2011年02月05日

成瀬巳喜男「鶴八鶴次郎」感想

長谷川一夫と山田五十鈴のコンビなのだけれども、山田五十鈴が素晴らしすぎる。なんと当時21歳。気が強くて、頭の回転が早くて、苦労人でしっかりしていて、でも女性らしい繊細さがあって、優しいところもあって美しい。そういう女性を完璧に演じていて、長谷川一夫が単なる引き立て役に見えてしまうくらいだ。溝口の「祇園の姉妹」や「浪花悲歌」でもね19歳とは思えない舌を巻く演技をしていたが。こんな天才少女で、女性としての魅力も十分で、こうしてスクリーンごしに今見ていても、惚れかかってしまうやろ。当時のファンの騒ぎようは大変だったのではなぃだろうか。
何度も繰り返される芸をめぐる喧嘩のシーンの二人の丁々発止のやりとりが本当に見事だ。本当に芸に真剣そのものの二人のひたむきさと、その底に流れる二人の男女が惹かれあう感情がないまぜになって、真実があって美しくて、なおかつコミカルである。
脇をかためる、藤原釜足、大川平八郎、三島雅夫といった役者も、とてもいい。特に藤原釜足は当たり役ではないかしら。
但し、女のことを思って男が身を引くラストはどうだろう。美談だけれども物足りない。この成瀬映画では、長谷川一夫が零落してドサまわりをして苦労して、結婚している山田五十鈴とコンビ結成して成功するというストーリーだ。しかし、もし溝口だったら、山田五十鈴が結婚しても芸の道と長谷川一夫が忘れられずに、夫を捨ててスキャンダルで芸の表の世界から追放されて、二人で零落しながら芸を続けて身を滅ぼすというような映画をとったのではないだろうか。でも、そんな映画を成瀬はとりそうにないけれども。
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成瀬巳喜男「女人哀愁」感想

1937年。古い映画だが、成瀬映画特有の流麗なカメラワークはこの頃からで、入江たか子が子供に宿題を聞かれるのだが、何度も邪魔が入ってしまう一連のシーンは見事だし、成瀬らしいユーモアがある。
私はこの時代の成瀬映画の雰囲気が好きだ。成瀬にこの時代があっているのだろう。ただ、入江たか子が嫁入り先の家で文金高島田の和服姿の芸者のようあ姿で普通に家事をしているのにはさすがに驚く。
入江たか子が、ものすごく大人しくて従順な旧式の女性を演じて、家柄のいい家に嫁入りして、我儘で冷たい旦那の家族に女中のようにこき使われる。しかし、実は入江たか子はしっかりした考えの持ち主で、最後にブチキレるという話。最後に、ひどい家族たちに颯爽とものいいしてへこませるシーンで観るものは胸がすく思いのする仕組みだ。急に自分勝手な妹は恋人の愛に気づき入江に素直に従い、言われ放題だった夫も理路整然と言い負かし、卑怯な儀父母は黙って逃げてゆく。水戸黄門が最後に証文を出すような快感のある映画である。
冷静に考えると、そんなに賢い女がそれまでの境遇に黙って耐えているわけがないのだけれど、この際、そういう細かいことはいわないでおこう。成瀬は、昔風に周りに従順にしたがって耐え抜いていながら、実は男よりも聡明な女性を描きたかったのだろう。成瀬映画の女は皆魅力的だけれども、このつくりものめいた映画でもわかるように、実は現実にいそうな女ではない。成瀬が、そうあって欲しいという女性を理想的に表現しているのだ。ある意味、男の勝手なおしつけなのだが、それが成瀬映画の面白いところだ。そして、成瀬はたいてい男が女に打ち負かされること、男よりも女が優れていることを望んでいる。

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成瀬巳喜男「杏っ子」メモ

1958年。映像は、「山の音」と似た感じの深々とした美しいモノクロである。そういえば両方とも山村聰が出ている。
室生犀星の原作で、確かにあの時代の小説の臭いがプンプンして今観るとちょっと違和感覚えるところもある。
漆山亮吉(木村功)が屈折したダメ男を好演している。成瀬は本当にダメ男(と立派な女)を描くのが好きだ。表面的には木村がどうしようもなくて、物分りのいい有名小説家の平山平四郎(山村聰)とその娘でダメ夫に耐える平山杏子(香川京子)を好意的に描いているようでそうでもない。
亮吉は才能もないのに小説を書く事に固執していて、自分を全く認めない平四郎や杏子を逆恨みする。事実関係としては、亮吉が明らかにダメで、平山父娘には何の非もない。
しかし、平四郎は小説家らしく理解があって物分りがいいが、実は亮吉をはっきり見下している。杏子も夫を支えようとしながら、亮吉を全然尊敬してはいない。どこかで、立派な「父」とダメな「夫」を比べている。
つまり、平四郎は立派な人間だが、残酷で鈍感なところがあり、杏子もファザコン気味で、意識的には優しいが父親以外の男をどこかで見下しているのだ。そういうのを亮吉は敏感に感じ取って、苛立ち自暴自棄になるのだ。そういう意味では、どんな善人を演じてもなりきれないところがある山村聰と、美しくて優しそうだがどこか澄ましていて冷たいところのある香川京子は的確なキャストなのかもしれない。
木村功が酔って平山家の庭をぶちこわし、平四郎が一瞬憤怒の表情をみせながらも、結局優しい建前的な言葉を木村にかけるシーンが、この映画を象徴している。木村がどうしようもなくて、平四郎がよく出来た人なのだけれど、実は平四郎の方がいやらしかったりする。そして、夜の庭の美しい映像。
映像の美しさに反して、そういう人間の微妙ないやらしい心理がにじみ出てくる成瀬らしい映画だとは思う。原作のせいもあるのだろうが、個人的にみていてあんまり楽しい映画ではなかった。
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