2012年09月18日

黒澤明「どですかでん」



色彩豊かなたくさんの電車の絵に囲まれて、六ちゃん(頭師佳孝)とその母親(菅井きん)が猛烈な勢いで南無妙法蓮華経を唱えている。
六ちゃんが母親を心配するが、実は六ちゃんの方が実に見えない電車を一日中運転している知的障害の子供だ。六ちゃんが架空の電車を運転するシーンが長々と映し出され、近所の子供たちが六ちゃんをバカににして石を投げつける。そのバックで武満徹の何ともいえない優しい素朴な音楽が流れだす。
そのようにしてこの映画は始まる。その間、特に何も起こらない。それまでのモノクロの「赤ひげ」までは、常に劇的な何かが起きていた。しかし、この映画では映像の持つ力だけで勝負しようとしている。
また、これが黒澤初のカラー作品だ。黒澤らしくカラーである事を徹底的に考えて、意図的に原色系を用いたり、独特の色彩感を明らかに生み出そうとしている。
この映画は後期黒澤の幕開けで、ストーリの展開ではなく映像の持つ力だけで表現しようとする後期の特質がはっきり出ている。「夢」や「まあだだよ」もそうだろう。
特に遺作の「まあだだよ」では、本当にもう何も劇的な事件はおきない。あれは多分夢の中で起きている事なのだ。内田百閧竰子の言う事は実は全然面白くも何ともない。しかし、皆が楽しそうに笑っている。あるいはどうでもいい事で喜んだり悲しんだり泣いたり
している。
しかし、退屈しながら見終えるとその映像イメージが不思議と無意識の深い部分に働きかけてくる。ある種の夢が現実以上に現実であるように。
「まあだだよ」は後期黒澤のある意味での究極の到達点だったのだと思う。この「どですかでん」にも、そういう映像だけが独立して持つ不思議な力があると思う。
その、一方で以前の黒澤映画のストーリー性もまだ失われていない。これは明らかに現代版の「どん底」である。社会の最底辺を生きる人間像ドラマが併行して次々に語られてゆく。そういう、物語としての面白さも決して欠けていない。
この、「どですかでん」は本質としては後期黒澤でありながら、前期黒澤の面白さも残している過渡的な作品である。そして、初のカラーの実験的な色彩。というわけで、この作品は何ともいえない個性を湛える素晴らしい作品になった。
題材が地味なので、当時興行的には完全に失敗したそうである。それも理解できる。しかし、現在の目で見ると大変レベルが高くて鑑賞に堪えるフィルムだと思う。

黒澤映画史上では、そのように位置づけられる作品である。ただ、個人的には私がこの作品を本当に好きなのは、映像面よりはその人間模様の描き方の方だ。
この映画には、六ちゃん親子を始めとして、本当に様々な人間が出でくる。無垢なもの、天使のようなもの、優しいもの、ろくでもないもの、サイテーな人間、健康的な人間、普通の人間、悟ったような人間・・。その誰かが主役というわけではない。集団の人間劇だ。「どん底」と同じ手法である。
そして、その善も悪も何もかもを黒澤はそのまま否定せずに受け入れて描いている。決して、善なるものたちを肯定して悪の者たちを
否定するのではなく、その全ての人間の業を大きく抱きとめているのだ。
黒澤は大変正義感が強い人だったようで、映画でもそれが表に出すぎて下手をすると勧善懲悪劇になりがちなところもあった。しかし、ここでの人間のあらゆるダメな部分に対してひっくるめて、突き放していて同時にあたたかい目が素晴らしいと思う。私はこの映画のそういう部分が大好きなのである。

