2011年02月28日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎子守唄」第十四作メモ



「寅の夢」。寅が今までのヒーローではとは違って語りと産土の神役。四角い顔した神様である。夢がどんどん過激にエスカレートしていく兆?ちなみに、博とさくらに子こがないのは、おばちゃんに子がないのとつながる。フロイド的な夢の変形である。そして二人が子どもを願って夢の中でするお百度参りを、おばちゃんが博の腕の無事を祈ってする。こういう関連をもたせたがるのが、「男はつらいよ」の本の特徴。

オープニングは珍しく江戸川沿いの土手道ではなく旅先。

さくらが必死に自転車で走るシーン。倍賞千恵子は、不安な表情が意外によく似合う。実はサスペンスドラマ向き(笑)?

三代目おいちゃんの下條正巳登場。初登場だがセリフも多く重要なものも。おいちゃん一人変るだけで、とら屋の家族のシーンの雰囲気が全然変わってしまう。やはり、風格とか品とか味があって、長くやったこともあっておいちゃんは下條正巳のイメージがある。個人的には森川信おいちゃんが大好きだけれども、シリアスな風味を出すためには下條正巳が欠かせない。本当にいい顔をしている役者さんですよね。

御前様の「こまった」とか「ははははは」というスローモーな独特な笑い方もこの辺りからだろうか。

「寅のアリア」は自分の葬式の妄想。相変らずディテールが明確で説得力ある語り。

月亭八方若い。ちょっと下手かなぁ。

寅をマドンナと引き合わせまいとするパターンは、喫茶店の池内淳子以来か。

岸恵子、吉永小百合と寅と恋愛関係になるのが考えられないタイプのマドンナが続いたので、十朱幸代は、明るく優しく庶民的で、まぁ男はつらいよのマドンナ的なマドンナである。

寅の家族に怒ったり、マドンナにデレデレしたりを繰り返す二面性の演技は渥美清のお得意とするところだ。極端な切り替えが見事に分かりやすくて笑える。

寅がマドンナに会いに行くのを、家族に被害妄想的に気にするおなじみなパターン社長が「ごゆっくり」というのに噛みつき、全員で゛「いっといで」と声をあわせるパターン。寅の「風呂に行くんじゃねえよ」とか「雀の学校じゃねぇんだよ」というツッコミがおかしい。

十朱幸代が「雨降って痔固まる」とか言わされている。山田洋次はこういうのが好きなような気がする。

「源ちゃん」は正式の氏名も分からないことが判明。寅以上に不幸な境遇なのだろうか。源ちゃんの謎。

源ちゃんの顔に口紅の落書きしたのはかなり破壊力がある。

上條恒彦が十朱幸代にプロポーズするシーンは、博がさくらにプロポーズするところとよく似ていますね。上條恒彦はいい声している。なぜか「寅の夢」の海賊船バージョンに米倉と一緒に出ていた。そういえば、上條も米倉も、寅の恋の指南を受けたつながりだ。片方はダメで、片方は「ひょうたんから駒」でうまくいくのだが。

寅は上條恒彦に「二枚目だ」といわれたりする。一方、上條恒彦はおばちゃんに「あれじゃ寅ちゃんの方がましだ」とか「ひげ中顔だらけ」とかひどい言われようである。ちなみに、「ひげ中顔だらけ」は初代おいちゃんの「まくら、さくらをだしてくれ」を連想させるのであった。








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2011年02月27日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」第十三作メモ



吉永小百合アゲイン。前回の若いわりと無邪気な娘より、こちらの方が断然いいですね。

「寅の夢」、現代もので寅が結婚までする。博の演技が、普段以上にクサくて笑えます。

吉田義夫が夢に出てこなくてガッカリするが、電車で寝る寅によっかかられてはねのける老人でちゃんと登場する。右のおばあちゃんの武智豊子は女エノケン」と呼ばれた方なんですね。

オープニング江戸川沿いは、ラジコン飛行機を落としかけ、カップルにつまづきカバンを間違える軽い感じ。でも、引きの絵で寅の動きだけでも面白い。

おいちゃんが寅と結婚する夢をみて「寅の夢」とつながるが、夢ではおいちゃんは殺されていたな。細かいネタ。

寅のアリア、風景が目に浮かんでくる。渥美清は落語やらしたら相当うまかったんじゃないかしら。

絹代の高田敏江は『3年B組金八先生』にも出ていたんですか。

さくらとタコ社長が寅と旅行で同行する。さくらも結構寅のために旅に出ていますね。そして、旅のシーンが似合う。

鳥取の海岸の寅をひきで撮っているのがとてもいい。本当に自然の中の寅が絵になる。あの寅の格好は拭くも帽子もカバンもオシャレなんだな。

吉永小百合は、やはり不幸な境遇の役が似合いますね。寅との出会いのシーンからして美しいです。何度も言うけど吉永夢千代は本当によかった。

家族が「歌子」と聞いて、「豆腐屋の娘か、津軽の娘、それは秋子、それは幼稚園の先生」といい合うのがおかしい。どれだけ恋多き男で、家族も誰が誰だか分からなくなっているんですかと。

寅が歌子のことを心配するところに、おいちゃんが「寅、ちょっと疲れているんじゃないか」の一言が笑える。

寅は、今回は「恋の病」でなく「恋やつれ」ですか。それをネタに、家族が、「社長は税金やつれ、博は労働やつれ、おばちゃんたちはお団子おつれ、さくらは寅やつれ」といって笑いあうが、確かにあれはひどくて寅が階段から降りてきて怒るのももっともで
る(笑)。

写真を撮る際の「バター」や「笑って。泣いて」を振り返るのが完全にシリーズですね。

この回は吉永小百合が美しい、寅家族の優しさに泣いているのかと思ったら、笑っているのには裏切られる。と思ったら、今度は寅が歌子を見てしみじみする。結構山田演出は、ひねくれていて意表をつかれる(笑)。

さくらが宮口精二に会いに行くシーンがいい。さくらが別れてから、無愛想な不器用な宮口にため息をつくと、宮口がステッキをついして小走りで現れてさくらを駅まで送る。宮口の演じる父親の人柄が自然に伝わるという演出。宮口精二は前作ではあまり見せ場がなかったが、この作品では持ち味を十分出している。

寅が歌子にハンバーグをつくってもらってはしゃぐのがかわいい。この辺りまで来ると、渥美清の表現もすっかり形が出来てきて、どんどん寅がかわいくなっていくのだ。

階段で
歌子を見送る寅が階段に片足をかけるポーズとか、さくらに歌子を連れて行かれてすねる寅の表情とか。もう芸術だ。

宮口精二と吉永小百合の和解のシーンは、普通に泣けますね。

寅と歌子の別れのシーン。夕方や夜にマドンナのもとを、ひょっこり訪ねて、家にはあがらずに縁台に腰掛けるというお得意のパターン。二人で花火の話ばかりするのがいい。

浴衣の吉永小百合は確かに本当に美しい。寅がまた思っていることを言葉に出してしまう病気が出て「浴衣きれいだね」と言葉に出してしまうのももっともだ(笑)。

この回は失恋じゃなくて人助けですね。こういうパターンが増えてくる。 伊藤蘭の回とかもそうだった。

最後、吉永が寅が島に来ると信じているというネタフリがあって、寅が海岸にやってきてひきで映して近くに来ると絹代というのには、完全に騙された。歌子に会いに行かないというのは正しいラストだけれど、マドンナの檀ふみに実際に会いに行っちゃうというのもあって、別に寅なら会いにいっても構わないというところもある。やっぱり、寅は基本的に「男」ではなく「天使」なのだ。






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2011年02月26日

山田洋次監督「男はつらいよ 私の寅さん」第十二作メモ



「寅の夢」。どんどん吉田義夫にハマッてゆく私がいる。寅に撃たれて倒れる大袈裟な演技が、旅芸人一座の座長と重なる。

オープニングは、寅が蝶をつかまえようとして女性に網をかぶせていまうホンワカバージョン。蝶をつすまえようとするシーンは岸恵子との別れのシーンでも出てきますね。

旅行先での、猿山の仲間はずれの猿が本当に寅に似すぎている。よくめっけたもんだ。

二代目満男の中村はやとが電話口で喋るシーンがあってセリフデビューしていますな。

二代目おいちゃんの松村達雄も、ようやく堂にいってきて、電話で寅とケンカするシーンは笑える。

前田武彦はさくらさんに気持がられるように痴漢ぽくって素晴らしい(笑)。

岸恵子は、出会いで寅に怒り散らすところが一番素晴らしいかな。しつこく、くま、かばというあたり。寅が「にくったらしいなぁ、あぁぁ、いやだ」というところの渥美清調がいい。リリー相手にメロン事件で怒るところと感じが似ている。

「インテリ女と便所のナメクジくらいいやなもんはねぇんだ。」というせりふがすごい。

岸恵子を見送って寅が手を振り、さくらが後姿の夕焼けの絵は美しいですね。寅のあのファッションは自然の風景に不思議と映えるのだ。

津川雅彦も本当にいやみったらしくて素晴らしい。

津川と岸が話そうとするところに、寅が呆然として座りこむところがかなりコメディとしてはよく出来ている。笑える。

寅が「今日はお開きということにして」という御馴染みのセリフはこの作品あたりからかしら。

博が、寅が恋するのは生きている証だと大真面目に言うのは、よく考えると(よく考えなくても)、すごいことを寅は言われていますね。
寅が岸恵子と倍賞千恵子の絵をかいて「キリギリスとらっきょう」というシーン。倍賞千恵子は、らっきょうと言われるのは、八千草薫マドンナの回に続いて二回目である。ひどい。おかしい。

岸恵子が失恋して「恋の病」になるが、それと全く同じ症状に寅がなる。この同じことが別の人にというのは「男はつらいよ」、お得意のパターンである。

そこに岸恵子が見舞いに来て、「さくら、おまえの顔までりつ子さんに見えるよ。声まで」というところは、笑えるけど、よく考えると(考えなくても)凄いシーンだ。完全に精神の病じゃないですか(笑)。

