2009年03月17日

溝口健二「新平家物語」



晩年の溝口は。「楊貴妃」といい、この作品といい、本来彼には合わない作品を撮らされていた。巨匠になったので、大作、力作をということなのだろうが、そういうのが溝口の性に合わないのはやや不幸だった。
映画が、尻切れトンボな終わり方をすると思ったら、これはシリーズ第一作で、別の監督で第二、゛第三作が撮られて、一応完結しているらしい。
とはいえ、映画自体はとても面白い。テーマが溝口的な男女の愛の世界でないことと関係なく、やはり溝口的に徹底して色々なものを追い込んで作り上げた形跡がありありで、とてつもない勢いがあるので、すっかり見入ってしまうのである。
市川雷蔵の平清盛も存在感は抜群だし、大矢市次郎の平忠盛も渋い。比叡山延暦寺の僧兵たちの圧倒的な数と迫力。清盛と僧兵たちの対決シーンは、やはり息を呑んでしまう。溝口には歴史者の大作を生き生きと撮る能力も十分あることを証明していると思う。溝口映画では、常に気になる存在の進藤英太郎は清盛を支えるしたたかだが人間味もある商人の伴卜役。彼がとんでもない悪役でないと、ちょっとホッとしてしまう。
宮川一夫のカメラは素晴らしく、特に屋外の情景にはほれぼれするくらい美しいシーンがいくつもある。
清盛と久我美子の妻時子の愛は、青春らしい爽やかなもので、溝口らしいものではない。むしろ、この映画で一番溝口らしさが出ているのは、清盛が忠盛の実子ではなく、白川上皇の隠し子であり、木暮実千代 が演じる清盛の母、泰子が白拍子時代にもうけた子で、それを清盛が知るあたりの心理ドラマである。そして、清盛と母との愛憎劇。
木暮実千代は「祇園囃子」では、健気な芸者役だったが、ここでは憎憎しいくらいの、男を愛することだけ考えている我儘な女性になりきっている。その存在感とか、まあなんですわ、現代風に言うならば熟女の濃厚な色気はものすごい。しかし、溝口は決してそういう女性を決して侮蔑したり否定するのではなく、そういう性の女性の業を肯定する、どころか愛してやまないところが感じられる。
白拍子のウィキペディアより。
白拍子を舞う女性たちは遊女とはいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、見識の高い人が多く、平清盛の愛妾となった祇王や仏御前、源義経の愛妾静御前など貴紳に愛された白拍子も多い。

遊女でありながら芸術的な感覚が洗練され、通常の家族の母にはおさまりえない女性。間違いなく溝口はそういう女性が好みだろう。そして、木暮実千代は、そういう女性の魅力や我儘や性格の弱さや性的牽引力や高貴さと卑俗さの同居といった矛盾する要素を完全に表現しきっている。
この映画で、個人的にもっとも素晴らしいと思うのは彼女だ。木暮実千代による白拍子が主役の映画を作って欲しかったくらいである。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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