2011年01月18日

成瀬巳喜男「めし」感想



1951年の作品で原節子31歳。原は流石に売れっ子で一年に何本もの映画に出演しているが、この年はこの映画以外に、小津の「麦秋」、黒澤の「白痴」にも出ている。三人の巨匠の映画に出ていて、特に黒澤の「白痴」は役作りが難しそうで、大変だったのではないだろうか。でも、どれも結果的には見事な出来栄えである。
この「めし」では、生活と家事に追われる主婦という役だ。もっとも、もともとお嬢さんだったのが、結婚してそうなったという設定なので、別に原には無理な役ではない。労働に追われる役ということでは、黒澤の「わが青春に悔いなし」という極端な例も経験済みだし。それにしても、出演した黒澤映画で二本とも随分原は無茶をさせられたものだ。
上原謙とは「山の音」とこの作品で夫婦役。この作品は、端役がなかなか面白い。大泉滉がダメなボンボンをしている。後に小津の「あはよう」でモダンボーイ的な役割で登場して、やはりこの二人の監督は関係が深い。浦辺粂子が近所のオバチャンだったり、山村聡と長岡輝子がほんのチョイ役で出ていたり、進藤英太郎が存在感抜群の声を聞かしていたりする。
そして、原節子の家族が、ひたすら優しい母親の杉村春子(なんとなくイメージ的に不気味だ)と杉葉子と小林桂樹。小林が、甘ったれた島崎雪子を叱り飛ばして正論を吐くシーンがあるが、何となく小林にイラッとしてしまうのはどうしてただろう。その他のどの端役もなぜか全員妙に印象に残る映画だ。
甘えた我儘な娘を島崎雪子が演じているのだが、やはりめっちゃきれいだ。美しさでは原にも負けないところもあると思うが、役者としての深さとか品とか存在感だと原に比べるべくもない。だから、原に共感して島崎にいらだって自然にみてしまう。
原は猛烈な勢いで掃除をする躍動感が印象に残ったりするが、ストーリー自体が平板で大きな波乱もなくハッピーエンドで終わるので、原らしい特別な強烈な個性を感じる場面は意外に少ないかもしれない。でも、黒澤映画や小津映画のキャラの立ちかたと異なり、自然に美しい原節子を撮ってくれているのがありがたい気もする。
ところで、ネットで成瀬について検索すると、なぜか抽象的な理論的な分析をしているサイトが結構多く目に付いた。他の大家よりも。私はあんまりそういう映画論には興味がないのだけれど、全然抽象的でない成瀬映画に対してそういう批評をしたくなるのはなぜなのだろうか。
ただ、わりと成瀬映画を具体的に論じているサイトで、成瀬の映画の特徴として「目線の芸」があるというのはなるほどと思った。登場人物の目線の変化をカメラが追う手法。例えば、昨日書いた「驟雨」の冒頭のシーンなど確かにそうだ。そして、成瀬映画には「振り向く」シーンがやたら多いと。
こういったことは本物の成瀬マニアなら常識なのかもしれないが、素人の私でも気づいたのはあるぞ。役者の表情なり何なりを映して、サッと暗転させる手法。切れる直前のシーンがすごく印象にとどまると共に、細やかな余韻が残る。あくまで成瀬映画の印象が柔かくて繊細なのは、そういった技法の集成のためなのだろう。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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