2007年07月02日

茂木健一郎 「脳内現象」雑感

昨日、脳を科学的に解明して言った上で残る「観察者」「Xの部分」について書いた。言い換えると人間の「私」の神秘である。この本では、その「私」の成り立ちの根本について、脳科学の先端研究成果を駆使しながら迫っている。茂木氏は、そういう問題意識を持った素晴らしい科学者である。


「私」を主観的に成立させる方式として、氏が結論づけているのは「メタ認知的ホムルンクス」である。ホムルンクスというのは、脳の中に住んでいて、働きを遂行している小人である。当然ながら、科学的思考においては、そうした仮設は否定されてきた。茂木氏は「私」の謎に徹底して迫ることで、どうしても「メタ認知的」なその種の問題を仮定せざるを得ないところまで行き着く。


科学者が、科学者であることを全く放棄することなしに「私」の神秘に迫ろうとしたギリギリの思考記録である。

それを追うだけでもう十分価値のある書物である。しかし、やはり素朴な疑問がわく。氏は、やはり科学者として、「私」を成立させる基盤としては、脳の神経ネットワークを大前提にしている。そこに異質な「メタ認知」を持ち込んでいるわけだ。ギリギリまで努力しているにしても、なぜ、脳の神経ネットワークを前提にしなければいけないのだろうか。科学でなくなるからといってしまえば、それまでだ。しかし、結局は科学が通常では用いない「ホムルンクス」を持ち出さないと「私」が説明できないといっている。氏が否定している「独我論」「観念論」に、どうしてもつながってしまっているのではないかという気もする。気がするだけだが。また、逆に脳の神経ネットワークを前提としないで「私」を考えてはなぜいけないのかと、素朴に考えてしまう。

「私」の存在を科学的にではなく徹底的に追及した例としては仏教の「唯識」がある。西欧哲学的には「独我論」「観念論」と分類されてしまうのだが、その精緻な理論構成と重層的な世界観は、私などでは理解しきれないほど凄みのあるものである。宗教というよりは、完全に哲学である。「私」を追及するには、科学ではない、こういうやり方しかないのではないか。私見だが、やはり科学的方法で「私」を見つけるのは相当至難の技なのではないかと思う。

しかし、とにかく色々勉強になる本である。「脳と仮想」は面白い読み物、こちらはいろいろ知見を仕入れることが出来る役に立つ本である。さらりと読めた昨日の本と違って、はっきり言って、今日は読んで今グッタリしているので、もうこれで終わりにする。

さあ、飲もう、でもその元気もあまりないくらい疲れたよ。

posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評
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