2009年03月29日

小林秀雄全集 第五巻 「ドストエフスキイの生活」

そもそも、私はドストエフスキーを全部読んでいるわけではない。五大長編でも、「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」を、若い時に読んだだけだ。しかし、小林の評論を読んでいると、全部読みたくなってしまう。今第六巻の「ドストエフスキーの作品」に手をつけたところだが、「罪と罰」からの引用がとてつもなく面白い。多分。若い時読んだ時は全然気がつかなかったものがあるように感じる。私は小林の「ゴッホの手紙」を読んで、実際にあの膨大なゴッホの書簡を全部読むという馬鹿なことをした前科もあるのだ。あれが、個人的には最高の読書体験だった。ゴッホに完全に取り憑かれていた。常にあの分厚いゴッホの書簡集を持ち歩いて、電車の中だろうがどこだろうが所構わず読んだ。人気のない海辺の砂浜で酒を飲みながら寝っころがって読んだりもした。無論、若い時の話である。つい懐かしくなって、くだらない思い出話をしてしまった。
「ドストエフスキーの生活」は、ドストエフスキーの生涯を忠実に辿った伝記である。小林の見方を強く主張するというよりは、きちんと事実を伝えることを重視しているという印象を受ける。それが物足りないという人もいるだろうし、小林流の「無視の精神」で書かれた伝記という事も出来るのだろう。
当時の日本では、ドストエフスキーは作り物、病的な精神による観念小説という見方をされていたという。小林は、そういう見方に反発してドストエフスキーを書きたくなったのかもしれない。小林のドストエフスキー観と言うのは、最初に引かれているこのニーチェの言葉に要約されるといっても構わないだろう。
病者の光学(見地)から、一段と健全な概念や価値を見て、また再び逆に、豊富な生命の充溢と自信とからデカダンス本能のひそやかな働きを見下すということ。ーーこれは私のもっとも長い練習、私に特有の経験であって、もし私が、何事かにおいて大家になったとすれば、それはその点においてであった。(ニーチェ「この人をみよ」)
長年付き合った友人に最低の卑劣相漢のように言われ、妻には高貴な魂のように言われる両面性を持ち、流刑時代に極限的な状況を身をもって体験し、賭博に溺れ、驚くべき生活の乱脈と混乱を「猫の生命力」で全て受け入れて生きた人物。彼の小説は、一見観念的に見えるようでも、観念が極限の姿をとった時にみせる生々しい生命力や現実性を常に湛えている。
ドストエフスキーの独自性は,ロシアという特殊な現実を正面から受け入れ、その混乱をありのままに表現しようとしたところにある。西欧作家の文化的洗練や、あるいは日本の全く別の種類の実感に裏打ちされた文化的洗練とは異なり、ロシア的な荒々しい精神性そのもの表現なのである。
ロシアの混乱を首を出して眺める窓が彼にはなかった。彼が当時のインテリゲンチャに発見した病理は、すなわち己の精神の病理であることを厭でも眺めなければならないような時と場所に彼は生きなければならなかった人である。「現代ロシアの混乱」の鳥瞰は、そのまま彼自身の精神の鳥瞰に他ならなかった。インテリゲンチャの不安はそのまま彼自身の懐疑であった。彼はこれを観察する地点も、これを整頓する支柱も、求めなかった。ただ自らこの嵐の中に飛び込むことによって自他共に救われようとしたところに、彼の思想の全骨格があるのであって、ここにことさら弁証法によって武装した手で、哲学者ドストエフスキイ、神学者ドストエフスキイを発見しようとしなければ、彼の姿は明瞭なのだ。嵐のうちに巻き込まれて生きた彼には、民衆も聖教もキリストも、台風に必死な台風の目のごときものに他ならなかったのである。

晩年に、フーシキン祭で演説して、聴衆を興奮と熱狂の渦に巻き込んだという逸話も興味深い。普段は冷静なツルゲーネフも、泣いてドストエフスキーの手を握り締めたという。ドストエフスキーは癲癇持ちだったが、そういう磁波を他人にも与えるところがある人物だったのだろう。ある種のクラシック指揮者が、そこにいるだけで聞き手を催眠術にかけたように酔わせるように。そういう演奏はライブで聴くととてつもなく興奮するが、録音を聞くとそれが分からない。ドストエフスキーの講演も内容を読むとどうということはないそうである。
他にも、フランス外交団にいたヴォギュエのドストエフスキー描写もとても印象的だ。
人間の面上に、これほど積もり積もった苦悩の表情が表れているのを僕は見たことがない。心身の不安はことごとく面上に刻まれて、彼の作品を読むよりももっとよく死人の家の思い出、恐怖と疑心と犠牲との長年の常習が読み取れるのであった。眼、唇は無論のこと、顔中の筋が神経的な痙攣で震えていた。

ドストエフスキーについて語った小論もいくつか収められている。「ドストエフスキーのこと」のこの部分は素晴らしいと思う。
その謎めいた姿は、何らかの欠如や退廃から来ているのではなく、何かの過剰を語っているように思われる。例えば彼の思想に、反知性主義を仮定してみることは容易だが、彼がそのために僕らに見せてくれる驚くほど高度の知性はどういうことになるか。僕らは作者の全努力の先端といったようなものに面接する。それは何か大きな非決定性であり、解いてはならぬ謎のように思われる。

「ドストエフスキイ七十五年際における講演」も興味深い。ドストエフスキーを生んだロシアという精神的風土についてかなり踏み込んだ考察を行っている。罪と罰の主人公のラスコーリニコフラスの由来となったと思われる「ラスコオル」とは、ロシア正教会から分離したセクト、異端のことである。様々なセクトがあるが、民衆素朴な宗教意識と結びついて、場合によっては集団焼死を選ぶような過激な宗教運動だった。根本的な考え方としては、ロシア皇帝の国はサタンの国であり、反キリストということである。そういう過激な精神的潮流を元にラスコーリニコフという名前をつけたのは、深すぎる意味があるように思える。
この講演から素晴らしい部分を引用する。
ドストエフスキイは、自由の問題は、人間の精神だけに属する問題であり、これに近づく道は内的な道しかないことを、はっきりと考えていた。自由は、人間の最大の憲章であるが、また、最大の重荷でもあり、これに関する意識の苦痛とは、精神という剣の両刃の様なものだ、と考えていた。もし、そういう考えが過ぎ去った人の過ぎ去った観念論に過ぎないなら、ソヴェトで、ドストエフスキイスキイが解禁になっても、昔は、そんな寝言を言っていた作家もあった、でけりがつくでしょう。だが、そんなことはない。この問題は、外部から政治的に解決できるような性質のものではない。
そして、小林は戦後日本で新しいとされている考えへの深い違和感を表明している。この問題は決して古くならない問題である。結局個人個人が自分で血を流して会得するしかない課題だから。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 小林秀雄
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