そして、そこに社長が超KYぶりを発揮して、岸に気づかず「寅さんは恋の病だねぇ」という。見事だ。そして、寅がおきてきて社長をしばこうとする。恋の病でねこんでいたんじゃないんかいっ。

寅が小戸川のほとりの土手で寝るシーンは、どの作品でも本当に絵になる。

源ちゃんが、寅につかれて土手をころげ落ちてゆく勢いがすごいですね。

寅に岸恵子が別れを言うしーん。池内淳子との別れのシーンと絵の構図が似ているが、ここでは岸恵子が言うべきことをはっきりいいすぎている。そういうマドンナという設定なんだろうけれど、やっぱり私は池内の方の繊細なシーンの方が好きだなぁ。

寅と別れた岸恵子がさくらさんに「いつまでもいい友達でいたかったのに、バカね寅さん」というところの、さくらさんの悲しそうな表情。これも、そういう性質のマドンナを描きたかったのかもしれないけれど、「さくらさん、そこも怒ってもいいよ」とちょっといいたくなる。

というわけど、私は寅以上に女性の趣味が保守的で、今回のマドンナについては、御前様の口調で「こまった」といいたくなるようなところがありました。寅さん、あんたにはこういう女性は似合わないよ、といいたくなるんだけれど、そういう女性もきちんと真剣に暖かく愛してしまうのが寅さんなんだなぁ。












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2011年02月25日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」第十一作メモ



リリー登場。

「寅の夢」で、渥美清が鮮やかな殺陣を見せる。吉田義夫が珍しく善人役だが、やはり独特のアクがあって面白い。

オープニングの江戸川沿い、寅がカメラのシャッターを押す騒動。わざと近くに立ったりする動きだけで笑わせる。考えてみれば、ここは寅のサイレント・コメディだ。ここでは斜面に皆を落として喜ぶ寅は確信犯。

寅がピアノを博の家に入れるのは無理だという際に「棺おけだって縦にしないと入らねぇよ」という言い方が面白い。そして博の「ひどいことをいうなぁ」のおなじみのパターン。博はこの辺りの作品からから色々自己主張しだしますね。

北海道の風景のシーンでは、前作の信濃に続いてクラシック。ビゼーやらG線上のアリアやら。寅のあのかっこうと自然とクラシックが妙にあっている。

夜汽車でリリーが涙ぐむところを、寅がそっと見つめるシーンが二人の出会い。リリーを見つめる寅が実にいい表情を見せますね。二人が同類で心が通じるのを、寅の視線一つでちゃんと表現している。

リリーは、この回は特に素人じゃないことを強調するメイクや服ですね。

二人が初対面で話すところから、いきなり親愛感が会話の言葉じゃなくて、二人が並んで座っている絵だけではっきりでている。やっぱり相性がいいんですね。こういうのは理屈ぬきで不思議だ。浅丘ルリ子のリリーと渥美清の寅が深いところで感応している。父親が舟で出かけるのを家族が見送るのをじつと大きな目で悲しげにみつめるリリーと、ちっこい目でさりげなく、しかし優しく見つめる寅の二人の顔の絵のいいこと。まだ何もないのに本当に恋人のように見える。

寅が北海道で、労働に疲れて倒れる渥美清の演技は絶品。こういう面白さも理屈ぬきですな。

さくらさんが北海道を旅するシーンがいいい。第七作の奮闘篇でもあったけど、実はさくらさんも寅と同じで旅が不思議に似合うのだ。

リリーがとら屋に来ておばちゃんの手料理を食べる。どのマドンナも嬉しそうにするところだが、やっぱりリリーが一番素直に嬉しさが出ていて、とら屋の家族にいきなり溶け込んで見えるから不思議だ。

「かたぎ」の家族が「旅人」のリリーに次々に素朴な質問をして、寅が「わっかてないなぁ」と代弁するのは、寅とリリーが同類で、寅がリリーのことをよく分かっていて、なおかつ家族に対して寅が自己弁明することにもなっている。よく出来た台本だ。

寅が心が豊かだから「上流」だという話になつて、寅が「野ばら」を歌いだすところは笑える。「望郷篇」でも育ちがいいとおだてられてその気になったのと同パターン。

リリーに家族が寅の過去の失恋を全て説明する場面。ほとんど全部のマドンナを話しているんだけど、なぜか若尾文子の回だけが抜けている。明らかに意図的に。何か山田監督の思うところがあったのかしら。

さっきの場面では、寅がリリーの気持を代弁したが、ここではリリーが「愛されるより愛したい」と寅の気持を代弁する。まさしく、無償の愛が寅の本質である。

リリーに「私の初恋の人は寅さんかしら」といわれて。「りりーしゃん」となるのがおかしい。ちなみに、「リリー、俺は冗談だとわかるけど、この家の住人は皆かたぎだから真に受けちゃう」というセリフは、「相合い傘」でリリーにプロポーズされた寅が言うせりふだ。ここでは笑えるが、あの場面は本当に悲しい。同じセリフを全く別の状況で使うパターンが多い。

寅の部屋にリリーもとまる。もう何人目だったんは忘れた。そして、やはり一番嬉しさうにはしゃいでかわいらしいのがリリーなのだ。

リリーが酔ってきて、寅とケンカ別れするところが最後。これは失恋シーンではない。博の言葉を借りると「これははじめてのケースだ。」当然みる人間は「これで終わりなの?」と思う。続編が期待される。リリーの結婚相手も毒蝮三太夫なんで、観客はなんとなく納得できないのだ(笑)。

全体にリリーの魅力全開だけれども、作品としての完成度はそれほど高くない。というわけで、リリーが出でいて完成度も高い作品が必然的につくられることになるというわけである。

ついに、寅は別れる時にさくらさんに逆にお金をもらってしまう。という作品。
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2011年02月24日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎夢枕」第十作メモ



個人的にはシリーズ中、大変好きな作品。マドンナが寅の幼馴染という反則設定で、本当に寅に結婚させてやりたいと親身に思わせる?珍しい一品。

「寅の夢」は、マカオの寅篇。前田吟がすっごい二枚目ほ抜けぬけとやっているのが超おかしい。そして、吉田義夫の味にほとんくど麻薬的にはまってしまうのであった。

渋柿を食った顔芸だけでも絶品で、渥美清は十分笑わせてくれます。

オープニングの江戸川沿い騒動は、ベビーカーを転落させる篇。寅も、まだ素直に謝ったりしている。

家族で寅を「優しい」と世辞で言うのは、皆で本当のことをいっているわけなんだな。そして、さくらさんが寅が言うセリフがおいちゃんの言う通り泣かせる。前作では微妙なキャラチェンジしていたさくらさんだが、本作では基本的に元に戻っている。

寅が「源ちゃんが、祈りを込めてついているんでしょうねぇ」と妙なことを言うと思ったらちゃんとオチが。あの落書きは、佐藤蛾次郎さんが書いたんですかね。違うか。

信濃路のシーンでは、ビバルディの「四季」が効果的に使われている。音楽担当が、山本直純で、彼は小沢征爾のご学友なのだ。だから、「男はつらいよ」シリーズではクラシックが意外に効果的に使われていた。

田中絹代登場。端正で気品があって威厳のある演技、存在感だけれども、これだけでは勿体ない.田中の凄さがちゃんと伝わるだろうかと思う。少しだけの登場なんで仕方ないけど。

登登場。寅の仁義をパクッたりしている。ラストでも登場。最初あるいは最後を締めるのは旅する人間の寅の同類としての、登や旅一座や、後の関敬六がやっぱりふさわしい。

他にもシリーズの随所で活躍する米倉斉加年が生真面目な大学助教授を怪演。寅の部屋に男が泊まる初めてのパターン。

さくらさんが、「おばちゃん」と呼ばれて、源ちゃんに笑われるシーンも。もう第十作で、時の流れを感じさせられますな。

マドンナの八千草薫が、とてもいいと思う。他ではどういうイメージの役が多いかよく知らないが、ここでは庶民的で気さくで優しくて美しくて気がきく女性になりきっている。本当に寅の嫁にピッタリではないか。

ちなみにも、。名前も千代、お千代さんと現実的な名前だ。だいたい、ここまでのマドンナは、冬子とか夏子とか歌子とか花子とか、ちょっとふざけた名前で寅の手には届かない非現実な存在であることが暗示されていたが、きわめてリアルな女の名前なのである。

寅の「さいずめインテリだな」の名言登場。

米倉斉加年が二階でかける音楽も「四季」。こういう「天丼」パターンが、実は「男はつらいよ」シリーズでは多い。この作品では、寅が恋の苦しさを語るセリフを、米倉斉加年が繰り返すところとか。

寅が怒って「てめえらの、そのつめてえ地獄の鬼のような眼差し」という表現がおかしい。これは脚本なのかしら、渥美清のアドリブなのかしら。

寅とお千代の出会いのシーンがとってもいい。店の暖簾ごしに行き来して、「とらちゃん」「ちよぼう」と呼び合う。そして八千草薫の本当に懐かしそうな表情。いいですね。寅の言うことがすごい。「おでこの出っ張ったらっきょみたいなおかしなツラした娘だったよねぇ。結構見られるようになったじゃねぇか。おまえ(さくら)と手握って二人で歩いていると、デカらっきょうとチビらっきょっうって、よくおまえたちからかわれていて泣いていたじゃねぇか。」そして、お千代がなんと怒りもせずに嬉しそうでこう言う「そのたんびに、とらちゃん棒きれ持って飛び出してきてね。」なんだよ、この幼馴染の世界。寅はお千代の寝小便のことまで言うが、お千代は笑って平気である。博の言うように「はじめてのケース」だ。そして、寅が本当につきあっても大丈夫なのではないかと思わせる。寅をよくわかっているから。

