2011年11月14日

ブロムシュテットのこと

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去年のN響アワーだったか、ブロムシュテットのシューベルト「グレート」をたまたま観たのだけれど、これがとんでもなく素晴らしかった。録画もしなかったし一度聴いたきりなのだけれども、早めのテンポで疾走するグレートで、この曲独特の躍動感と愉悦を存分に表現していた。N響もノリノリの名演。 at 11/14 03:19
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楽章の合間にブロムシュテットのインタビューが流れたのだけれども、テーマを口ずさみながら楽しそうにグレートの魅力を語っていた。ブロムシュテットは昔からよくN響に来ていて細かい折り目正しい繊細な音楽をやっていた記憶はあるが、個人的には音楽全体のスケールに物足りなさを感じたりしていた。 at 11/14 03:22
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単に私に聴く耳がなかったのだろう。ところが、そのグレートは軽快ながらも実に堂々とした深い音楽になっていて驚いたのである。ブロムシュテットは現在84歳だそうである。かつての細かさがむしろ音楽にメリハリを持たせて堂々たる巨匠の音楽になっている。 at 11/14 03:26
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ギュンター・ヴァントが若い日は細部に行き届いてはいるがスケールに欠ける演奏をしていたのが、晩年大化けしたのと似ているのかもしれない。生真面目な音楽から何かが溶け出して滔々とした深い響きを生む。しかしそれが老年特有の重さにならずに、むしろ若々しく少年に戻った溌剌さなのだ。 at 11/14 03:28
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それでいて、もともとの音楽のつくりの繊細さが最大限にブラスに働いて実に豊かな美しい響きをオケから引き出すことに成功している。最近見た、ラフマニノフピアノ協奏曲三番とチャイコ5番の「名曲」コンサートでも涎のたれそうな瑞々しくて美しい音を通俗名曲から見つけ出していた。 at 11/14 03:32
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チャイコ5番の2楽章も実に美しかったのだが、会心の出来だったのか楽章が終わると、聴衆に見えないようにコッソリ左手でガッツポーズをしていた。なんとも可愛らしくて憎めないお爺ちゃんぶりである。 at 11/14 03:36
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もともと持っていた無邪気な純真が歳をとってそのまま表面に噴出してきたかのような素敵な歳の取り方だ。動画で最近N響と共演した、ベートーヴェン英雄、皇帝、マーラー第九など聴いてみたが基本的にどれも同じことが言える。不感症の美女のようなところもあるN響も、精一杯の熱演でこたえているのだ at 11/14 03:38
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシック

2011-11-14-2

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311以来ブログを更新する気力を失って現在に至る。現実を語るには重すぎて、私が普段書いているような趣味の話は軽すぎる。時間の経過に解決を期待したが現在もある種の宙吊り状態が続いている。いや日本だけではなく世界全体がなにやらザワザワしている。 at 11/13 22:24
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そのような時代状況下で個人としてどう生きるべきか。とても簡単に答えが出てきそうにないが、とりあえず普通にオロオロしながら、しかし不必要に悲観もしすぎずに「人間」として暮らしていくしかないように思う。 at 11/13 22:28
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例えば、政治的な大改革による変化や「宗教」による救いを求めたくなる状況だけれども、それはある種の罠のような気がする。こういう救いのない状況で、そのまま救いのないまま受け入れるのが唯一の救いのような気がする。 at 11/13 22:31
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勿論、現実をそのまま受容したり無思考に陥るということではなく、ありのまま人間存在を受け入れるチャンス。この期間色々な本を読んだが、吉本隆明の「決定版親鸞(最後の親鸞等を含む)が面白かった。 at 11/13 22:34
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私は吉本さんを理解しているとはとても言えないし、また違和感を感じる点も多いし、例えば昔読んだ時に親鸞が究極的には宗教を解体するのではないかという現代的論点についていけなかった。しかし、こういうギリギリの状況下で読むと「宗教」の限界的意味について考えざるをえない。 at 11/13 22:36
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私は個人的には「宗教」の周りをウロウロしながら、「宗教」と縁のない人間だった、ずっと。。 at 11/13 22:40
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しかし、最近狭義の「宗教」への未練がサッパリ切れて、人間は人間であるまま既に救われている、「宗教」によって救われるのではなく、人間のままであるのが救いで、もし本当の「宗教」があるとしたらそれが唯一の役割ではないかとなどとボンヤリ考えている at 11/13 22:40
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一方、現在の日本の状況を観ていると、いわゆる「知識人」「インテリ」(と自分が思い込んでいる)人間ほど、率直にありのままに事実を見ることが出来ていないような気がする。頭も悪くなさそうだし知識も有り余るほど持っていそうなのに、どうしてそういうことになるのか不思議で仕方なかった。 at 11/13 22:43
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それは、多分こういうことなのだろう。何者かに「洗脳」されているのではなく、既存の秩序にそういう人間ほど無意識で深く執着しているために、「理性的」な根拠付け正当化を行って偽りの制度にしがみついている。だからその言説が一見論理的合理的に見えてもその底には実に原始的な恐怖や信仰がある。 at 11/13 22:47
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だから、彼らを「理性的」に説得しようとしても不可能である。何者かに「洗脳」されているのではなくて自分から進んで「自己洗脳」にかかっているからである。そのことで、かろうじてチッポケな偽りの自己にしがみついている。 at 11/13 22:50
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しかし、そうした傾向も今まで隠蔽され続けてきた真実が急激に露呈してきている証拠とも解釈出来る。 at 11/13 22:50
posted by rukert | Comment(1) | TrackBack(0) | その他

2011-11-14

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横尾忠則がツイッターはある種の禅だと言った。禅としてのつぶやき、聴かれることを前提としながらも他者を気にしないつぶやき。そんな感じでやってみよう。 at 11/13 20:45
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