2011年02月02日

木下恵介「楢山節考」感想



いきなり黒衣が登場して口上を述べる。「楢山節考」という「伝説」についての物語だと。そして、浄瑠璃の音楽と語りが流れて、画面上で舞台のように幕が開けられる。実景ではなくセットで演じられ、画面上で舞台転換も見せる。つまり、実話ではなくてあくまで劇、物語だという印象を与えるのだ。この物語の内容がショッキングなものなので、ひういう演出をした木下のセンスは素晴らしいと思う。
但し、ラストの部分で突然実写になり、駅名の「姥捨て」が映し出される。つまり、これは実際の話だったのかもしれないとと暗示されるのだ。そのショックと観後感がたまらない。こういった木下の演出の計算は実に巧みだと思う。
そして、セットが人工感を強調した鮮やかな色彩をほどこされていて、とても美しい。照明も舞台のようにスポットをあてたりする。浄瑠璃の音楽も効果的。話の内容のどうしようもない悲惨さとの対照をここでも緻密に設計している。
田中絹代が素晴らしい。気丈夫で気高くて優しい老女になりきっている。自分で歯を折るシーンがあるが、その為に実際に何本か抜歯して撮影に臨んだそうである。溝口の「西鶴一代女」でも、わざと醜く見えるような化粧をほどこしていたが、大変なプロ根性であり、この時代の映画はどれもとてつもなく「マジ」でつくられていた。田中といえば溝口だけれども、この木下作品での田中も実に格調が高く凛としていて見事だ。「カルメン」の笠智衆や「二十四の瞳」の高峰秀子もそうだが、その役者の本質的な良さを素直にそのまま生かすのが、木下はうまいと思う。
望月優子も素晴らしい。大らかな心の優しさ明るさと悲しさのようなものがよく出ていて、非現実的な役なのだけれども、望月が本当にそういう女性のように思えてしまう。
キャストを見るまで気がつかなかったが、又やんは宮口精二、その倅は伊藤雄之助である。見直したら確かにそうだ。
それにしても、
楢山の雪の中の田中絹代の壮絶な美しさはなんなのだろう。「楢山節考」が伝説であれ実話であれ、みる人間の心の奥深いところに働きかけてくる。
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溝口健二「残菊物語」メモ



1939年。菊之助(花柳章太郎)とお菊(森赫子)による純愛、悲愛劇。
これを観る前に新藤兼人の「ある映画監督の生涯」でみて、二人でスイカを食べるシーンが何とも印象的だった。男女の甘美な感じがよく出ていて溝口的である。それを、お得意のワンシーンワンカットでやるので、役者も集中力を高めてやらざるを得ず、本当に好きあっているような感じが出るのだろう。そもそも、二人が最初に登場するシーンで、道を歩きながらお菊が菊の助に芸の意見をさりげなくする長回しのシーンからしてよい。溝口的な極度な過激さはないけれども、気持ちよく見られる恋愛ものだ。
他にも、迫力あるワンシーンワンカットの連続である。菊之助がお徳を探して、鉄道をずっと探し回るシーンなどは、その特性がよくでた、とても映画的なシーンだ。
そう言えば森赫子は新藤兼人の「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」にも出ていた。サングラス姿が印象的だった。
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成瀬巳喜男「放浪記」メモ



高峰秀子が田舎くさい野暮ったい娘という感じで、かなり役をつくって演技しているのが印象的。顔の表情のつくり方が面白い。
後期の成瀬映画で最高のヒールの草笛光子も登場。高慢ちきで生意気で気が強い女をやりきっていて素晴らしい。高峰秀子と和解して珍しいと思うのだが、結局高峰の顔を思いきりひっぱたく。「女の座」とこれと高峰は二回も叩かれて災難だ。
林芙美子の原作で、この映画についてはストーリーが面白い。ただ、この時期の巨匠たちの映画は、当時の文学を原作にしたものだと時代を感じさせることがjjある。成瀬の「浮雲」は素晴らしい映画だが、ストーリに違和感を覚えるのは林の原作も関係しているのかもしれない。溝口の「お遊びさま」も、映像や役者はいいのだが、谷崎の原作に違和感を感じる。小津の「宗方姉妹」は大仏の原作だが、全然脚本に共感できない。むしろ、小津と野田オリジナルの、どうでもいいような家族劇が古くならないから不思議だ。
あの時代の日本映画は全然古さを感じさせないし普遍的な輝きを今も放っていると思うのだが、当時の文学に感じる「時代」のことを考えると、当時の日本映画は実は奇跡なのかもしれない。
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