2011年02月12日

成瀬巳喜男「噂の娘」感想

成瀬映画を見れば見るほど、その映画話法の巧みさと繊細な感覚に感心させられる。この作品も一時間弱で短いのだが、素晴らしい出来である。私は見た映画を忘れる特技があって、どの映画も一度見たはずだが初見のように新鮮に見られるのだ。1935年。
成瀬らしい「視線」の映像が頻繁に出で来る映画だ。特に主役の千葉早智子が印象的な目を何度も見せる。例えば、父親が酒に細工をしているのではないかと疑っていて、樽から酒を注ぐシーンで、千葉の不安そうななんとも言えない目の表情が映し出され、千葉の心情がみごとに表現されている。傾き行く酒屋、自分の縁談、父の妾の問題等、悩みの要素が多いので、千葉は随所で何も言わずに視線で心情を表現している。さらに、酒屋に警察が来た際の、近所の人たちの視線のオンパレード。
千葉が川を舟で下っている際に、はるか上に見上げた橋の上に小さく見合い相手の大川平八郎と妹の梅園龍子の姿を見てしまうシーンも印象的。見上げた先に二人がいるシーン俯瞰で千葉が上を見ているシーンが交差して対照され、見てしまったのと見られたショックが鮮やかに表現されている。
千葉早智子は、ここでは少し古いタイプの女を演じている。「妻よ薔薇のやうに」では、新時代寄りで旧時代にも理解を示す女性だったが、ここでは新時代の女は分かりやすく梅園龍子に分離して割り振られている。「乙女ごころ三人姉妹」では三女役だったが、ここでは図々しい新時代の雰囲気をよく出している。他の登場人物たちが諦念して現実受容しているのに、一人だけ現実と向き合い戦っている映画の中の異和点の役割も果たしている。
伊藤智子が妾ながら優しい女で、「妻よ薔薇のやうに」の九州の女と同種である。こういう女性に対する成瀬の視線は、珍しく優しいような気がする。
隠居の老人、御橋公も重要な役割だ。没落する家を内部にありながら客観的に見つめて、全てを力なくしかし取り乱すことなく受け入れる。息子が酒に細工しているのにもすぐ気がつくが、直接激しく叱咤したりはしない。息子が逮捕されても「これでよかった」と言う。破滅する家族をみつめる優しくも冷たい一つの視線である。
車代で「釣りはいらない」と言っておいてねやっぱり貰うといったり、優雅に三味線を弾いているところを梅園龍子のかけるジャズのレコードに邪魔されて困惑するなどコミカルな役割を果たしている。
最後の場面では、色々な問題がまとめて噴出するが、どれも解決しないまま、酒屋の主人が逮捕されて終わる。そういう滅びの音楽を描きたかったのだろうから、問題が解決される必要もなくこういう終わり方がふさわしいのだ。滅びゆく家族の中で、一人だけ現実と格闘しようとしていた梅園龍子も荷物を放り出すしかない。
そして、向かいの床屋の三島雅夫が、も酒屋の次は何になるかを残酷に推理しながら映画は終わる。形式間も見事で、小品ながら、映像の撮り方も、内容や人物の描き方も完成度の高い作品だと思う。
この年に成瀬は5本も撮っている。それでこれだけのものが出来るのだから大したものだ。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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