頭師佳孝の六ちゃんは、文字通り世の中に何も役に立たない存在だけれども、ただとにかく生きているだけで素晴らしいという意味でこの映画の象徴である。彼が主役にクレジットされていながら実際は主役ではないのだが映画の本質では中心人物なのである。「赤ひげ」の天才子役が忘れられないが、ここでも架空の電車を運転ぶりが見事である。
その母親の菅井きんは、冒頭の南無妙法蓮華経の唱えっぷり、そして店先の「電車バカ」の子供の落書きを必死で消してヤケになったように天ぷらを揚げるところ。この映画の物悲しくてユーモラスな描き方の一例である。
絵描きの加藤和夫は、「生きものの記録」で、歯科医の志村喬の息子を演じていた人だそうで分からなかった。
伴淳三郎は、悪妻のことを同僚に罵られて怒るところが意表をついて良かった。
三波伸介の何とも心の優しい父親ぶりはなかなかハマっていた。子供たちとのやり取りが大変良い。
芥川比呂志は何もセリフもなくて、あの異常に絶望した目だけで全てを表現するというのもよかった。一度の浮気で奈良岡朋子を最後まで許そうとしないのは、ある意味冷酷なのだが、そういう人間像も黒澤はそのまま肯定しているのだ。
乞食の子供の天使ぶりと、父親のダメぶりの対比ぶりもよい。父親は、完全に現実から目をそらして想像の世界に逃避してしまっている。子供に食料の調達もやらせて、自分のせいで食中毒で苦しんでいるのに、子供の介抱もせずにうろたえるだけ、病院にも見せる事も片意地に拒んで結局子供を殺してしまう。
しかし、この最低な人間に対しても、たんばさんの口を借りて「強情?芯の弱いかわいそうな人だ」と言わせている。決して否定はしていないのだ。父親の三谷昇が実にイヤな感じだった。ちょっと本当に同情できないくらいに。
井川比佐志と田中邦衛と二人の女の生命力溢れる健全な?夫婦交換も面白かった。こんな人間も、一度の浮気の場面が忘れられない芥川比呂志も同時に描いてしまう映画なのである。
松村達雄の人間のクズぶりは素晴らしかった。こういうのをやらせると本当にうまい。「まあだだよ」よりも、こちらの方が断然よい。悪事が露見して大慌てで逃げるところを妻が何も言わずに黙っている演出もなかなか良い。
かつ子(山崎知子)の不思議な天使ぶりも印象に残る。
「生きものの記録」や「赤ひげ」でとても光る演技をしていた根岸明美も「渋皮のむけた女」という変な役で出ている。ここでもジーンズ姿でそのプロポーションをさらけ出しながら、「赤ひげ」同様の一人芝居を見せている。常に不思議な存在感がある人だ。
ジェリー藤尾、塩沢とき、二瓶正也も端役で出ている。
しかし、この映画で一番重要な役は、渡辺篤のたんばさんだと思う。クレジットでは他に混じって本当に後の方に出てくるのだが。
この最底辺の暮らしの中を、飄々とある種の悟りを開いたように静かに生きている。全てを肯定する黒澤の視点の代弁者だ。
泥棒が入ってくれば親切に金をわたす。先ほど述べた乞食の父親に対する深い人間洞察も然り。
ジェリー藤尾が泥酔して大暴れしているところにヒョッコリやってきて、「ちょっと代わろうかね、私が代わろう、一人じゃ骨折れるだろうからね。」と言う。ジェリー藤尾も呆気に取られてすっかり大人しくなる。まるで禅問答のようだ。
渡辺篤は黒澤映画の脇役で出演しつづけてきた名優である。新しい役者たちに混じっていると、やはり風格、品を感じさせる。酒場のオヤジのチョイ役で三井弘次も出てくるが、やはり役者としての格が違う。
そして、やはり名優の藤原釜足と渡辺篤の二人のシーンはさすがに素晴らしい。死にたくなった老人の藤原に渡辺が毒薬を飲ますが、死ぬのがイヤになった藤原が激しく渡辺を責めるところのおかしさ。昔の黒澤組の役者の素晴らしさが再現されていた。
そして、実は飲ませたのは単なる胃薬というオチ。とにかく生きていればいいというこの映画での黒澤のメッセージが、そこには集約されている。
この「どですかでん」も一般的な評価は低いが間違いなく黒澤の名作の一つだと思う。

posted by rukert | 映画
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