2011年11月14日

2011-11-14-2

monogusablog / monogusablog
311以来ブログを更新する気力を失って現在に至る。現実を語るには重すぎて、私が普段書いているような趣味の話は軽すぎる。時間の経過に解決を期待したが現在もある種の宙吊り状態が続いている。いや日本だけではなく世界全体がなにやらザワザワしている。 at 11/13 22:24
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そのような時代状況下で個人としてどう生きるべきか。とても簡単に答えが出てきそうにないが、とりあえず普通にオロオロしながら、しかし不必要に悲観もしすぎずに「人間」として暮らしていくしかないように思う。 at 11/13 22:28
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例えば、政治的な大改革による変化や「宗教」による救いを求めたくなる状況だけれども、それはある種の罠のような気がする。こういう救いのない状況で、そのまま救いのないまま受け入れるのが唯一の救いのような気がする。 at 11/13 22:31
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勿論、現実をそのまま受容したり無思考に陥るということではなく、ありのまま人間存在を受け入れるチャンス。この期間色々な本を読んだが、吉本隆明の「決定版親鸞(最後の親鸞等を含む)が面白かった。 at 11/13 22:34
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私は吉本さんを理解しているとはとても言えないし、また違和感を感じる点も多いし、例えば昔読んだ時に親鸞が究極的には宗教を解体するのではないかという現代的論点についていけなかった。しかし、こういうギリギリの状況下で読むと「宗教」の限界的意味について考えざるをえない。 at 11/13 22:36
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私は個人的には「宗教」の周りをウロウロしながら、「宗教」と縁のない人間だった、ずっと。。 at 11/13 22:40
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しかし、最近狭義の「宗教」への未練がサッパリ切れて、人間は人間であるまま既に救われている、「宗教」によって救われるのではなく、人間のままであるのが救いで、もし本当の「宗教」があるとしたらそれが唯一の役割ではないかとなどとボンヤリ考えている at 11/13 22:40
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一方、現在の日本の状況を観ていると、いわゆる「知識人」「インテリ」(と自分が思い込んでいる)人間ほど、率直にありのままに事実を見ることが出来ていないような気がする。頭も悪くなさそうだし知識も有り余るほど持っていそうなのに、どうしてそういうことになるのか不思議で仕方なかった。 at 11/13 22:43
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それは、多分こういうことなのだろう。何者かに「洗脳」されているのではなく、既存の秩序にそういう人間ほど無意識で深く執着しているために、「理性的」な根拠付け正当化を行って偽りの制度にしがみついている。だからその言説が一見論理的合理的に見えてもその底には実に原始的な恐怖や信仰がある。 at 11/13 22:47
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だから、彼らを「理性的」に説得しようとしても不可能である。何者かに「洗脳」されているのではなくて自分から進んで「自己洗脳」にかかっているからである。そのことで、かろうじてチッポケな偽りの自己にしがみついている。 at 11/13 22:50
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しかし、そうした傾向も今まで隠蔽され続けてきた真実が急激に露呈してきている証拠とも解釈出来る。 at 11/13 22:50
posted by rukert | Comment(1) | TrackBack(0) | その他
この記事へのコメント
英米人の脳裏には、現実の世界があると同時に、非現実の世界観 (world view) がある。

現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。

真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。

現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。

日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。

西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。

英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。

考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。

物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。

究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。

国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga
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