2011年01月29日

黒澤明 「一番美しく」感想



戦時中につくられた映画。背景が気になるが、ウィキペディアによると、敗戦濃厚な戦争末期に撮られたそうである。当然、当局の戦意高揚の意図にそっているが、黒澤は「敵国」アメリカのスーザの曲を使うなど、ささやかな抵抗も示しているようだ。検閲で気がつかれなかったのだろう。あるインタビューでこれは「反戦映画ですよね?」の問いに、明言はしなかったものの、そういう「含み」もあった映画だと認めているそうである。黒澤が自作の中で「一番可愛い」といい、木下恵介は黒澤作品の中で一番好きな作品としてあげているとのこと。
当然、そういう政治的背景や検閲の問題は重要だけれども、そういう部分を全てカッコに入れて見た場合にも、なかなかの映画である。若い女性だけが大人数集合した独特の世界。男だけでは絶対に出ないものを巧みに映像で描写している。
とにかく、全員が一体となって協力しなければいけない状況下で、一人一人の女性が健気にふるまい、結束して目標に立ち向かう。そして全員明るくて活気に満ちている。「渡辺さん」という強烈な個性のリーダーがいて、彼女たちを優しく大きな包容力でつつみこむ寮母の水島徳子(入江たか子)がいる。そういうある種メルヘンティクなまでに、善意の人間性だけで成り立つ女性集団を黒澤は描き出している。黒澤らしいヒューマニズムだ。
たまたま、戦時中の女性たちが題材だが、黒澤はそういう人間を描こうとする監督だった。「赤ひげ」の強烈なヒューマニズムもそうだ。それは、恐らく現実世界にはありえないのだろうが、そういう美しい人間性の幻の世界に対する率直な憧れのようなものが黒澤にはある。むしろ、そういう理想主義的な部分は、当時の他の日本の映画監督にもなかったかもしれない。それを「甘さ」と解釈する向きもあるかもしれないが、私は黒澤のそういうところが好きである。
もっとも、この映画で彼女たちのモティベーションになっているのは「お国のため」という名目である。だから、冷徹に批判するならば、彼女たちの意図は純粋でけがれがないけれども、戦争に加担してしまっているという見方になりかねない。しかし、そんな見方は実にくだらない。戦争について、客観的な視座で捉える必要もあるが、それとは別に当時の人間の生身の立場にたって考える必要もある。むしろ、その方がよほど大切だ。そういう意味では彼女たちの姿は「一番美しい」のである。
先ほど紹介したインタビューとの関連で言うと、この映画は単純な「反戦映画」などではないと思う。黒澤がはっきりこたえずに「含み」もあると答えたのはね決して誤魔化したのではなく正確な答えだろう。なぜなら、黒澤は彼女たちの置かれた状況とそれに立ち向かう姿を心から愛して描いていて、それは皮肉でもなんでもないから。
恐らく「反戦」と解釈するのは、そういう状況に彼女たちを追い込んだ戦争に対するプロテストという意味だろう。しかし、黒沢はそんな単純な意図でこの映画を撮っているのではないような気がする。戦争に限らず、人間は自由に正しく行為できる状況では暮らしていない。それは、戦争中でも平和な今でも同じだ。そういう中で、人間がどう「美しく」生きられるかということを黒澤は考えているのではないだろうか。
これを知的な理解で一ひねりした「反戦映画」だと解釈されたりするのは、黒澤にとってはあんまりうれしいことではなかったような気がする。だから、黒澤のはっきりしない応えかたになるのだ。映画は、表面的な批評や浅い解釈をはるかに超えている。もし映画に価値があるとしたら、恐らくその点にしかない筈だ。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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