米倉斉加年が、お千代に一目惚れした際の、寅と源ちゃんの反応。子供だよ。かわいい。

そして、米倉斉加年が二階でクラシックでなく山本リンダの「もうどうにも止まらない」を歌いだす。こういう細かいギャグまでこだわっている。

寅に博がさくらにプロポーズした頃のことを言われて、照れるさくらさん、かわいい。

八千草薫と倍賞千恵子の美容室のシーンは、個人的には「男はつらいよ」全体を通じても最も好きなものの一つ。お千代が「照れ屋なのよ。あなたのおにいさんは。小さい時からそうだったわ。人がみてると、いじめたり、悪口いったりするけど、二人っきりになると、とっても親切よ。」なんて寅のことをよく理解しているのだろう(笑)。
そして、寅登場。言うことがすごい。「なんだい、この店は漬物屋か。らっきょうが二個そろって、何の相談しているんだよ。ったく、やる方もやる方だし、やらせる方もやらせる方だよ。髪の毛なんかいじらないで、おでこけずったらいいじゃねぇか。以上。」さくらは軽く怒るが、お千代は「照れ屋」だと分かっているから笑っているのだ。寅の結婚相手として、これ以上理想的な人はいないじゃないですか。
ちなみに、八千草薫と倍賞千恵子の本当の容貌と関係しているのが、山田洋次のひどい、というかすごいところではある。

お千代が、親権のない子と会う表情もとてもいい。そして、お千代を晩飯に招待して、息子に関する話題を言わないように申し合わせるのは、第二作で寅に母親の話題を言わないようにするパターンの繰り返し。無論、博が新聞を読むと子どもの話題だったり、テレビをつけると子どものニュースという予想とおりの展開。
さらに、寅が歌を歌って、からすで゛かわいい七つの・・」で、「あっ、これゃ違うんだな。」、さらに「お馬の親子は・・、はじめからダメだ」ちという間が抜群で爆笑してしまう。

かと思うと、お千代が泣いて悲しんだのかと思いきや、寅たちの気持が嬉しいというところで一転して泣かせる。正直、私などは号泣してしまった。こういう、意表をつく演出が山田監督は好きですね。

、そして。寅とお千代の逆プロポーズのシーンも最高である。寅の言うように゛お千代ぼうはカンがいいから」、寅の言葉を待っている。そして、例の「冗談じゃないわ。」と優しく真剣な眼差しで言う名セリフ。崩れ落ちる寅。さらに、すぐに寅の様子を見て「冗談よ」と撤回するお千代。なんて出来た優しい女なのだろう(笑)。いや、本当に真剣に寅と結婚したらうまく言ったんじゃないかと思うベストワンである。リリー以上に。

お千代は、寅が去った後にもさくらたちに寅に振られたとちゃんと正直に言う。ところが、寅は旅先で登たちに「逆に振ってやった」とふくのだ。何と居皮肉で素晴らしい演出だろう。

というわけで、寅はフリーのままで無事シリーズ続行。次作でついにリリーとめぐり合うのだ。











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2011年02月23日

山田洋次監督「男はつらいよ 柴又慕情」第九作メモ



「寅の夢」のストーリーとは独立バージョンが初登場。寅は「無駄な人殺しはしたくはございません」から始まって終始かっこいい。そして時代劇調なのに、突然「おにいちゃん」のキメゼリフも。夢シリーズでは最重要な悪役の吉田義夫も夢デビュー。本当に強烈なキャラの役者さんです。

帝釈天のツバメの巣を取り払ったらツバメがかわいそうとさくらさんが言うと、御前様が「あんたらしいことをいうねぇ」と印象的なお答え。そして、さくらさんが「えっ」とちょっと照れるのがチャーミング。

この回あたりから、さくらさんが微妙なキャラ変化するのが見所。少し貫禄がで辛らつだったりするのが面白い。その1、おいちゃんのことを「じゃまよ、こんなところに」と押しのける。初代おいちゃんにはこんなこと言わなかった。二代目の松村達雄おいちゃんは、ちょっとなめられキャラだったりする。

寅が貸家を探すところで、相変らず細部のディテールが明快な妄想一人語りをする。うまくておもろい。

どうでもいいけど、あの仲介手数料の6000円は払う必要あるのだろうか?

博が、寅に新築予定の自宅のことをボロクソ言われて、真顔で「にいさん、ひどいこというなぁ」というのはいいシーンなんだけど、なんだかおかしい。

さらに、タコ社長が、さくらのいいセリフを盗用してギャグにしてしまうのが洒落ている。

久々に津坂匡章の登登場。相変らず、かわいい舎弟である。穿ったことを言うと、この二人でいる楽しくて仕方ない感じが、裏返しで寅の対女性関係を暗示してしまっているようなところがある。

寅が写真を撮るときに言う「バター」は、第一作の御前様のパクリである。でも、寅さん、そのギャグはあなただから許せるけど本当は全然面白くないです(笑)。

吉永小百合は、やはり独特な清純派ですね。でも、私はNHKの「夢千代日記」が文句なくすきです。武満徹の音楽もピッタリはまっていた。

吉永小百合が「バター」に笑えるのをこらえる演技をするのかぜ妙にうまい。

名優シリーズは宮口精二登場。キャラクターによくあった役だけど、あまり見せ場がないまま終わる感じ。でも、頑固で寡黙なまま終わるのがらしいのかもしれない。

さくらさんが、歌子の写真を見て全てを察する表情がいい。おかしい。

タコ社長が、「年なんか問題ないんじゃない」と相変らず空気読まない発言して笑える。そう、とことん空気読まないキャラだ。

さくらさんのキャラ変化その2.寅に金をねだられ、「なにすんの、パチンコ?」と憎まれ口を叩いたり、賽銭でさくらの幸せを祈るといわれ「いやだぁ」という。単なる心の美しいキャラじゃなくなって、ますます魅力が増している。

歌子がきたところに、客が来て、「おじさんだんごある?」というと寅に追い払われて「だんごやじゃねぇか」というシンプルなギャグが妙におかしかった。

さくらさんのキャラ変化その3。歌子に寅がなぜ結婚しないのかと聞かれたところに、さくらさんが「失恋したんじゃないの」と平気でいう。昔はこういう軽口をいえないまじめな人だったのにね。

さくらさんのキャラ変化その4。歌子を駅で見送り、寅がまた来るといっていたなと嬉しそうに言うと、さくらさんが「はぁ」とため息をついて、「ああん、別になんでもない。と手をふる。とてもチャーミング。寅との親愛度がますます増している感じなのだ。

さくらさんのキャラ変化その5。キャラ変化というほどではないが、博に月給が出た際に、後ろ手で「月給」という。「さくら母さん」になりつつあってよい。

というわけで、本作のさくらさんはお茶目でかわいらしいのだ。次の作品では、ほとんど元に戻るので貴重な作品。

寅は(歌子さんが)「今日もこなかったか」と自分で口に出したのにも気がつかない。寅は被害妄想、かつ心の中が言葉に出てしまう精神の病の寸前段階なのだ(笑)。

寅と源ちゃんが、帝釈天の廊下ですべって遊ぶシーン。寅と登と源ちゃんという存在は全て同種で、普通に暮らす家族たちと対照的な存在で、なおかつ世界になくてはならない存在として、このシリーズ全体を通じて位置づけられている。

寅が、家族に馬韓にされて、「こんな悪魔の棲家みてぇなところ」という言葉の使い方が笑える。そこまで言うかと。

二代目の松村達雄おいちゃんは、つまらないダジャレを言って思いきりすへったりしている。「二代目おいちゃんはつらいよ」である。まじめな話、あの強烈な森川信の突然の代役なんで大変だったろう。

さくらさんは、歌子が最初から泊まりに来たのが分かっていたらしい。さすがだ、全然気づかなかったよ(笑)。ちなみに、歌子も寅の部屋に何泊かするのでこれでマドンナでは人目。

博が、歌子を励ますために、寅のおかげてプロポーズできたことを言う。博も寅のおかげだったと認めるシーン。シリーズを感じさせるシーンですね。

寅の失恋は気の毒だが、ここ何作で続いていたちょっと変った失恋シーンでない、分かりやすい定番なのでなぜかホッとする。

失恋して旅に出る寅を慰めるさくらさんは、キャラ変化のないいつも通りのさくらさんである。勿論、そうじゃないと困る。寅が「また失恋したか」と自分で口に出して気づかない「病状」つき。

寅が旅に出で、しばらく経ち、おぱちゃんがかき氷を一心にかくおなじみのシーンもこの作品からか。
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2011年02月22日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎恋歌」第八作メモ



まだ「寅の夢」は出ず。意外に後まで出てこなかったんだな。その代わりに何度もシリーズに登場する旅役者一座が冒頭とラストに登場。柴又から離れて旅する寅と同種の人たちとの交流が最初と最後にすえられて、寅の本質的なあり方が象徴されて、映画に深みを与える。

座長の吉田義夫がなんとも個性的で、「寅の夢」で海賊船の船長をしていたのが印象的。一座の娘の岡本茉利も、いかにも純真で素直な感じで心に残る。彼女も、シリーズ中色々な端役で登場する。

オープニングで寅が江戸川沿いで騒動をひきおこすパターンが始まる。

さくらさんが登場。相変らずミニ時代だが、足ほそっ。そして、二代目諏訪満男?の中村はやと登場。おいちゃんの森川信が、この作品の後に亡くなるのと入れ替わりになってしまった。

寅を迎えようとして、おいちゃんたちが下手な大芝居を打って寅を怒らせる。寅は、ものすごく感じやすくて基本的に被害妄想気味なのだ。しかし、こんな芝居が出来るのはやっぱり初代おいちゃんだけだった。

おいちゃんの、「さくら、まらくだしてくれ」を、寅にパクられるシーンがある。

さくらさんが、寅の仲間の前で泣いて「かあさんが・・」を歌うシーンは、「男はつらいよ」では珍しくあんまり好きじゃない。倍賞千恵子の美声を聞けるけど、あんなことしたら寅の仲間の谷村昌彦たちがかわいそうじゃないですか。さくらさんらしくないじゃないですか。

