2011年02月10日

木下恵介「二人で歩いた幾春秋」感想



冒頭で山梨の山と雲の広大な風景が映し出されるのだが、これがとても美しい。木下の映像には明確な個性がある。曖昧なところのないギリシャ的端正とでもいうべきものがあり、なおかつ繊細な研ぎ澄まされた感受性が映像の端々にまで漲っている。
自然だけでなく役者の人間も、くっきりたした形で、なおかつ人間らしいやわらかさも失わずに画面に定着されている。それを、しかも作為的な技巧を感じさせずに、自然体で伸びやかにやってのけているのだ。大人の映画作家だと感じる。
この映画は、道路抗夫と小使いの貧しい夫婦が健気に働きながら生き、子供を育てていくというきわめて地味なテーマである。しかし、それを映像化する木下の力量は大変なもので「芸術的」である。他の日本映画の巨匠たちと比べると、大抵テーマが「芸術的」なものではないので、評価されにくいのだろうが、彼らに全く劣らない画を撮る人だったと、この地味な映画一つをみても感じる。
佐田啓二と高峰秀子の夫婦役の二人が、実に自然にいきいきとしている。二人とも大スターだけれども、本当に庶民の働く人間という感じがよく出ている。木下の演出が明確でしっかりしているのもあるだろうし、二人ともやはり大した役者なのだと思う。佐田啓二などは、小津映画などでは役者としてはどうなのだろうと感じることもあるけれども、この映画だととてもいい役者だと素直に思える。
感動する箇所も普通に「いい」場面だ。息子の入学式で二人とも粗末な服なのを息子がやって来て気にしないでいいからと二人を連れて行くところ。こういうところに素直に感動させてもらえる映画だ。
息子が大学を辞めるといって、佐田にあまり怒らないでと止めていた高峰が、佐田の説得にもかかわらず息子が辞めるということをきかなくて、高峰が息子を何度もひっぱたく場面。こういう普通のいいシーンを、通俗的にならずにきちんと撮ってみせてくれる映画で素晴らしい。
息子の恋人役で若き日の倍賞千恵子が登場するのだが、やはり並々ならぬ存在感で、既に「男はつらいよ」のさくらのような心の優しさを自然に感じさせる。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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