2011年02月03日

溝口健二「元禄忠臣蔵」雑記



なんせ、溝口の忠臣蔵なのだから楽しみにして観た。冒頭はいきなり松の廊下である。このシーンはいい、溝口らしい長まわしで、刃傷沙汰の騒乱ぶりが迫力満点で伝わってくる。
が、その後意外に退屈だ。これは、ものすごく硬派で真面目で格調高い忠臣蔵なのだ。討ち入りのシーンもない。溝口は、例によってのめりこんで忠臣蔵を徹底的に調べて史実通りにしっかり再現しようとしたのだろう。それは溝口らしい良さだとは思う。でも、忠臣蔵という話は真面目にやったって面白くもなんともないのだ。
なにより大石蔵之介役の4代目河原崎長十郎がよくない。私は昔の役者を全然知らないし、多分大石をやるくらいだからエライ役者なのだろうが、率直な感想を思いきって述べてしまうと、この人、悪代官面なのだ。(あーあ、いっちゃった、ごめんなさい)さらに、いちいちかっこつけていて、言うこととなすことウザいのだ(あくまで個人的な感想に過ぎません、ごめんなさい、ごめんなさい)。溝口がこういう大石蔵之介にしたのも、当然従来のイメージ(と言っても当時のイメージもよくは知らないけどさ)を新しく塗り替えて、通俗的でない蔵之介にしたかったのかもしれない。でも、何度もいうけど通俗的でない忠臣蔵なんでほとんど自己矛盾に近いのだ。少なくとも私はそう思う。
例えば、蔵之介が世間を韜晦するために、芸者遊びをしてしこたま酔っ払う有名なシーンがあるじゃないですか。いいシーンですわな。あれは、もう蔵之介が大義を忘れ果てたくらいにバカ騒ぎするのがいいんじゃないですか。それが実は・・ということで。ところが、ここの蔵之介は全然はじけてないのだ。役者がそもそも全然そういうキャラじゃない。忠臣蔵に必須の通俗要素をそぎ落としたら意味ない。もし史実に忠実に格調高くやりたいなら、他のもっとシリアスな題材をやればいいのだ。
あと、音楽が深井史郎で、いきなり西欧風の管弦楽が忠臣蔵の冒頭で流れるのもちょっと変っている。現・NHK交響楽団の演奏で、指揮は何と山田和男(山田一雄)なんでちょっとビックリする。
この映画は、新藤兼人が建築監督を担当していて、「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」の中でも証言している。何でも冒頭の松の廊下のセットは当時を忠実に再現したそうだ。そういうこだわれはすごいと。ただ新藤は、全然この忠臣蔵を買ってなくて、そもそも溝口には大掛かりな歴史ものは似合わないという考え方のようだ。「楊貴妃」とか「新平家物語」とか。そして、溝口の本領は男女の世界、特に社会底辺の女性をリアルに描き出すことにあると。その点については私も、また多分誰もそれほど異論はないのではないだろむうか。但し、私は明らかに失敗作の「楊貴妃」とか好きだけれどね。歴史ドラマが、結局は森雅之と京マチ子の男女ドラマになっちゃっていて。歴史ものでも溝口らしさが出ていれば私は好きなのだけれど、この忠臣蔵はさすがにちょっと擁護するのは苦しい。
でも、この映画でもやはり女性が出てくるシーンはなぜかちょっと活気が出ていい。瑤泉院に蔵之介が討ち入りをを言わずに別れに行くシーンの女性二人の落胆ぶり、怒りっぷり。翌日、討ち入りを遂げたことを文書を読み上げるシーンの興奮ぶり。とても溝口的である。
さらに、おみのの高峰三枝子が、恋人と会わせてくれと懇願するシーン。急に映像が活き活きして「溝口映画」になる。全編こんな調子で撮って欲しかったと、私などは思う。
おみのが蔵之介に「女心がお分かりではありませぬ」とか何とか言うのだが、これってこの映画の的確な蔵之介批判、というよりは溝口忠臣蔵の退屈さに対する、もっともな批判のように私などは聞こえてしまうのだ。
posted by rukert | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画
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