2015年09月09日

ルキノ・ヴィスコンティ「地獄に堕ちた勇者ども」

近所のTSUTAYAをウロウロしていて、洋画コーナーでヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」をみつけた。最近は旧作ならば一週間100円で借りてしまうことができたりする。久々にヴィスコンティワールドにどっぷりはまってみた。
ヴィスコンティは若い頃によく観た。あの豪華絢爛で退廃した大人の世界に憧れて。
ただ、今冷静に考えると、「ルートヴィヒ」にしても「家族の肖像」にしても、あるいは名作とされる「ベニスに死す」にしても、内容はかなりトンデモ映画の部類に属する。どれも後期の作品だけれども、もっとまともな「山猫」にしても滅びゆく貴族の姿なんて実は日本の庶民の私などには全く縁のない世界だ。
それでも、この「地獄に堕ちた勇者ども」を観ていると、演出家としては文句なく天才のヴィスコンティのつくりあげるきわめて「映画的」な世界の肌合いに魅せられずにはいられない。
こんな映画を日本人が撮るのは不可能だろう。自身本物の西欧貴族であるヴィスコンティが実際に知っている、大人の人間たちの愛憎虚栄退廃美意識といったものがビシビシ伝わってくる。日本人にも愛憎の世界はあるが、それらが子供に見えてしまうくらい露骨すぎるくらいの冷酷な世界がある種心地よいのだ。
ヘルムート・バーガーが女装してマレーネ・ディートリッヒの「嘆きの天使」を真似るあの退廃した世界。
DVDの付録にヴィスコンティのインタビューが収録されていて、本作はナチスがどういうものだったかを描くのに価値があるとか述べている。確かにナチに対する痛烈な批判ととれなくもないが、もうそんな事はどうでもいいくらいヴィスコンティ的な大人の人間の普遍的な愛憎劇だと思う。そもそもヴィスコンティが本気でナチ批判を目的としてこの映画をつくったなどとは私には信じられないところがある。
ラストのところで、ヘルムート・バーガーがダーク・ボガードとイングリッド・チューリンに毒薬を渡して死を迫り、二人を置いた部屋を去り、外のパーティ会場をウロウロするシーンは素晴らしいシーン、演出だ。何もセリフの説明はないが、ヘルムート・バーガーの表情の動きで、彼の落ち着かない不安と憎悪などが入り混じった言葉では説明不能な心の動きが映像だけで如実に伝わってくる。きわめて映画的な表現作法だと思う。
役者はダーク・ボガードを始めとして皆素晴らしいが、何といっても強烈な印象を残すのはヘルムート・バーガーとイングリッド・チューリンである。
バーガーの神経過敏で繊細で弱くてなおかつ狂気と攻撃性をあわせもつキャラクターは鮮烈である。
ただ、私がすっかりやられたのはチューリンの方だ。ベルイマンでおなじみのこの女優はやや歳をとってからヴィスコンティに抜擢された。ヴィスコンティによると、ドイツには役にふさわしい女優が見当たらなかったので、ドイツ人に見えるスウェーデンの大女優のチューリンを呼び演技にも大変満足していたそうである。
チューリンの気の強い女ぶり、ボガードを虜にする魔性の女ぶり、それでいながら女性としての繊細さともろさが全てよく出ている。実にチューリンにピッタリの役で彼女の魅力がベルイマン映画に劣らないくらい存分に発揮されている。
チューリンは役になりきるタイプでベルイマンでは本当に様々なタイプを完璧に演じ分けている。ちょっと彼女には意外な役の「冬の光」でのうざい愛情をまきちらす醜い女の演技が個人的には好きだ。彼女の場合、演技というよりまさしく役になりきって、その役の人間を生きてしまうようなタイプである。
この「地獄に堕ちた勇者ども」では、様々な性格の混合を求められる難しい役にやすやすとなりきってやりきっている。
前半の魔性でこわいくらい気の強いきつくてなおかつ優美な女と、バーガーに近親強姦されて気がふれてすっかり純真な少女のようなもぬけのからになった女の対照が鮮烈で、なおかつ両者をごく自然に演じきっているのである。
というわけで、私はこの後チューリンがベルイマンに出演した全九作をまとめて観る羽目になった。改めてどれも素晴らしい。それらについては、また追々このブログで書ければと思っている。
ちなみに、この映画にインスパイアーされてつくられたのが、「カリギュラ」のティント・ブラスが監督した「サロン・キティ」である。やはりナチス時代を題材にしていて実在した娼館のサロン・キティを描いている。
ヴィスコンティを観た後では、やはり映画の出来としてはちょっと比較にならないけれど、こちらもバーガーとチューリンが主役をはっていて、ハッキリ言えばこの二人を観るための映画と言っていいだろう。
バーガーは「地獄に」の延長線上の似たようなキャラクターのナチ将校でやはり狂気の美をまきちらしている。やはりすごい役者ではある。
一方、チューリンはサロン・キティの女将役。こちらは「地獄に」とは全く異なる娼館の人間、男と女を知り尽くして、きわめて女性らしく、なおかつ心も優しいという役である。これまた、サロンキティのマダムはこんな人だったのではないかと錯覚してしまうくらいなりきっている。
そして、肌をみせて踊りや歌も披露している。映画公開当時チューリンは50歳。
その八年後のベルイマンの「リハーサルの後で」でも、脚や乳房を披露していた。大女優としては珍しく裸をみせるのを最後まで全くいとわない人でもあった
posted by rukert | イングリッド・チューリン
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