2012年10月22日

成瀬巳喜男「夜ごとの夢」

WOWOWの黒澤全作品一挙放送が終った。大変愉しかったし、黒澤映画について様々な再発見もあった。
最後に書いた「夢」のレビューで書いたように、黒澤というのはある種のリアルな夢を見つづけた夢見人であって、それは単なる空想やイマジネーションではなく、現実以上にリアルな別世界を彼は常に瞥見していたのだと思う。それは、モノクロ時代の名作群から一般には不評だった後期のカラー作品まで一貫している。
黒澤は大変意識的で現代的な作家であった一方で、その本質においては理屈抜きのある種の現実以上に現実的でリアルな世界とほとんど本能的なつながりを常に持ち続けていたある種のシャーマンであって、それが彼の創造する映像に有無を言わせぬ説得力を与え続けていたのだと思う。
とは言っても、私自身の個人的な資質から言うと黒澤映画は少々疲れる。本音の部分で言うと、私が本当に好きなのは小津や成瀬の方だ。いや、この二人も全く異なる個性の持ち主なのだが・・。
成瀬巳喜男映画については、一時期集中的に書き続けたことがある。ただ、彼のつくった映画の数は大変多く、結局途中で投げ出してしまった。また、残念ながら私は全作品を見ているわけではないのだが、かつてスカパーでまとめて放映された際に録画しておいたビデオを引っ張り出して見ている。続きを少しやってみようと思う。

この「夜ごとの夢」は成瀬のサイレント時代の代表作とも言われる。
主演は栗島すみ子。
サイレント映画時代の代表的な女優だそうである。成瀬作品では後年の「流れる」に登場して山田五十鈴を支えているようで最後に見事な裏切りを見せる重要な役をやっていた。すごい存在感だった。
ここでは、健気に生きる酒場の女給役。そして、この頃から成瀬映画の中の女性はとても美しい。ここでの栗島すみ子も大変魅力的である。成瀬というの女性に対してある種の極限的な理想主義者であって、恐らく現実の女性よりもイディア的な女性を終世描き続けた。ここでの栗島もそう。
そしてその女性像は、当時の大人しいおしとやかな女性とは程遠く、大変生命力があって逞しくて男というダメな生きものより一段上の存在なのだ。成瀬映画が最も日本的で伝統的保守的な映画のようでいて、実は最もラジカルで現代的なのは、そういう女性の描き方に尽きると思う。それは多分成瀬の理屈ではなく、ほとんど本能的な女性の本質に対する洞察によるのだと思う。
そして、そういう女性観は多分現代、この2012年という時代にあってようやく現実のものとなり誰もが納得出来るものになりつつあるのではないだろうか。成瀬はあくまで個人的な女性の趣味で映画を撮り続けたが、やっとそれが普遍性を持ちつつある。今こそ成瀬映画は見られるべきだ。
そして、その対極となる男性像を斎藤達雄が演じている。小津のサイレントでも欠かせない役者だが、ここでは徹底的なダメ男だ。これも成瀬映画の永遠の定番だった。
斉藤は結局現実的には何の役にも立たず、自暴自棄になって強盗を働き自殺する。
それに対して栗島はラストで実に成瀬映画的な反応を見せる。斉藤の死に悲しみにくれるのではなく、現実から逃避したことに対して「意気地なし、卑怯者」となじるのだ。そして交通事故で負傷した息子に対して、もっと逞しい男になってくれと言う。
これは、まさしく成瀬映画で何度も何度も形を変えて現れ続けた女と男の姿に他ならない。現実的な生命力があって美しくて魅力的な女と、とことんダメな男。それがこの映画で端的に表現されている。

成瀬的な「視線」の演出もこの頃からだ。例えば、旅から帰ってきた栗島すみ子が乗り合いの船に乗ると、一般の乗客が栗島のいかにも水商売らしい様子に対して白い目で見つめる。栗島がその視線を敏感に感じ取って、目を伏せる。何もセリフはないのだが、映像だけで全てが分かる。
そして、酒場の女給として働く栗島の様子が何とも言えず健気だ。坂本武演じる船長に金の恩気で関係を迫られるが、それほうまくいなして毅然と断る様子。女の洗練と強さを同時に感じさせる。
それに対して斉藤はただオロオロするだけで、こんな商売などやめてくれと言うのだが、栗島は「これくらいの出入りがこわくてこんな商売がゃっていられるか」と言い切る。ここでも、現実的で生命力のある女とひたすらダメな男の対比がある。
映像としては、二人の子供が、斉藤が草野球に興じる間に土管の上に座るシーンが素晴らしい。広々とした青空が背後にひろがる。そして、子供は斉藤の破れた靴をキャラメル菓子であてがう。何とも微笑ましい。
交通事故にあった後の子供の映し方も巧み。頭に包帯を巻いた子供がかわいそうで本当に天使のようだ。
そして、斉藤が自殺した知らせを聞いた栗島が、走り続けるシーンも素晴らしい。そこに彼女の心の動揺や不安があますところなく表現されている。
そういえば成瀬の後年の「乱れる」のラストもこれと似ていた。加山雄三が自殺して高峰秀子が、同じように山道を走り続ける。あのラストは余りに唐突だったので違和感があったが、同じシチュエーションでもサイレントだとこの突然と描写の省略が大層効果的だ。そう思うと「乱れる」のラストもなかなかだったのかと思う。
と同時に成瀬は本当はサイレントとか戦前の風俗が本当はあっていた人間だという気もしてしまう。実際、私が見た限りでは、一般的に名作とされる戦後の成瀬作品よりも、戦前や戦中の成瀬映画の方が何十倍も素晴らしいのだ。
posted by rukert | 映画
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