2012年09月16日

黒澤明「わが青春に悔なし」



この映画については、一年半前ほど前に書いた事がある。自分では何を書いたかすっかり忘れていて驚いたのだが、やはりマルセ太郎ネタで我ながら呆れた。ワンパターンである。

MONOGUSA blog 黒澤明「わが青春に悔なし」雑談

さすがに時間が大して経ってないので感想は今もさほど変わってない。前回書いてないことを若干補足しておこう。
黒澤は、その役者のイメージとは全く異なる役をさせたがるところがある。この映画や「白痴」の原節子はその最大の被害者?だろう。
ここでの後半の農民役も勿論だが、前半の勝気で少し我儘なくらいの自己主張の激しいお嬢さんというのも、多分当時の「アイドル」原節子のイメージには反するものだったのだろう。
しかし、見れば分かるように本作でも「白痴」でも、原節子という役者、あるいは人間の持つ激しい過剰な部分が見事にはまっている。黒澤は原節子のそういう部分を多分直感的に見抜いたのだろう。そういう理屈ではない勘はすごく鋭い人である。
但し、そういう部分を引き出したのは黒澤だけではなくて、小津も「節子」的なお嬢さん的な役をさせながら、「晩春」で原の過剰な部分をある意味では黒澤以上にラジカルに引き出して見せていた。いや、成瀬の「驟雨」なども普通のようでいて実は普通じゃない。
原節子は、あの時代の役者には信じられないくらい「個」や「自我」を感じさせる存在である。そして、(一緒に論じるのは不可能だが)、黒澤や小津や成瀬というような「日本的」であるようで、常にそこから逸脱する過剰な部分をもつ作家たちにその個性がピタリと合っていた。
原節子は、あの時代の日本映画に出るために、全く時代にあわないのにあの時代に生まれたのである。黒澤が、ある意味ではそれを一番ストレートに引き出して表現した。
藤田進は「姿三四郎」の大らかな役と違って、ここでは大変政治的な役だ。うまく演じていると思うが、多分本質はこういうところにある役者ではないような気もする。昔に初めて見た時は「姿三四郎」も何も知らずに見てあまり苦悩する政治犯のようには見えないと思った記憶がある。
藤田は戦時中は、多くの戦意高揚映画に主演して軍人俳優として活躍して、本人もその事を気に病んで戦後派引退も考えたが、他にやる事もなくて役者を続けたそうである。ここでは、戦時中とは正反対の自由主義者の役だ。
役者としての出来ということでは、河野秋武が素晴らしい。実に小心で屈折した心の卑劣な男といった役柄だが、そういう人間のいやらしいところをクセのあるキャラクターで見事に演じている。
映画冒頭あたりで、藤田にズケズケと物を言われて機嫌を損ねた原節子が河野に対して「ひざまずいて誤りなさい」と唐突に言うシーンがある。これも考えてみればSMプレイのようなすごい設定だが、その後の原と河野の関係を象徴していると言えなくもない。
志村喬が、「毒いちご」というイヤな刑事役で登場するが、その目つきの悪さといやらしさといったらない。本当に役に応じて変幻自在に肉体レベルまで変えることの出来る役者だった。
後半の農村シーンは、どうしても原節子がささぞかし大変だったろうと思ってしまう。でも、よく考えると杉村春子だって、役のキャラクターとは違って農作業なんか実際にはしたことなどないはずだ。むしろ年齢を考えると原以上にきつかっただろう。杉村が、この後しばらく黒澤映画にしばらく登場しなかったのもこれにこりたのだろうかなとど勝手に想像してしまう。

さて、本作は政治映画である。前回感想を書いたときに、その善悪二元論が気になると自分でも書いていた。今回も観ながら、やはりそんなことを考え続けていたのである。
ただ、これはそもそもGHQの奨励したいわゆる民主主義映画だ。つまり、黒澤も本当に思うままに自由につくれたわけではない。戦時中とは逆の意味で。
だから、黒澤が政治的に本当にどういう考え方をしていたのかを、この映画だけで解釈してはいけないところもあるだろう。
前回にも書いたが、政治映画としては少し善悪を二元対立して分かりやすく描きすぎているのが気になる。藤田や原がヒーローになりすぎているところがある。
しかし、そもそも黒澤はそういう政治的メッセージが言いたくてこういう映画をつくったのではないような気がする。
黒澤は戦時中に「一番美しく」という、一見封建的な道徳を賛美するような映画を撮っている。しかし、そこではそういう思想はほとんど関係ない女性工員たちの人間らしい姿が、黒澤らしいあたたかい視線で描かれていた。
この映画の原節子も、「民主主義者」というよりは、結局は一人の人間である。
当時、この映画と大変似た設定の映画があって、その圧力で後半の脚本が大きく書き換えられたと言う。確かに、原が農村に行って働くのはストーリーとしてはやや唐突である。しかし、そのおかげてあの原の鬼気迫る姿をとることが出来た。そして、そのせいでこの映画が浅い政治映画であることをまぬかれてるような気もする。
黒澤は同時期の日本の巨匠たちと比べると、現実に即した「政治的」メッセージを映画にこめるほうではある。だが、黒澤映画の魅力は、そういう理屈のレベルのメッセージからはみ出る何かが常に映像から伝わってくる事だ。それは人間賛歌という言葉でも説明しきれない得体の知れない何かである。だから、黒澤は立派な映画監督なのだ。
posted by rukert | その他
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