を次々に叩ききっていくのは、やっぱり一種の爽快感はある。
農協、ヤクザ、右翼、文部省、日教組、組合、田中角栄、警察、記者クラブ、司法、電通、同和問題、新興宗教、流通機構、内務官僚の戦後における復活、等々。無知な私は、知らないこともいっぱいあった。といっても、どこまで真に受けていいものか、留保して読まなければいけないのだろうけど。
政治、経済、社会問題についての分析は、多分、おおむねあっているのだろうなという感覚、あくまで感覚に過ぎないが、はある。
ただ、日本人は、システムへの服従を胸にしていて、なおかつ西欧的な法の普遍的精神に従うことが全くない、というような単純な対比をされると、ちょっと、ちょっとといいたくもなる。
さらに、「それこそ、すなわち日本人的な価値観、文化だ」という抗弁も、実は、管理者が一般人を馴致する方便、自己正当化に過ぎない、とかウォルフレンは言うのだ。まあ、そうかもしれませんけどね。認めないわけじゃないのだが、この本実際に読んでもらえば分かるけど、日本ダメ、西欧ヨシのあまりに自国の文化についての楽観的な対比をしすぎしているのだ。
法の支配が成立しているとしても、あくまで、それは歴史的には自国の文化圏の成員に対してのみであって、異邦人に対しては法もクソもない徹底的に残虐な態度をとり続けていたことなどは、完全に度外視かよといいたくなる。どちらの文化にも、長所、短所はある。西欧文化は、合理的で各個人の自我が確立しているけれどだけども残酷、残忍、非寛容、自己本位、日本文化は、不合理で、権威服従型で現実を変える契機に乏しいが、他者との関係を保つやわらかい自我構造だ。まあ、多分どっちもどっちなのだろうけど。
日本の経済成長が、一般の庶民をシアワセにしていないという指摘も基本的には正しいだろう。しかし、少なくとも衣食住足る、それも十分に足る、という偉業を、このどうしようもない世界の中で達成したことについては、ほんのチョッピリ言及するだけ。働き虫の日本人は、システムに服従しているだけの、意気地のないアワレな人間たちとでも言わんばかりだ。全然、実際の日本の庶民を見ていない。見ていないのはいいとしても、これっぽっちの愛情もない。高みから、従順なアワレな日本人どもよ、目覚めなさいと諭すだけ。まあ、私の言っているのは感情的な批判なんですけどね。
まして、聖徳太子は、仏教の和の精神を支配原理として利用した、とか、本居宣長は、無理論、無原理を主張することで、体制を正当化したとか、これ以上ないくらい浅薄な議論である。親鸞は、超越的普遍的な原理に迫ろうとする態度がすこしはあったし社会批判的要素もあったからから、日本人らしくなくて、なかなかよろしい、とか。カンベンしてよ。
ウォルフレンみたいな人間に深い心の問題など語るのは、ハナから無理なのだろうけど。各人間が、自立して権利をちゃんと主張して、物質的に幸せな活を送れば、それでは万事OK位にしか考えていないのかしら。徹底的な現世否定の契機を含んでいた、イエス・キリストが聞いたら、さぞ悲しむだろうって。
矛盾するようだが、政治において一番大切なのは、国民が不自由なく暮らせるようにすることだけだと思う。心の問題は、各個人が取り組むべきことで、政治が口出しするような低次元の問題じゃない。その意味で、戦後の政治、官僚は、あくまで結果的には、最低限のことはきちんとやったと思う。無論、別に国民のためを思っていたわけでもないだろうし、ウォルフレンの指摘の通り、各人が自立的に考える自由を、とことこ制限する形、心の問題にまで介入しようとするやり方だったという限界付だけれども。でも、ウォルフレンの思うほど、庶民は権力に服従しているわけじゃない。全く実際の庶民なんか、ほとんど見てないのだろう。
今後従来のシステムのままでは、破綻はまぬかれず、「構造改革」っていうやつも、国民の自覚もきっと必要なんだろう。この本は、1990年ごろの本だ。当然、日本を取り巻く状況は、全く今とは違う。で、日本のシステムは変わったか。小泉氏が本人は本気で改革をしようと思っていても、無理だったのは、やる気不足だったのではなく、首相にそんな権限、力がなかったからに過ぎない。官僚、政治家、財界人の、システムに阻まれたわけで、ウォルフレンの分析は生き続けている。また、経済的強者を優遇するシステムの本質は、ますます露骨に表れてきているというべきだろう。
悪口ばかり書いたが、何かを知りたいと思う日本人なら是非一読すべき本だというのが、ねじけた結論だ。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評
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