2011年02月25日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」第十一作メモ



リリー登場。

「寅の夢」で、渥美清が鮮やかな殺陣を見せる。吉田義夫が珍しく善人役だが、やはり独特のアクがあって面白い。

オープニングの江戸川沿い、寅がカメラのシャッターを押す騒動。わざと近くに立ったりする動きだけで笑わせる。考えてみれば、ここは寅のサイレント・コメディだ。ここでは斜面に皆を落として喜ぶ寅は確信犯。

寅がピアノを博の家に入れるのは無理だという際に「棺おけだって縦にしないと入らねぇよ」という言い方が面白い。そして博の「ひどいことをいうなぁ」のおなじみのパターン。博はこの辺りの作品からから色々自己主張しだしますね。

北海道の風景のシーンでは、前作の信濃に続いてクラシック。ビゼーやらG線上のアリアやら。寅のあのかっこうと自然とクラシックが妙にあっている。

夜汽車でリリーが涙ぐむところを、寅がそっと見つめるシーンが二人の出会い。リリーを見つめる寅が実にいい表情を見せますね。二人が同類で心が通じるのを、寅の視線一つでちゃんと表現している。

リリーは、この回は特に素人じゃないことを強調するメイクや服ですね。

二人が初対面で話すところから、いきなり親愛感が会話の言葉じゃなくて、二人が並んで座っている絵だけではっきりでている。やっぱり相性がいいんですね。こういうのは理屈ぬきで不思議だ。浅丘ルリ子のリリーと渥美清の寅が深いところで感応している。父親が舟で出かけるのを家族が見送るのをじつと大きな目で悲しげにみつめるリリーと、ちっこい目でさりげなく、しかし優しく見つめる寅の二人の顔の絵のいいこと。まだ何もないのに本当に恋人のように見える。

寅が北海道で、労働に疲れて倒れる渥美清の演技は絶品。こういう面白さも理屈ぬきですな。

さくらさんが北海道を旅するシーンがいいい。第七作の奮闘篇でもあったけど、実はさくらさんも寅と同じで旅が不思議に似合うのだ。

リリーがとら屋に来ておばちゃんの手料理を食べる。どのマドンナも嬉しそうにするところだが、やっぱりリリーが一番素直に嬉しさが出ていて、とら屋の家族にいきなり溶け込んで見えるから不思議だ。

「かたぎ」の家族が「旅人」のリリーに次々に素朴な質問をして、寅が「わっかてないなぁ」と代弁するのは、寅とリリーが同類で、寅がリリーのことをよく分かっていて、なおかつ家族に対して寅が自己弁明することにもなっている。よく出来た台本だ。

寅が心が豊かだから「上流」だという話になつて、寅が「野ばら」を歌いだすところは笑える。「望郷篇」でも育ちがいいとおだてられてその気になったのと同パターン。

リリーに家族が寅の過去の失恋を全て説明する場面。ほとんど全部のマドンナを話しているんだけど、なぜか若尾文子の回だけが抜けている。明らかに意図的に。何か山田監督の思うところがあったのかしら。

さっきの場面では、寅がリリーの気持を代弁したが、ここではリリーが「愛されるより愛したい」と寅の気持を代弁する。まさしく、無償の愛が寅の本質である。

リリーに「私の初恋の人は寅さんかしら」といわれて。「りりーしゃん」となるのがおかしい。ちなみに、「リリー、俺は冗談だとわかるけど、この家の住人は皆かたぎだから真に受けちゃう」というセリフは、「相合い傘」でリリーにプロポーズされた寅が言うせりふだ。ここでは笑えるが、あの場面は本当に悲しい。同じセリフを全く別の状況で使うパターンが多い。

寅の部屋にリリーもとまる。もう何人目だったんは忘れた。そして、やはり一番嬉しさうにはしゃいでかわいらしいのがリリーなのだ。

リリーが酔ってきて、寅とケンカ別れするところが最後。これは失恋シーンではない。博の言葉を借りると「これははじめてのケースだ。」当然みる人間は「これで終わりなの?」と思う。続編が期待される。リリーの結婚相手も毒蝮三太夫なんで、観客はなんとなく納得できないのだ(笑)。

全体にリリーの魅力全開だけれども、作品としての完成度はそれほど高くない。というわけで、リリーが出でいて完成度も高い作品が必然的につくられることになるというわけである。

ついに、寅は別れる時にさくらさんに逆にお金をもらってしまう。という作品。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 男はつらいよ
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