2012年09月10日

黒澤明「赤ひげ」



そう簡単に見られる映画ではないので、今回きちんと通してみるのは多分三度目だろうか。毎回見終えた後には、少しグッタリしながら心地よい疲労感に包まれる。これだけ「濃い」映画もまずないだろう。
私は多分10年ごとくらいの周期で観て、毎回感動してしまったのだが、毎回目から放出される液体の量が放物線状に増加する一方だ。まぁ、単に年をとって涙腺がゆるくなっただけなのかもしれないが。
しかし、最近黒澤映画が本当に素直にいいと思えるようになってきた。この「赤ひげ」は、そのヒューマニズムが強烈すぎて、若い時にはちょっと照れながらも心打たれるといった感じだった。
今はただ素晴らしいと思うだけ。いや、この「赤ひげ」だけでなく、黒澤明は初期から晩年に至るまで実に「まとも」な人だったと思う。黒澤映画は「大人」(あくまでカッコつきの)には、少々照れくさかったりするところがあるのだが、今観ると実にまっとうな素直な感性、考え方の持ち主の映画である。
実は当たり前のことを当たり前に言うのは大人になるほど難しくなる。黒澤映画からは、その遺作の「まあだだよ」に至るまで、少年の澄み切った目が感じられる。
しかし、実は大人でいながら子供の心で居続けることは難しい。黒澤も映画制作を続けながら、様々な体験、人の裏切りを体験したようだ。本人は、「乱」の一文字秀虎は自分だと言っていたそうである。そしてオリジナルの脚本では次々に裏切る者たちが具体的に誰なのかが見る人が見れば分かったそうだ。
しかし、黒澤は最後まで子供のような素直なものの見方をし続けた。具体名は挙げないが、世界や日本の映画監督でつくる作品は本当に素晴らしいが、政治的な考え方や人格はサイテーという人はたくさんいる。それはそれでいい、映画作家にとって残した映画が全てだから。
ただ、黒澤の場合、映画でかなり率直に語ろうとしている事が実に普通でまともで正しい―誤解を受けそうな言葉だが―と思う。一見単純な正義感や思想に基づいているようで、黒澤の場合はあくまで自身の肉体的な感覚に根ざしていて、決して理屈とか理想ではなかったような気がする。
例えば、「生きものの記録」にしても、あれも単なる反核メッセージではなく、黒澤のほとんど生理的レベルでの感覚だから映像にとてつもない迫力があり説得力を生んでいる。決して薄っぺらな理屈ではない。
子供は実は全然純真でも素直でもない。敏感な彼らほど、大人の世界の掟や論理を感じ取っている。だから、その暴力性は大人のような飾りがないのでむしろ時として激しくなってしまう。
子供は大人の世界をこわいくらい反映している。そして、そうした子供が実際に大人になると、その暴力性をもっともらしい理屈で正当化して生きるうえでは仕方ない事としてわりきるようになる。立派な大人の誕生である。現在の世界で当たり前のように起きているのは、そういうことだ。
だから、子供の目をずっと持ち続けるのではなく、むしろ大人には一度死んで子供の目を持つ努力が必要だ。大人の論理、世界観、硬直した感性を全て疑って。勿論、それは言うは易く行なうは難い。私もその一人だ。
しかし黒澤はそういうことが出来ていた、というよりは、そうせざるを得ない生理的レベルの感覚を持ち主だったのだと思う。
「生きものの記録」のラストの中村伸郎扮する医者の言うように、狂った世界では正常な人間が狂っているように見える。しかし、稀にそういう正気を保たずにはいられない人間が現れる。あの映画の三船が演じた老人もそういう人間だし、黒澤明自身もそういう人だったのだろう。
この赤ひげも「黒澤流の泥臭いヒューマニズム」の映画などではない。ごくごく、まっとうで普通な感覚の、そしてとびっきり素晴らしい映画ということだだ。「それだけだっ。」」もし、赤ひげのように言うならば。
佐藤勝のテーマ音楽は、どことなくベートーヴェン第九の歓喜の歌のテーマのような雰囲気がある。荘重でいて生の喜びに満ちていて。この映画は、黒澤の「第九」とも言えるだろう。黒澤映画のそれまでのあらゆる要素が詰め込まれていて、スケールも大きく内容も濃密。そして、白黒映画も三船主演もこれで終わり。最後の交響曲である。