寅が写真ほ写す際に「笑ってー」「泣いてー」というのは、あれは渥美清だから笑えるんだな。

博が、父親や兄たちの前で、母親への思いを激白するシーンはいい。そして、兄たちが冷たくて末っ子の博が、本当に母思いなのは小津の「戸田家の兄妹」とちょっと似ている。

おばちゃんが「ひろしさんは、お母さんが好きだったんだねぇ」と言うのが印象的。それを打ておいちゃんも、「お父さん、気の毒な気がするなぁ」というのもいい。寅がりんどうの花の話をするシーンでは、おいちゃん夫婦はボケ役をさせられるが、実は二人ともちゃんとよく分かっているのだ(笑)。

寅が志村喬に買い物に行かせて、酒まで買いに行かせようとするところは笑える。志村喬が買い物籠を持つシーンも珍しいだろうし。でも、そういう気を遣わせないところが志村父も気に入って一人で寂しいところを助かっていると。まだ小津映画で言うと、「東京物語」の原節子の役を渥美清がやっているのだ。

志村喬の「りんどう話」に打たれて、寅が書置きを残して去るが、そこにりんどうが一輪そえられているのがイキ。

池内淳子にあって御前様が振り返る煩悩シーン、他にもこのパターンあって、御前様が「いかんいかん」とか言うのがあった。誰がマドンナだっけ。そして、池内淳子を見たおいちゃんも、寅さんのマドンナ初見シーンとおんなじようになる。この二人は色々競い合うライバルであった。

ついに、寅にマドンナをひきあわすまいと家族たちが画策するパターンに。さくらさんまで一緒になって画策にのっているのがひどいし、おかしい。

寅に言わすと喫茶店は「きっちゃてん」なのだ。コーヒーも「こーしー」だし。

寅がりんどうの話をして、それが博が解説するというおなじみのパターンが多分初めて出てくる。

鐘の音が効果的に使われていておかしい。そして、さくらさんを勘違いするシーンでは騙された。前見たときも騙されたが忘れていた。

寅がマドンナ相手に、ちゃんと喋れなく演技は絶妙。

寅は人妻は愛さない。ということで、寅の部屋に下手な時で「反省」「忍耐」「色即是空」と書かれているのだ。細かいところまでネタが行き届いている。

池内淳子が未亡人だと分かるところで、全員の後姿が映し出され、おばちゃんが脱力して座り込むところ絶妙。たっぷり間をとった演出。寅がゆっくり振り返って、さくらが見せる「困っちゃったなぅあ」の表情も絶品。

おいちゃんとタコ社長が噂話をしていると心に疚しいところがあるので被害妄想する寅のおなじみのパターンはやっぱり笑える。

寅とおいちゃんが、馬鹿馬鹿しいケンカほ続けるが、こういうのは森川信にしか出来ない。本当に八作だけだったのが惜しい。

寅が江戸川の土手で寝そべるシーン。子供たちに給食のコッペパンをもらって食べるシーン。どちらも美しい。

志村喬の大学の専攻はインドの古代哲学とメモ。

さすがのおいちゃんも志村喬には苦戦する。「どこのバカにりんどうの話を吹き込まれた」と分かりやすくボケるのも森川おいちゃんならでは。そして、寅が思いきり懐に入り込んでくるところがいい。満にばぁと無愛想に行って笑わせ、博も嬉しそうなところは、ちょっと泣かせる。

寅と池内淳子の最後のシーンは、「男はつらいよ」史上でもなかなかすごいシーンだ。りんどうを寅がプレゼントして、「りんどうの花って月によくうつるのよ」とキメ細かいせりふが入る。
寅が「あなたのためには腕の一本でも」とかっこよくいい、池内も女として感涙する。寅の一世一代のセリフである。
しかし、話が寅の旅の話になり、池内が足袋の暮らしにあこがれるとロマンティックにいうのに、寅が微妙な表情を見せて、池内が自分の生活の実態が分からない別の世界の人間だなというニュアンスを出すところがいい。池内が、旅の暮らしへの憧れを語れば語るほど、寅が悲しい表情をして、二人のすれ違い感じてしまう、実に繊細なシーンである。「男はつらいよ」では珍しい。そして、寅は黙って去る。
つまり、自分から黙って身をひくのであって、は寅はマドンナに振られて失恋するのではないのだ。



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2011年02月21日

山田洋次監督「男はつらいよ 奮闘篇」第七作メモ



寅が女性に惚れるのは、あくまでも美しい花を愛でているのであって、生身の女性との関係性を覚悟しているわけではなく、だからいざ女性側がその気になると寅は狼狽してしまう。寅は徹底的なプラトニストであり、恋に恋する人である。だから、寅が毎回失恋しても、観る者は気持ちよく笑い飛ばすことが出来るのだ。
しかし、この映画は珍しく、あるいは全48作中、実は例外的な寅の恋愛劇だ。花子は穢れなき存在である。そういう意味で、男として稀有なくらい純粋な寅と奇跡的に釣り合う存在なのだ。いつもは美しい花としての女性のまわりを、嬉しそうに飛び回る蜂に過ぎない寅も、花子に対しては人間としての興味関心を示す。それは、普通の男女の愛を超えた、慈悲にも近い純粋な愛である。
だから、寅は花子に対して過保護なくらいまもってやろうとする。タコ社長の女癖を心配するのは勿論として、御前様さえもが「男」として不安をそそる存在なのだ。寺の前の落書きの「スケベ」をみただけで被害妄想的に不安になるのは、寅の愛情の深さの証拠だ。
だから、寅はもはや花子に対しては、単に美しい花を愛でるのではなく、実際に一緒に暮らし結婚して守ることを本気で決意する。恐らく寅が本当に愛せるのは、花子のようなタイプだけなのだ。リリーはどうだといわれるかもしれない。しかし、あの二人は異常に深い魂の親和性を有しながらも、本質的には最後まで男女の関係ではなかったと思う。さくらが、あの二人を「仲のいい友達のようなもの」と言ったように。さらに言えば、寅とさくらという最も人倫的で高潔な関係性を構築するのが可能な「兄妹」の関係性と、寅とリリーの関係はどこかでパラレルだ。
しかし、ここはリリーについして語る場ではない。ともあれ、寅は本気になって花子を愛した。通常の男女の関係とはちょっと違うが、本物の愛であることには間違いない。だから、寅は花子がいなくなって本気で傷つく。そして、それを寅に告げるのは、もはやさくら以外にはありえず、なおかつさくらは寅に「花子は先生と青森に帰った方が幸せだ」とはっきり言わなければならせないのだ。さくらは寅の本気を一番よく知っていて、なおかつ寅がたとえ相手が花子であっても現実の関係性を構築するのが不可能なのも理解しているから。
本作は「男はつらいよ」史上、最も深刻な恋愛ドラマである。

「寅の夢」はなく、寅の語りから始まる。「冬き来たりなば、春遠からじ」、をこんなに美しくいえるのは渥美清くらいだろう。

森川信おいちゃんの渾身の寅さん出迎えシーンがある。寅の物真似も絶妙だし、後ろにいるのに気がつかないフリをする演技も絶品だ。本当に、森川信おいちゃんは、もっと見たかった。

この辺りの作品まで来ると、家族シーンが精緻に練り上げられてくる。寅のおなら騒動も完璧だ。寅がおならをしたのを博に告げるのが、よりによってさくらさんで、「プゥーってぉっきいおならするんだもの」と、倍賞千恵子に言わすサディスティックな山田演出。そして、おいちゃんが「しかも、とびっきりくせえやつだぜ」とかぶせてくるのだ。もう、たまらないですよ。そして、家族の乱闘シーンにまで発展して、それをひきで撮るところで終わる。あくまで原因は寅のおならだけなのである。

柳家小さん (5代目)と犬塚弘が、それぞれいい味出しすぎ。こさんが、落語家らしく一人語りをするが、これを聞いていると渥美清の一人語りのすごさを実感する。

春の桜の季節で、おいちゃんが寝そべって横顔で、さくらがその向こうに居て、その先に桜の庭というシーンが、さりげないが美しい。

寅のサングラスとヒゲの変装はひどいが、榊原るみの花子だけがその変装に気づかずこわがるというオチとはね。うまい。ちなみに、寅が遠くにいるといって近所から赤電話のパターン二回目。

花子が、寅の嫁になろうかなというシーン。寅が本気にするが、花子は遠くで歌っている。残酷だ。花子は、きまぐれで言ったという設定だけれども、寅の名誉のためにぃっておくと「男はつらいよ」シリーズが続かないのであれば、花子が寅を本気で好きになってもおかしくないと思う。

実際のシーンないけど、当然花子も寅の部屋に泊まる。階段をのぼっていくシーンがちらっと映る。マドンナでは三人目。「寅さんクイズ」では、この花このことを忘れそうなので要注意(笑)。

「みどりはことなるものよ、あじなるものよ」を「縁は異なもの味なもの」とすぐ分かる博はえらいよ。

田中邦衛は本当にいい。何もいうことができないくらい完璧です。

寅に花子むが去ったことをいうクライマックス・シーン。言うはずの博が「しりませんか」と、マジメな顔をしておいちゃんにボールを投げて裏切るのが絶妙。

寅が花子を探して庭に出ると桜が散っている。こんな時にピッタリに。美しいシーンである。

こんな深刻なシーンでも、寅は光本幸子がやってくると思いきり愛想をふりまき、家族には怒り交代劇を繰り返す。おかしい。こんなところにまでコメディを入れる山田監督はえらいよ。

さくらが寅を探して東北を旅する一連のシーンはきわめて映画的。東北の景色や言葉が効果的で、なんだかフランス映画の一こまみたいだ。倍賞千恵子も、もともと色が白くてほっそりしていて透明感がある。ちょっと不安げな表情がとてもよく似合う。最後に寅に再開して。怒りながらあきれながらもホッとして笑ってしまう、あの何ともいえないニュアンスがたまらなくよい。映画的な「男はつらいよ」と、役者、倍賞千恵子の素晴らしさを満喫できる。





