2012年09月21日

黒澤明「八月の狂詩曲」



この映画も一般的な評判はあまり高くない。私も昔は正直言って、この作品を含めて後期の黒澤のカラー作品にはピンとこないところがあった。でも、改めて今回見てみて驚くほどこの映画を素直に受け入れることができた。
長崎の原爆の問題にわりとストレートに取り組んだ問題である。また、そういう政治的意図以外にも、映画の語り方が少々教訓的だ。登場する子供たちも、どちらかというと「黒澤の年代の考える子供たち」であって、実際はかなり違うだろうと思ってしまう。口の悪い言い方をすると、お酒を飲むとやたら若者に説教をしたがるお爺さんの視点のようなものを感じてしまうのだ。全般に少し時代感覚とずれている。
しかしながら、そんなことを一々気にしないで映像だけに集中すると、これが驚くほど美しい。家の中やその外の自然、山の遠景、近所の滝、そして鉦おばあちゃんを始めとする家族たちのさりげない様子が、ごくごく普通に撮られているのだが、それがなぜか心に染みいってくる。
この前に黒澤は「夢」という映画を撮っているが、後期の黒澤の映像はどれも皆妙にリアルな夢のような性質があると思う。この作品もそうだし「まあだだよ」もそうだ。
後期の一部の黒澤作品には不思議な事が起こっていて、劇的なストーリー性ということでは全盛期のモノクロ映画に遠く及ばず退屈だったりするのだが、映像そのものを何の先入観もなしに純粋に見つめていると、むしろその画の力はパワーアップして深さを増していると思う。
黒澤は映画作家だが、その劇的創作力が次第に衰えて行く一方で、映像そのものへの職人的なセンスは年齢と共に明らかに成熟している。
その事を今回WOWOWで全黒澤作品をまとめて見て感じた事だ。そして、そういう映像自体の持つ力というのは、言葉で説明するのが大変難しい。
滝のところに子供で言って海蛇が出るところや、おばあさんが二人で黙って家の中で座っているところや、ピカの目の山の向こうのイメージなど、どれもさりげないのだけれど、も不思議に心の奥深いところをくすぐる。どちらかというと、見た後の余韻として何かが残るのだ。まさしく、リアルな夢のようなのである。
そして、ラストの皆が大嵐の中を走るシーンは文句なく素晴らしい。ほとんど、老人虐待のようなすごい撮影なのだが、何か意味があるのではなくてイメージ自体が語る説得力がある。アリのシーンにしてもそうだ。
そして、「野ばら」という映像とは対照的な
音楽を使う黒澤得意の「対位法」もここではうまく行っていると思う。時には「野良犬」などでは、わざとらしく感じたのだが、映像に具体的な意味やストーリーがないので、自然に受け入れる事が出来るのだ。
主役の村瀬幸子は自然で大変良い出来だし、リチャード・ギアも役のキャラクターとしてき意外にもハマッていてことの他よい。ラストの子役たちだけでなく、根岸季衣の走りっぷり、こけぶりも中々よかった。
この映画では、長崎の原爆をわりとストレートにとりあげている。何も世界の黒澤は、わざわざ原爆問題を取り上げなくても映画を撮れただろう。
しかし、黒澤は愚直なくらいに長崎の原爆のことを描いている。こういうところが実に黒澤らしいと思う。そして、「生きものの記録」でも分かるように、黒澤の原爆に対する多度というのは、政治的というよりも、むしろ生理的感覚的レベルの切実な問題であったような気がする。あのピカの目のイメージにしても、下手をすると通俗的になりかねないのだが、黒澤的な想像力の中ではきわめてリアルなのだろう。
現在においても、我々に一番欠けているもの、必要なものは黒澤的な素朴な想像力だと思う。我々は知識で頭を一杯にしすぎて現実を分かったつもりになっているが。
posted by rukert | 映画
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