赤ひげと加山雄三の出会いのシーンからして素晴らしい。三船がものすごい目で加山を睨みつける。あくまでその器量を計るように。加山は一瞬ひるむが、鋭く視線を返す。赤ひげは、多分見どこがあると思ったのだろう。そして、偉そうに陰口を叩いていた江原達怡は、こわがってコソコソしている。そういったことが、言葉の説明なしにきちんと伝わってくる見事な演出。
ここでの加山雄三は本当に素晴らしい。この役柄は、一本気で単純なようでいて、なかなか人間の器の大きさがないとこなせない。「椿三十郎」同様、黒澤映画の加山は本当によかった。
香川京子の狂女。こういう役は珍しいが、本当にすごい女優である。加藤の前にあらわれた瞬間、目がとろんとしていて、どこかおかしいのがすぐ分かる。完全にオーラまでなりきっている。そして、加山をかんざしで刺そうとする際の目のこわさと言ったらないが、これはキャッチライトの効果だそうである。それにしても、この香川の目や表情も本当におっかなくて素晴らしい。
六助の藤原釜足は、配役を見るまで分からなかった。セリフもなくて、ただ喘ぐだけの難しい役だ。
根岸明美が長セリフで身の上を語るところも印象的。
「10分近い長い台詞を本番1回でOKにした。しかし本人はそのラッシュのフィルムを見ている最中に撮影中のことを思い出して感極まり、試写室を飛び出してしまった。以来、映画本編を未だ一度も見ていないという。」
ウィキペディアより)
「生きものの記録」でも存在感がすごかった。この人は、プロポーションが素晴らしくて肉体派女優と見られることも多かったそうだが、このシーンでの完全に「入ってしまっている」感じといい、すごく感受性の鋭い役者だったという気がする。
佐八の山崎努とおなかの桑野みゆきのエピソード。山崎努は「天国と地獄」とは対照的な役で、これが黒澤の得意のパターンだ。そして、桑野みゆきは小津の「彼岸花」や「秋日和」では、まったく無邪気な若い娘の役だった。というわけで、ここでも偶然かもしれないが全く小津映画とは違うタイプの役である。
この二人のエピソードは、療養所外のロケが使えているので、二人の逢引の雪野原、再会の坂道、火事のシーンなどの情景が見事。こういう外の撮り方もちゃんと集大成として繰り入れている。
勿論、黒澤に欠かせない名俳優も贅沢な形で登場する。赤ひげにイヤミをいう商人に志村喬、長屋の人のいいオヤジで東野英治郎、酔ってわめく三井弘次もよかった、療養所の患者で左卜全と渡辺篤、家老で西村晃などなど。
おとよの二木てるみのエピソードでは、娼家の女主人で杉村春子が登場する。相変わらず達者で見事。本来憎たらしい役なのだが、改めてみると結構おかしい。
おとよを連れ戻しに療養所にやってきて、「まぁ、先生なんてお礼を言っていいかけ」とか言ってゴマをすって、断られると怒る啖呵の見事な事。本当にうまい。そして、おかしい。実は三船に結構ひどいことを言われている。笑える。
そして、療養所の女房たちが杉村の頭を大根でなぐるところは腹をかかえる。この映画随一のコメディシーンだ。
杉村も「わが青春に悔いなし」では重要な役をしていたが、黒澤映画にはあまり縁がなかった。やはり総決算の映画に特別に登場した感じである。
そして、赤ひげの娼家街での決闘シーンは医者として設定が無理だが、「第九交響曲」なので、どうしても三船に「用心棒」や「椿三十郎」をやらせたかったのだから仕方ない。
おとよに赤ひげが薬をやろうとして三度はねのけられて、やっと四度目に飲む有名なシーン。これは何度見てもつい泣けてしまう。そしてよく見ると、二木てるみが実にうまい。
そして、長次の頭師佳孝。あの顔と喋り方。完全に反則である。こういうのを天才子役という。そうとしか言い様がない。黒澤映画には、この後「どですかでん」などに出演し続けるが、「夢」で日本兵の亡霊の役をしていたたのも忘れがたい。
そして、ラストでは登の父で笠智衆、登の母で田中絹代が登場する。
「黒澤は、自身の先輩である小津安二郎監督作品の看板役者であった笠と、溝口健二作品に多数出演した田中を自らの映画に出演させる事により、2人の日本映画の巨匠監督への敬意を込めたと語っている」
(同ウィキペディア)
全くもって念には念をいれた「第九」だ。
そして、ラストで加山に「ふんっ」と言い捨てて後姿で去っていくところは、「用心棒」や「椿三十郎」だ。さすがに肩をゆすりはしないが。
posted by rukert | 映画
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