2011年01月28日

溝口健二「祇園の姉妹」メモ



1936年の作品。一部のフィルムが失われているために、最後はやや唐突に終わるのだが、山田五十鈴の演じる芸者「おもちゃ」が、「芸妓なんて、こんなもん、なかったらええんや」と叫ぶのが切実だしラストでもおかしくないと思わせる。
当時、山田五十鈴は19歳くらいである。美しいのもそうなのだが、あまりにも上手いのに驚かされずにはいられない。闊達な演技、女性の魔性と魅力。まさに天才少女である。
同年の「浪華悲歌」同様、全く古さを感じさせない。それどころか、後期の溝口の大作郡よりも、より自由に率直につくっているので本当に「溝口らしい」映画とは、こういうものだったのではないだろうかと思ってしまうのだ。
古い映画なので、山田五十鈴以外の役者はサッパリ分からないのだが、声だけで進藤英太郎だと分かるのは流石である。ダメになった問屋のオヤジ役の志賀迺家辨慶という人も実にいいアジを出している。
山田五十鈴の、男の騙しっぷり、あしらいっぷりが見事すぎる。ラストシーンのように芸妓という存在のつらさ、悲しさを切々と描いた名品なのだけれども、むしろそういう世界に対する懐かしさのようなものを感じさせずにはいられない映画でもある。男と女が、駆け引きして騙しあい、愛し合い、憎しみ合う世界の懐かしさ。そして、溝口は、山田五十鈴に芸妓という存在の悲しさを語らせ、その社会的意味もある程度は認識しながらも、そういう世界を愛し、そういう世界を生き、描かずにはいられにない人だったのだろう。
この「祇園の姉妹」や「浪華悲歌」は本当に溝口らしくて素晴らしすぎて言葉を失う。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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