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2011年02月20日

山田洋次監督「男はつらいよ 純情篇」第六作



「寅の夢」はなし。そのかわりに「ふるさとは遠きにありて思うもの」ではじまる寅の語りで始まる。相変らず一人語りの説得力が抜群だ。

寅屋ファミリーが江戸川紹介のテレビに映るという設定。この中でもさくらさんは実に綺麗にとれている、白黒の「男はつらいよ」も、ちょっと見てみたかったか。

寅が赤電話で10円玉を次々に入れて話すおなじみのシーンが多分初登場。今はこういう小道具は使えない。赤色も映画に効果的な色彩だし。

宮本信子に旅館に泊まる金がないと言われて、「きなっ」という寅さんかっこえー。おっとこまえー。いきー。

旅館で宮本信子が自分の体で払おうとするところ、寅はやさしく諌めるが、後年なら純情な寅が一度は慌てふためくところがあったのではないだろうか。でも寅がさくらの話をして宮本信子を慰めるところはやっぱいいい。

森繁久彌は重厚な演技。最期寅が去った後に「あの人は体が悪いんだな、かわいそうに」というところは笑える。

寅が夕方の海辺の岩で後姿で座るところ、かっこえー。

マドンナは若尾文子。おいちゃんも入念に髪の毛をとかして気が若い。社長の言うように「あれは上玉だ」である。だだ、若尾文子はちょっと大女優の貫禄がありすぎて、「男はつらいよ」にはちょっとあわない所もある。あまり色々と活躍しないマドンナで、山田監督も色々遠慮したのかなど余計なことを考えてしまう。ちなみに溝口健二の「祇園囃子」での初々しい若尾が私は好きである。

しかし、改めて見直すとここでの若尾文子も大人の女性の魅力があってなかなか良い。マドンナではちょっと異色だけれども。江戸川を散歩して、寅にさりげなく断ろうとするのも今までのマドンナにないタイプだ。今までは、寅の気持に気づかなかったり、輪他って居ても無頓着だったので、なかなか面白いパターンだ。若尾の魅力をもう少しいかしてもらいたかったが、何となく山田監督好みのマドンナではないのかなという気がしてしまう。

若尾が寅の部屋に下宿するが、これは第四作の栗原小巻に続いて二人目。一体何人が寅の部屋に下宿したんだろう。すぐ思いつくのはリリー。あれは下宿じゃないか。

さくらさんが切れて寅が慌てて追いかけて、寅が「柴又に戻らないと決めても、気持が戻ってきちゃう」といってさくらさんが笑い出すシーンはとってもいい。なんという美しい兄と妹なのだろうか。

博の独立騒動でタコ社長の自宅が映るのが珍しい。奥さんや子供たちまで、絵に描いたような子沢山がおかしい。

寅が突然「恋患い」にかかる。二代目おいちゃんの松村達雄がスケベ医者役で登場。松村達雄はおいちゃんもいいけど、こういうバイプレイヤーでよりいい味を出しますな。

しかし、やっぱり若尾文子は美しいですな。自分が若いときに見た時にはあんまり良さがわからなかったんですけどね。また、声がすごい貫禄だ。

寅とさくらが柴又駅で別れる際に、寅が「故郷ってやつはよう、故郷ってやつはよう・・」で電車が出てしまうが何をいったんでしょうね。まあ、あれは故郷は言葉では表現できないものだということをいいたかったシーンなのでしょう。巧みな山田演出。
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2011年02月19日

山田洋次監督「男はつらいよ 望郷篇」第五作メモ



寅の夢は、おいちゃんが死ぬ夢。第二作でもそうだったが、まだこの頃はストーリーの忠実な伏線になるようにマジメにつくっている。

森川信のおうちゃんが、のっけから妙な動きをして暴れている。お得意の「まくら、さくらをとってくれ」も出た。あくまで森川おいちゃんが言うからおかしいのだ。

寅は普段役立たずだが冠婚葬祭だと実に手際がよくて有能である。日常生活とははずれた寅という存在を象徴している。

北海道の親分のところへ行こうとする寅にさくらさんが必死の形相で「かたぎ」で働くように解く。でも、寅はお金をもらったら全然
反省してない。ところが、寅は登にさくらに言われたのと全く同じ文句で説教するのだ。マジメな場面だけど、そういう細工が洒落ていてうまくできている。

今回シリーズを見直していて登という存在がすごく愛おしい。寅に田舎に帰れといわれて、泣くシーンとか。年齢によって色々感じ方に変化が出るのは当然だろうが、一番の発見かもしれない。

寅は、どうしようもない人間で家族も見捨てた親分をただ一人親身になって世話をしようとする。明るくて陽気なマザー・テレサだ。

松山省二の関係する一連の機関車のシーンは素晴らしい。機関車の取り方も、松山が機関室で石炭をくべるシーンも。寅が機関車に乗り込もうとして、「なんだここはあちいな」とか言うのがきいていて、見ていて機関士は大変な仕事だと思うように出来ている。寅が井川比佐志もSLに乗っていたと知って居住まいを正すシーンともうまくつながっている。

このSLのシーン一つとっても、山田洋次監督が撮ると「映画」だなぁと感じる。特に別の監督の前二作を見た後だと。長山藍子との月夜のシーンや、寅が振られて虎屋に夜に戻った際の家族の人たちの映し方など、「映画だ」と感じるシーンが多い。

寅が改心してカタギになろうとして、結局寅がどの仕事もイヤだという寅の語り。風呂屋で女湯で三助をする心配をしてお得意の具体的なディテールが明確な妄想が広がっていくところが絶妙。そして、おいちゃんが「何もそんなところまで考えまくたっていいじゃないか」というツッコミがごもっともです。

さくらが、寅の働き先で本当にオバサン以外誰もいないか心配して、結局長山藍子が登場した際に見せる、「やっぱり、困ったわ」の表情が何とも言えずおかしい。

長山藍子はテレビシリーズ時代の「さくら」である。気取ってなくて明るくて綺麗でという「男はつらいよ」向きのキャラクターで、マドンナとしてもいかにも「男はつらいよ」らしいと感じさせる。と言っても、どういうのがマドンナらしいかなんて結局ないけれども。ちなみに、折角毎回書いているので一応言っておくと、長山藍子も倍賞千恵子もやはりミニ。時代の流行だ。どの辺りの作品まで続いたんだっけ。

長山藍子と杉山とく子二「寅さんも育ちがいいのかもしれないわね」と言われて「じゃあボク寝ます」というところは渥美清の破壊力爆発だ。本当に笑える。しかも、もう一度言う。しつこい(笑)。


長山藍子と寅の月夜のシーンは、本当に「残酷」シーンだ(笑)。素晴らしい。

井川比佐志と長山藍子が結婚することを知って寅の勘違いが判明した際に、源ちゃんのみせる表情がなんともよくて効果的。
そして、翌朝にやっと寅の気持に気づいた長山藍子の表情もとてもよい。

御馴染みの寅が後ろにいるのに気づかず、おばちゃんが振られたんだよバカだねといい、何とか皆が体裁をつくろったところに社長がやってきて無神経なことを言って駄目押しして博に怒られるというおなじみのパターン。本当によくできている。ところで、後ろに寅がいるのに気づかないパターンでは森川信おいちゃんの、とっておきのやつがあったっけ。

そして寅の御馴染みのハガキ。「私こと、思い起こせば恥ずかしきことの数々、今はただ反省の日々を過ごしています。」これ本当にいいですよね。「反省の日々」というのが。でも、毎回反省をわすれちゃってくれるんで48作も続いたのだ。





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2011年02月18日

小林俊一監督「新 男はつらいよ」第四作メモ



ここでも山田洋次は脚本で、テレビシリーズ演出や映画の企画にあたった小林俊一が監督。ワイワイガヤガヤのコメディタッチで、やはり山田監督とは、かなり違う演出である。柴又の住人も大活躍。テレビの演出をしていたといわれると、先入観かもしれないが、なるほどそのように見えてしまう。基本時に山田タッチよりもオーバーで分かりやすい演出である。

第三作に続いて、短期間の連続制作のスケジュールのせいか、さくらさんの出番は少ない。倍賞千恵子は結果的に山田監督以外の作品にはあまり出ていないで、山田監督に操を通した形になっている。というと変だけれど。

冒頭の大掛かりなハワイ旅行泥棒ネタは文句なく面白い。この部分の脚本は山田洋次が書いたのだろうか。ちょっと気になる。
繊細に撮るというより、皆で騒ぎ立てる賑やかな演出ぷりだ。おばちゃんのスカート姿が本当に珍しい。

泥棒役で財津一郎が第二作に続いて登場。本当に濃いキャラだ。

寅が再び帰って来て、店の前を行ったり来たりするパターンが登場して、このパターンは何度も繰り返される。というか、シリーズが進むに連れてますます寅はかえってきにくそうになっていくのだ。寅が「久しぶりだ」というとおいちゃんが真顔で「一ヶ月しかたってねぇよ」というのがおかしい。

少しオーバーな小林演出が、それ以降定着したと思えるものもある。寅がマドンナの栗原小巻の顔を見て、ポカーンとして完全に目が逝ってしまって口もロクにきけなくなるところなど、この後何度となく繰りかえされるパターンだ。演出というより渥美清が自分で考えてやったのかしら。山田監督も渥美の表現能力に全幅の信頼を寄せていたらしいので、自由にやらせているところも多いのだろう。ここでは監督ではないけれども。

源ちゃんが寅の顔を見て、プゥーっと笑い、寅も笑い返して結局寅が源ちゃんをしばくおなじみのパターンもこの作品からだろうか。大レギュラーの佐藤蛾次郎のアイディアも勿論色々入っているのだろう。

栗原小巻が本当に綺麗で色気もあってビックリする。歴代マドンナの中でも個人的にはかなり好みでっす。父親との関係での演技もうまいと思う。そして、やはりミニ。どうでもいいけど、どれくらいまでマドンナやさくらさんがミニの時代が続いたんだっけ。

