2011年01月25日

小津安二郎「東京暮色」雑感



妊娠した有馬稲子から逃げ回っていた卑劣な情けない男が、ラーメン屋で有馬と出くわして、ビンタを何発もくらう。そして、有馬は去り、男が一人ラーメン屋に残されて泣く。深刻なシーンなのだけれども、なんだか笑ってしまった。まるでコメディのようなのだ。名匠小津の残した珍シーンにあげたくなってしまう。その男の役者は、お世辞にも見事な演技とはいえなくて、役者がどうかというのもあるけれども、全般に小津の演出にも問題があるように思える。
有馬稲子が、山田五十鈴に「お母さんなんか、嫌いよっ」と言い捨てるシーン、原節子がやはり山田五十鈴に、妹が死んだのは「あなたのせいです」と責めるシーン。なんだか唐突で、どうもうまく「悲劇」になっていないように感じるのだ。原は、黒澤映画でも分かるとおりにデモーニッシュな側面も持つ、なんでも出来る俳優で、こうした「悲劇」にも十分適応できる役者のはずなので、やはり演出の問題なのだという気がする。
小津は成瀬の「浮雲」を見ていたく感銘をうけたらしいが、自分もそういうのを撮りたいと思ったのだろうか。「浮雲」が1955年、本作品は1957年である。単に作品としての失敗ということではなく、小津という作家や人間の本質を考える上でも、この作品は興味深いと思う。
「麦秋」やカラーの作品の多くは「コメディ」である。小津の名作はたいていそうだ。小津にそういうのが合うのは間違いない。ただ、「東京物語」はどうか。あれは、勿論コメディではない。しかし、トラジディでもない。老夫婦の悲しいが美しい無常の物語である。短調の音楽なのだけれども、激しく嘆き悲しむ音楽ではなく、切々と悲しい美しいメロディだ。
本作品でも、現実の激しいトラジディの場面ではうまくいっていないが、悲しい場面では見事な演出ぶりだ。例えば、山田五十鈴と中村伸郎が北国に電車で向かう際に、山田が娘の原が見送りに来ていないかと、何度も何度も車窓の外をみやり、中村が「きやしないよ」とか、さりげなく言うシーン。素晴らしいと思う。こういう、現実の激しい悲劇ではない、もの悲しいシーンは小津はむしろ得意なのだ。
小津には、やはり生々しい現実と直に向き合うというより、そこからある程度距離を置いてそれをみつめる態度が本質的にあったのではないだろうか。それは、映画制作だけでなく、多分小津という人間の本質に関わる部分なのかもしれない。
もっとも、小津は中後期の名作郡だけでなく、実は色々なタイプの映画を撮っている。小津没後何周年かの特集でNHKのBSがサイレントを含めてほとんど全ての作品を放映された際に私も全部見て、小津の本質が後期の「小津らしい」作品だけでは判断できないと思った。ただ、私は忘れっぽくて、それらの作品をよくは覚えてないので何とも言えないのだけれども。録画に残しておけばよかった。小津映画なら全ての作品を見ようと思えばいつでも見られると思っていたのだが、現在は必ずしもそういう状況ではない。
この作品は笠智衆と原節子の父娘が見られる貴重な作品なのに、両者のよさがほとんど出ていないのが本当に惜しいと思う。もっとも、私などは原節子を見ているだけでもいいのだけれども。有馬稲子も熱演していて立派だが、例えば最近見た成瀬の「晩菊」で脇役で現代風の娘をやっている方が、はるかに魅力的なのだ。
ただ、先ほども書いたが山田五十鈴と中村伸郎の男女は大変よい。山田が、子供を早いうちに捨てて、どこかやはり細やかな心配りが足りないが、しかし基本的に愛情は豊かな女という雰囲気を見事に出している。そして、それをさりげなく支える中村伸郎も素晴らしい。後期のコメディ調の作品でも、「東京物語」の杉村の夫でも、本作でも、中村は決して重い演技ではなく、軽いさりげない粋な演技でありながら、その役どころに求められるものを過不足なく表現していると思う。そして、常に何をやっても一種の品格,矜持のようなものを失わない。本当に素晴らしい役者だ。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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