2012年09月25日

黒澤明「デルス・ウザーラ」



夜中にソ連の探検隊が焚き火をしていると、遠くで物音が聞こえる。何事かと緊張して身構える兵隊たち。
すると、「人間だ、撃つな!」という声が聞こえて、暗闇の中からデルス・ウザーラが現れてきて真っ直ぐ歩いてきて焚き火の側に座る。
という感じで、デルス・ウザーラが登場するのだが、その風雪に耐えた実に味のある顔、醸し出す穏やかで澄んだオーラに、いきなり魅了される観ているものはデルスのことがたちまち好きになる。
このマクシム・ムンズクの演じるデルス・ウザーラが本当に役なのか本人なのか分からないくらいピタリとはまっている。このデルスが画面に映っているだけで幸せという映画だ。
当然、日本の映画では三船などの俳優が役をも演じていてそれを程度の差はあっても意識するわけだが、 それがこの映画ではない。当初、黒澤はデルスを三船にやらせる予定だったそうだが、この場合はしなくて良かったと思う。それくらい、このマクシム・ムンズクは素晴らしい。
このマクシム・ムンズクという人、実際にデルスのような生活も経験したことがあり、当時は無名な俳優をしていた。当初はソ連の有名俳優も候補に上がったが、黒澤の眼鏡にかなわず結局無名な彼が抜擢された。役者としてというよりは、あの外見と雰囲気が誰しもデルスにピッタリだと思ったのだ。
但し、本人は役者としてかなり大袈裟な演技をするくせがついていたらしい。だから、黒澤はそういう演技を一切しないで自然にやるようなに何度何度も説明したそうである。地のマクシムが求められ、そして出来上がった映像には自然なマクシム=デルスが見事に映っている。
アルセーニエフのユーリー・ソローミンも大変感じのいい役者で、彼とデルスの友情をとても素直に受け止める事が出来る。第一部の、「デルス」「カピタン」と呼びあうところは素朴きわまる演出だけれども、観ていてついグッときてしまう。第二部の二人の再会のシーンもそうだ。
ロシアの大自然の中でのロケで、本当に環境が苛酷でさすがの黒澤も自然条件に応じて撮影の仕方を適応させたそうである。日本のように、望む天気を待ったりしていたら本当に危険だったという。さすがの黒澤もロシアの自然には勝てなかった。
それとこの映画にはアップがないが、それについては「アップは35ミリだったらおかしくないけど、70ミリのアップなんて、気持悪いよ、おかしいよ。」と述べている。
第一部では、デルスと隊長が遭難するシーンが圧巻である。あの二人が必死に草を刈るシーンはなんと十日間もかけて撮影したそうだ。そして、二人とも疲労困憊してひっくりかえるのでカメラを回したという。ソ連の俳優も黒澤演出の洗礼を受けたというわけである。しかし、そのせいで出来上がった映像は本当に迫力満点である。
そして、吹雪についてもそれを待てないので飛行機で飛ばしたそうである。ここでもデルスと隊長はヒドイ目にあわされている。どんなに頑張っても5分が限度だったとか。
デルスが川で流されて木につかまるシーンは、スタントを使おうとしたら、マクシム・ムンズクが自分でと言い張ってやったそうである。当時でもかなり高齢なのだがもやはり役者自身がちょっとデルス的なある人間で、それであれだけリアルな感じを出せたのだろう。
屋外ロケの部分はどれも本当に素晴らしいが、最後の町のシーンとデルスの死に方は映画の締めとしては残念な感じである。これは原作の小説の通りに忠実に構成したのだろうか。ただ、デルスには自然の中で(例えば誰かの命を救って自分を犠牲にする)といった死なせ方をさせてあげたかった。
「どですかでん」が興行的にこけて、その5年後にソ連の資金を借りてつくった映画だけれども、この映画は普通に素晴らしい。大規模なロケを統率する黒澤の力は、やはりすごいし、映像のもつ力も役者の魅力も十分。ソ連製というだけであって、立派な黒澤映画である。
この映画などを観ていると、黒澤がこの頃に好きなように映画をつくれなかったのは日本内の映画界をとりまく状況が問題だったのであって、実はまだまだこの頃の黒澤は創作力に溢れていたような気もする。
デルス・ウザーラは、いかにも黒澤的な登場人物だ。心がキレイで純粋な人間。様々なバリエーションで現れながら、黒澤映画を一貫するテーマである。
そして、ここでは自然と離れていない人間、動物や自然を人間と同等の「いきもの」と考えている人間がテーマである。難しいテーマだけれども、デルスが大変魅力的なので、素直にその問題を受け入れる事が出来る。
デルスは素朴な人間で、文明的な知識はないが、自然や人間自体に対する深い智慧や洞察がある。それもきわめて具体的な形で。
この黒澤の問題提起自体が大変素朴なのだが、現代を生きる我々はその問題点の重要性にハッと気づかされる。
黒澤映画は常にそうだ、あまりに当たり前のことを当たり前に主張している。その素朴さを決してバカにして笑えないことに、ようやく我々は理屈ではなく身をもって気づかされつつある、あるいは気づかずにはいられない時代を生きている。

(文中で紹介したエピソードについては、「大系 黒澤明」第三巻のデルス・ウザーラの部分を参照しました。)
posted by rukert | 映画
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