三島雅夫が出ていて、さすがにうまい。志村喬、東野英治郎等、初期の頃からすごい役者が出ていた。そもそも、当然のようになっているが笠智衆が御前様をやり続けただけでも大変な映画なのだ。そして、偉大な笠智衆に大変失礼なのを承知で敢えて言うが、寅の父親の法事のシーンなどみると、小津時代なんかよりはるかにうまくなっていらっしゃるのではないかしら。

栗原小巻が寅の失恋?をを気にすると、おばちゃんが「いえ、いつものことですから」と言い放つのがひどくて笑える。

寅が幼稚園で園児と一緒に遊戯するシーンがはまりすぎ。そう、寅は永遠に子供のこころの持ち主なのだ。

寅が失恋して去るシーンを見送るのは、ここでもおいちゃん夫婦だけ。第三作でも書いたが、このシーンにはどうしてもさくらさんがいて欲しいと痛感する。

本作品で一番笑えるのは、森川信おいちゃんが渥美清寅相手に婦系図を熱弁して二人とも感極まるシーン。本当に偉大な二人のコメディアン、役者である。山田監督もこのシーンだけは、演出の
小林俊一をちょっとだけ嫉妬するのではないかしら。おいちゃんが当事者なので、かわりに観客の私がこれをどうしても言ってあげないといけないと思うのだが、二人とも「ばかだねぇ。ほんとーに、ばかだねぇ」である。



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森崎東監督「男はつらいよ フーテンの寅」第三作メモ



山田洋次は脚本にまわり、監督は森崎東。演出が、コメディ部分でもシリアス部分でもちょっと大袈裟でやりすぎていると感じる。改めてさりげない山田演出を再認識させられる。

寅の帰還では、近所の公衆電話から電話するというネタ。そして、帰って来てもおいちゃんと電話で会話するボケは、森川信おいちゃんだから成立するのだ。渥美清と森川信だけは何をしても許せちゃう。

「寅のアリア」っぽいのは、寅が嫁さんの条件を語るところ。ディテールにこだわる寅独特の妄想力と渥美清の卓越した一人語り能力は、やっぱりすごい。

この時期は、すごい短スパンで次々にシリーズをとっていて、さくらさんはほとんど登場しない。寅が去った後に、やっぱり優しい
言葉をかけているが。その代わりというわけではないが、博が寅をぶんなぐったりしていて若い。後年では考えられない図式で、やはりシリーズ初期を感じさせるところ。

寅は一度飛び出して、マドンナとのエピソードのために戻ってくるいつものパターンではなく、旅行先のロケで終わる。逆に寅に「会う」ためにおいちゃん夫婦が旅館に旅行したりしている。

新珠三千代はものすごくシリアスなタイプの女優なので、歴代マドンナの中でも異色な感じかもしれない。監督の演出もあるのだろうが。

第一作では、寅が博に「女を目で口説く方法」を伝授していたが、ここでは「手を握って口説く方法」を、河原崎建三に伝授している。コタツのシーンはベタすぎておもろい。

寅が、若い二人をとりもつシーンは素直にいいと思う。父親の花澤徳衛に、同業の口上をイキにやるところもいい。

旅先なので、寅が失恋したところをさくらさんが慰めるシーンがない。やはりあれはシリーズでは絶対欠かせないと再確認させられる。
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2011年02月17日

山田洋次監督、渥美清主演「続・男はつらいよ」第二作メモ



冒頭の寅の格好も主題歌も、ここからはおなじみのいつも通りに。サッカーボールを蹴ろうとしてこけるだけなのも、渥美清がやるとおかしい。

「寅の夢」の記念すべき第一回は母との再会。風見章子(がいかにも品がよくて優しそうで薄幸そうで、本編へのネタフリになっている。風見章子(がまじめな顔してラブホテルの施設案内するのも、考えてみればすごいシーンや。

寅が帰宅して歓迎されるパターンが始まるが、初回は寅も遠慮してすぐ去る。そして、もし長居するとどうなるかを寅が事細かに延々と説明するところがおかしい。「寅のアリア」の先触れのようだ。おいちゃんがいみじくも言うように「そんなことまで心配しなくても」である。さくらさんが、寅が帰って来ても嬉しそうな顔をせず、寅に言葉をかけられて「どんなに心配したか」というところがいい。寅を見送りに行って、満男のこづかいをもらうが、あれは後になったらさくらさんも絶対断って逆に「おにいちゃん」にお金を渡すところだ。

東野英治郎は、小津映画でも「男はつらいよ」でも基本的には全然変らないと思った。ある意味、偉大な役者だ。不器用な笠智衆でも、大分感じが違うのに。

佐藤オリエも、とてもいい感じのマドンナ。この時代はミニスカートが流行していたんですね。さくらさんも誰も若い女はみんなそうだ。

財津一郎がもったいない脇役。でも、寝ている表情だけで笑わせるのはさすがである。

母との再会シーン。寅の母親としてミヤコ蝶々はハマリ役かもしれないが、さすがにいきなり「金か、そんならいかん」とか何とかいうのはひどいけれど、これを山田監督はいわせたかったんだな。でも、それを結局寅は、工場員たちに話すところでは、寅さんの完全なギャグにしてしまっていて、なるほどそういうことかと納得する(笑)。母親と間違えられる風見章子が、とことんとぼけていておかしい。

寅を迎えるにあたって、家族が母親に関する言葉を言わないようにと相談して、結局・・というパターン。これの他にも八千草薫マドンナでもやっていた。分かりやすくて笑える。それを大真面目に言う前田吟と、やっぱりふざけた感じのおいちゃん。そして、困ってテレビをつけると・・。というのも同じパターンだ。私はBS録画を見ているのだけれど、寅が堂々と「お味噌ははなまるき」と何度も連呼している。さすがにNHKもこれはカットできなかったか。

鰻が本当に釣れて、東野英治郎が死んでいたというのはよく出来た演出。

佐藤蛾次郎の源ちゃんが、商売のサクラをするなど大活躍。そして、随分とセリを長々としゃべるシーンもあって、これも初期を感じさせる。どんどん、余計なことはいわなくなるので。




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2011年02月16日

山田洋次監督、渥美清主演「男はつらいよ」第一作メモ



見れば分かるという映画の典型で、余計な感想など不要だけれども記録のための見たまんまのメモ。

さくらさんの初々しさといったらない。まだ結婚前の若い娘で、髪の毛も染めているしミニ。こんな時代もあったのだ。いきなり、葛飾柴又の方々の中にふっと現れ出ずるお姿は、まさに掃き溜めに鶴。ごめんなさい柴又の人たち。そして、寅さんにおびえる様子が何ともチャーミングなのである。そして、最初からちゃんと「おにいちゃん」きました。ここでは、おにいちゃんなの、という不安と期待を込めたパターン、今後数限りなく違うパターンの「おにいちゃん」が繰り返されるのだ。

そんなさくらを、寅さんはひっぱたいたりしている。それゃ、おいちゃんじゃなくとも怒る。これが最初で最後だったかしら。

そんな寅さんが、おいちゃんにひっぱたかれる。森川信のおいちゃんはサイコー。寅を「これをオヤジの拳固だと思え」といって殴るシーンでも、どこかおかしい。寅が光本幸子のところに通いつめる場面の、とぼけた「いってらしゃい」もあれは森川信にしか出来ないよ。寅も、おばちゃんや登に因縁をつけても、おじちゃんは完璧にとぼけているのでからめないのだ。しかし、観るものにはおいちゃんがとぼけてシランプリほしているのがちゃんと伝わる至芸。

おいちゃんに殴られて庭にうずくまる寅を、カメラが俯瞰でとらえて、さくらさんとその影の後ろ姿が寅に寄り添うところはとても映画的で美しい。さくらさんが寅に優しい言葉をかける前から、さくらさんの優しさが伝わってくる。

今回改めて見て、これは映画としてもとてもよく撮れていることを再確認。つい強烈なキャラクター郡に目がいくが、それをつつみこむ山田洋二スタイルの映像に、観るものは気がつかずに安心しきって身をまかせているのだ。柴又の街の映し方などの全48作変らぬ様式美。冒頭の寅がとびいりする祭のシーンからしてみごとだ。

冒頭に寅のナレーションが入る。渥美清の語りにはえもいわれぬ説得力があって、「寅のアリア」につながっていくのだ。

寅がさくらのお見合いを台無しにするシーンは、映画だとわかっていてもハラハラする。でも、あれでよかったのだ。さくらは博がすきなのだから。そして、二人の間も寅がぶちこわしそうになるが、それも結果的オーライ。博も多分いつまでたってもさくらに告白できなかっただろうし、さくらさんも自分から言うタイプではない。というわけで、見事に寅は愛のキーピットの役割を果たしている。

ここでの博さんも、とってもよい。前田吟はここでの演技が恥ずかしいらしいが、本当にマジメで男らしくて純情でいいじゃないですか。さくらに「別れのプロポーズ」をするシーン。昔はちょっと恥ずかしく感じたが、今回はとてもよくって泣きそうになった。私も歳をとったということだ。

その博が寅に舟でマジメにくいつくシーンもいい。寅さんが博の口調を真似るところは、本映画で一番わらってしまった。

そして寅が博に「女を目で口説く方法」を伝授し、光本幸子にも実践するが「寅ちゃん、目にゴミでも入ったの」といわれちゃうのも相当おかしいところだ。

笠智衆のは最初寅を「覚えとる、覚えとる」というところからキャラクターが出来上がっている。しかし、京都旅行ではスーツ姿に身を包んで、ちょっと御前様っぽくないのが第一作らしいところ。写真を撮る時「バター」というのは、御前様オリジナルだったのか。その後、寅が散々パクるみとらなるのだが。吉永小百合マドンナの回でもやっておったな。

社長が結婚式場に、バイクですごい勢いで走りこんでくるシーンが妙に印象に残る。映画的なシーンの一つ。

志村喬には誰もが泣かされるだろう。ここではひたすらいい役だけれど、後の作品ではもう少し父子の相克すが描かれて、そこでの単なるいい人でない志村喬もとてもよかった。寅が無愛想な志村に結婚式の間中、気に入らずに毒づいているのが巧妙な伏線で、志村のスピーチでみんなしてやられる。

津坂匡章(現:秋野太作)の登がとってもいとおしく感じた。前見たときにはこんなに思わなかった。

佐藤蛾次郎の源ちゃんは最初から寅とマドンナ光本幸子のボートデートをスパイしている。そして、寅が光本幸子の婚約者のことを知ったところで笑っていて、ちょっとドキっとする。後年のように、思いっきり寅を笑う感じではないので。こういうのも第一作らしい。

光本幸子のマドンナはそんなに印象がなかったけれど、酔っ払って歌いながら寅と夜の柴又の商店街を歩くシーンなど、なかなかいいと思った。

寅さんは、若くてちょっと乱暴だけれど、最初からちゃっんと寅さん。マドンナと魚釣りにいこうとする際の麦藁帽すがたがかわいい。こういうのは渥美清の反則攻撃だ。

第一作からして、素晴らしい出来。まだ、マドンナが中心でないところだけがシリーズと違うが。博とさくらさんが結婚するのだもの。それだけで十分だ。



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2011年02月14日

成瀬巳喜男「妻として女として」感想

これは美しくて素晴らしくて生命力があって悲しい生き物=女ととことん情けなくて優柔不断で卑劣な生き物=男、という成瀬方程式の極北、白眉の傑作だ。1961年。
個人的には1960年代の成瀬映画はあんまりのめりこめず、戦前戦中の成瀬映画を愛してやまない人間だ。しかし、これは成瀬的な男女の、というより女男の関係が徹底的に描かれていて背筋が寒くなるくらい壮絶だ。
いきなり退屈な感じの平和な家庭のシーンで始まって、60年代の成瀬ホームドラマなのかなと思ってしまうが、とんでもなくてこれはあくまで嵐の前の静けさだ。
森雅之が高峰秀子からの贈り物をみる姿を、正妻の淡島千景がみつめるその「視線」だけで、まだ説明されてないのに観る者は三人の関係性を瞬時に理解する。
そして大学教授の森雅之が妾の高峰秀子と旅行していめところを自分の学生にみられるシーンから、典型的な成瀬的男女関係ドラマがはじまる。森雅之はすっかりうろたえてしまってしまって心ここにあらず。それに高島が苛立ち、どうしてそう世間の目を気にするのかと怒る。徹底的に小心で情けない男と、度胸がすわった女。森の情けない男になりきる演技は、どれりだけ絶賛してもし足りない。そして、列車の中でも森は高島と離れて座っている。人目を忍ぶために。高島が森の方を情けなさそうに見つめる「視線」の表現。ここまでくると森が情けなさすぎて笑ってしまう。
他に登場する男たちも皆見事にダメで情けない。十朱久雄は女たちに集団で糾弾されてしまうし、あの中村伸郎までもがいやらしいオヤジだ。小津映画では、あれだけ粋で気品がある中村も、成瀬にかかると単なる勝手なスケベオヤジだ。成瀬は女性を美しく撮る天才だけれども、同時に男を情けなく撮る天才でもある。
森に高島が別れ話をするシーンでは、障子を閉めて暗くするなど、この映画では随所に明暗を巧みに使って成瀬らしくきめ細かに撮っている。しかし、そんなことも忘れるくらいどんどんストーリーにひきこまれる。
とにかく淡島千景が「強い女」で、その存在感に圧倒される。正直、おっかないです。第一回目の淡路と高島の正面対決は、淡路の圧勝である。高島は、少し人がよくて気が弱い設定なので、淡路にピシッとやられてしまう。冷静に考えると、淡路の主張も「世間的」にはもっともなのだが、そういう性格付けの魔術で、観るものは淡路=ヒール、高島=ベビーフェイスと思わされ、妾の高島につい同情してしまう。
そもそも、どんな人間に対しても底では辛辣な観察眼を失わない成瀬も、「妾」「芸者」といった弱い立場の女に対しては優しい見方をする。それは、戦前の「妻よ薔薇のやうに」や「噂の娘」の頃から変わらない。
高島が酔って、妾の悲しさを母の飯田蝶子にこぼすシーンは美しい。ちょっと前の例えば「流れる」で芸者たちが悲しい女の身をなげくのと似通ったところがある。成瀬は時代を意識して作品をつくる監督で、それが私などは60年代の成瀬がイマイチ好きになれない原因なのだけれども、成瀬的なテーマや感覚はどの時代にも通底していて変らない。
高島が、大沢健三郎に自分の息子だと打ち明けるあたりのシーンは、映画だとわかっていてもハラハラする。まだ言わない前にジェットコースターで息子に自然に抱きつくシーンなど巧みな演出だ。そして、基本的には人のいい高島がなかなかいえないところに、きつい感じの役柄の淡路恵子を登場させて言わせるのは卑怯だ。もうハラハラしてみていて、「やめろー」といいたくなる(笑)。すっかり映画の虜だ。人のいい高島はそれを止めようとするという設定で、ここも巧みな演出だ。
そして、正妻vs愛人・妾の最終対決。これは戦争だ。なんという恐ろしい女の戦い。見ていてこわいのだけれど興奮せずにはいられない(笑)。やはり先攻するのは淡島千景だ。やはり凄い迫力と説得力。しかし、ついに高島秀子も反撃する。淡島のことを「人の不幸を自分の幸福にする女」とまでいう。おっかない。ここまで来ると笑ってしまいそうになくらいだ。しかし、ここではもうどちらが悪役でどちらが善役ということではなく、二人ともギリギリの女としての真実を語っているように感じる。二人とも正しいと思う。
そして、二人の矛先はついに森雅之に向かう。淡島と高島画正面から対峙していたのが、二人が同時に森に視線を向ける。この瞬間こそ、この映画のハイライトだろう。成瀬的な視線の芸の極北・白眉である。
そして、その二つの真剣な鋭い視線を向けられた男、森は何を言うのか。それが何もいわないのだ。ここにきてまで。なんという男に対する成瀬のサディズムだろう。女が自分をさらけ出して真実を語ったのにもかかわらず、男は何もいわずに立ち尽くすだけである。その視線も女に向けられずに下を向いたままなのだ。
さらに、森は「子供の意見を聞こう」などと言い出す。何の罪もない子供に判断させるとは、ビックリだ。ということで、娘の星由里子と息子が入ってくる。ここでも主張するのは「女」の星で息子は黙っている。星は、二人の女をなじるが、それよりも父親を「卑劣」と言い切る。その言葉だけが耳に残る。もっともだ。それ以外ない。
前半はヒールっぽかった淡島も、最後のシーンでは夫と別れることを決意して、自分のやったことを間違いだったかもしれないとまで言う。女の正しさを最後まで成瀬は描ききる。一方、森は大学のキャンパスを悄然として歩くだけだ。
星はさっそく家を飛び出して自立する。ここでも女は生命力があって立派な存在だ。そこへ息子の大沢健三郎がやってくる。まだ若いのだから仕方ないが、彼はそのまままだ家にいる。一応彼も自分の人生を生きるという明るい方向性で映画はおわるのだが、正直彼が将来森雅之にならないかが心配だ。いや、きっとそうなってしまうのに違いない。
こうして、とことん女を素晴らしい生き物として描き、男をトコトンダメな生き物として貶める成瀬映画を見ていて思う。これは、果たして女性賛美なのだろうかと。実は、女性を褒め称えるというよりは、そういう女性であって欲しいという男の願望が成瀬映画には隠されていると思う。どの映画をみても、私はそのことを感じる。徹底的に男がマゾヒズム的に卑下されるが、実はマゾヒズムというのは自己犠牲ではなく自己中心的な態度だ。そういう女に囲まれて生きていたいという男の勝手な願望が根底にあって、成瀬映画は実は女性賛美どころか、下手すると究極の女性差別の危険をはらんでいると思う。これは、成瀬批判ではない、そういう極限の女性像をぬけぬけと表現しているのが成瀬映画の偉大さなのだ。但し、それはあくまで男性目線であって、成瀬映画は女性映画ではなく、とことん「男」の映画なのだと思う。女性は成瀬映画をみてどう感じるのだろうか。
とにかく、この作品は60年代では最高傑作で、成瀬映画の中でもベストの何本かに入る作品だと私は感じた。
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成瀬巳喜男 「秀子の車掌さん」感想

高峰秀子の成瀬映画デビュー作。当時17歳くらい。1941年の作品。
高峰秀子が実家近くでバスを止めて、田んぼの中を走って家へ向かうシーンが素晴らしい。成瀬映画ではこういう自然の中の移動シーンのつなぎや組み立てで感心することが多い。「まごころ」「 妻よ薔薇のやうに」など。それにしても当時の自然がとても美しく感じられる。
藤原鶏太(戦時中で当局から藤原釜足に文句をつけられて改名中)の珍しい主役映画でもある。やはり、さりげないとぼけた感じでいい味出している。高峰に「小説家(夏川大二郎)はフランス映画の「にんじん」に似ていると言うが、私はごぼうだと思う」といわれたりしている。勿論役のバス運転手として言われるのだが、藤原釜足本人が言われているようでおかしい。
高峰秀子が初々しい。但し、年齢のわりにはやはり堂々としてうまいのだけれども。個人的には、「浮雲」以降の「女優」高峰よりも、この作品や木下恵介の「カルメン故郷に帰る」のようなタイプの高峰が好きだ。
夏川大二郎も原作の井伏鱒二とおぼしき作家のマジメな役のようでいて、バスガイドの声色で延々とバスガイド原稿を読んだり、うるさい蝉を追っ払おうとして水をかけて下を通る夫人にかかってしまって恐縮したり、なかなかのコメディアンぶりである。
それと社長役の勝見庸太郎がすごい役者で怪演していて笑わせる。やたらとラムネと氷が好きで。ラムネをあける音の爽快感がたまらないとか、ちょっと洒落た台詞をいうが、これは井伏鱒二原作の通りなのかしら。
非常に牧歌的なコメディだけれりども、バスから映す風景の映画的な感覚、各キャラクターのうまく練られた個性があって完成度は高い作品だ。軽い小品だけれどもレベルは決して低くない。いや、高い。
それと、そもそも私は個人的にこの時期の成瀬作品が、どれもこれも好きで仕方ないのだ。
しかし、コメディとは言ってもラストのオチは素直でない成瀬らしいセンスで素晴らしいし、何も知らずに最初で最後のバスガイドを嬉しそうにする高峰と藤原の姿で終わるのも、映画らしくうまく完結していると思う。

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2011年02月13日

成瀬巳喜男「夜の流れ」感想

1960年。成瀬巳喜男監督と川島雄三監督の合同監督。リアリズムの成瀬と実験的な川島の共同作業で、成瀬が古い世代の側と料亭の場面等、川島が若い世代の側と芸者屋等動きの多い部分を撮影したと検索すると共通して書かれている。そんな感じもするが、どんな二人の分担の可能性があるか、あくまで仮説の話として列挙してみよう。

1.成瀬が中心監督で、山田五十鈴、司葉子、三橋達也の三角関係ドラマ(以下山田五十鈴エピソードと略)、草笛光子、宝田明、北村和夫の三角関係(以下草笛光子エピソードと略)の二つの中心ドラマは成瀬が撮り、他の断片的な芸者エピソードを川島が撮った。

2.二人が対等な立場で、成瀬が山田五十鈴エピソードと料亭の静かな場面を、川島が草笛光子エピソードと芸者が元気に活躍する場面を撮った。

3.二人は対等だが、実は観客を騙していて、成瀬が草笛光子エピソードを、川島が山田五十鈴エピソードを撮った。そして小エピソードも実は二人の個性の逆のシーンを撮っている。

4、川島が中心監督で、山田五十鈴エピソード、草笛光子エピソードなど中心部分を全部撮って、ベテラン成瀬は自分が好きな場面だけを一分撮ってサポートした。

5.二人できちんと撮りわけずに、常に二人が同じ場にいて、一応各シーンの責任者を決めるが二人が意見を出し合って文字通り共同作業した。

普通に考えると、多分2なのだろうと思う。但しもこういうのは疑い出すとキリがない。山田五十鈴が三橋達也に別れたくないと自分の後ろの障子を閉めて「女」を全開させて迫るシーンなど、成瀬らしいが、こんな露骨な撮りかたは成瀬はしないのではないかと。また、成瀬映画では、女の方がしっかりしていて男がダメという一般図式があって、ここでの山田的な男にすがる女というのは成瀬は実は好きではないのではないかと。
一方の、草笛光子エピソードの方は、動きもあって普通に考えれば川島だが、草笛=しっかりした女、北村=ダメ男というのは、実は成瀬好みのパターンだったりする。
だから、観客を騙して二つのエピソードを普通思うのとは逆の監督が撮っていたら面白いと思う。多分そうではないだろうが。
司葉子が三橋達也に対して男の卑劣さを厳しく指弾するシーンは、これはいかにも成瀬的だし、やはり成瀬が山田エピソードを撮ったのかなぁ。
冒頭のプールで、司葉子その他ほとんどの女優(草笛光子姉さんまで)が水着姿を披露しているのは、これは川島撮影なのだろうが、もし成瀬が撮ったのならおかしい。そういう勝手な想像をする楽しみがある。
市原悦子(「家政婦は見た」まで芸者役で出ているのだ)がガス自殺を図って、三益愛子が「するのなら、他のところでやっとくれ。迷惑だ」と言い放ち、そこに芸者が飛び込んできて犬か猫が巻き添えで死んでしまったのを嘆く辺りはなかなかいい。こういうのは成瀬好みのシーンだと思うのだが、実は川島かもしれなくて断言できなくて困る(笑)。
他に、若き日の岡田真澄が英語教師のコミカルなチョイ役で出ていたりして面白い。
正直、共同監督ということであまり期待しなっかたのだが、様々な要素が組み合わさっていて楽しい映画だった。共同監督が成功していると思う。成瀬の「流れる」の現代版のようで、数多く登場する芸者たちの豊かな個性も楽しい。
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2011年02月12日

成瀬巳喜男「噂の娘」感想

成瀬映画を見れば見るほど、その映画話法の巧みさと繊細な感覚に感心させられる。この作品も一時間弱で短いのだが、素晴らしい出来である。私は見た映画を忘れる特技があって、どの映画も一度見たはずだが初見のように新鮮に見られるのだ。1935年。
成瀬らしい「視線」の映像が頻繁に出で来る映画だ。特に主役の千葉早智子が印象的な目を何度も見せる。例えば、父親が酒に細工をしているのではないかと疑っていて、樽から酒を注ぐシーンで、千葉の不安そうななんとも言えない目の表情が映し出され、千葉の心情がみごとに表現されている。傾き行く酒屋、自分の縁談、父の妾の問題等、悩みの要素が多いので、千葉は随所で何も言わずに視線で心情を表現している。さらに、酒屋に警察が来た際の、近所の人たちの視線のオンパレード。
千葉が川を舟で下っている際に、はるか上に見上げた橋の上に小さく見合い相手の大川平八郎と妹の梅園龍子の姿を見てしまうシーンも印象的。見上げた先に二人がいるシーン俯瞰で千葉が上を見ているシーンが交差して対照され、見てしまったのと見られたショックが鮮やかに表現されている。
千葉早智子は、ここでは少し古いタイプの女を演じている。「妻よ薔薇のやうに」では、新時代寄りで旧時代にも理解を示す女性だったが、ここでは新時代の女は分かりやすく梅園龍子に分離して割り振られている。「乙女ごころ三人姉妹」では三女役だったが、ここでは図々しい新時代の雰囲気をよく出している。他の登場人物たちが諦念して現実受容しているのに、一人だけ現実と向き合い戦っている映画の中の異和点の役割も果たしている。
伊藤智子が妾ながら優しい女で、「妻よ薔薇のやうに」の九州の女と同種である。こういう女性に対する成瀬の視線は、珍しく優しいような気がする。
隠居の老人、御橋公も重要な役割だ。没落する家を内部にありながら客観的に見つめて、全てを力なくしかし取り乱すことなく受け入れる。息子が酒に細工しているのにもすぐ気がつくが、直接激しく叱咤したりはしない。息子が逮捕されても「これでよかった」と言う。破滅する家族をみつめる優しくも冷たい一つの視線である。
車代で「釣りはいらない」と言っておいてねやっぱり貰うといったり、優雅に三味線を弾いているところを梅園龍子のかけるジャズのレコードに邪魔されて困惑するなどコミカルな役割を果たしている。
最後の場面では、色々な問題がまとめて噴出するが、どれも解決しないまま、酒屋の主人が逮捕されて終わる。そういう滅びの音楽を描きたかったのだろうから、問題が解決される必要もなくこういう終わり方がふさわしいのだ。滅びゆく家族の中で、一人だけ現実と格闘しようとしていた梅園龍子も荷物を放り出すしかない。
そして、向かいの床屋の三島雅夫が、も酒屋の次は何になるかを残酷に推理しながら映画は終わる。形式間も見事で、小品ながら、映像の撮り方も、内容や人物の描き方も完成度の高い作品だと思う。
この年に成瀬は5本も撮っている。それでこれだけのものが出来るのだから大したものだ。
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2011年02月11日

成瀬巳喜男「まごころ」感想

これは、なんとも可憐で美しい映画だ。
1939年。とにかく、対照的な個性の二人の少女がかわいい。自分の母親が、かつて相手の子の父親と好きあっていたと聞かされ、泣き出すと、もうひとりもつられた泣き出す。二人とも同方向を向いて長椅子に離れて座る構図がよい。さらに、二人で、もしお互いの父親と母親が結婚していたら、二人の中間のような子が生まれただろうと「おかしいわね」と近距離で向かい合って言うかわいらしさ。
入江たか子かあさんが、優しくて美しい。原や高峰よりさらにひとつ時代が前の女優なのだが、そのちょっと古風な美しさがよい。入江かあさんと娘が食事をするところを、庭の木々越しに映すシーンはなんともメルヘンティックだ。
入江と娘が、川にまで向かう途中の映像のつなぎ方も、成瀬組らしくスムーズで見事。「妻よ薔薇のやうに」でも千葉が九州で父親やその息子と道中を歩く場面があったが、それもとても巧みだった。成瀬お得意のシーンである。それにしても、ここでの自然の美しさには息を呑む。映し方が上手なのか、やはり今とは異なる自然が残っていたのか。
川のシーンの広々とした開放感も心地よい。怪我をした娘を介抱するために、入江たか子と高田稔が再会するのだが、多くの余会話を交わさなくても、二人の動きや視線で二人の関係が全て伝わってくる成瀬演出。そして、それを黙って見つめる二人の娘たち。彼女たちも、恐らく我々同様に全てを理解するのだ。
母親を悲しませた娘が入江を励ますために一生懸命肩をたたいた後、。入江が何ともいえない目つきで娘をじっと見る。娘のけなげな気持を察しているのが分かるように。実に成瀬映画的である。
古きよき時代を、美しい自然や風景や当時の建物を存分に織り込み、人物の心情も成瀬らしく繊細に描き出した実にかわいらしい佳品である。
最後に、村瀬幸子が急に改心するのが普通のストーリーなら唐突だが、夫の召集令状という事実の重みがあるので不自然ではない。戦時映画だが、それもうまく用いていると思う。
この時期の成瀬映画はどれもこれも素晴らしいが、特に気持のいい観後感の残る作品である。
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2011年02月10日

木下恵介「二人で歩いた幾春秋」感想



冒頭で山梨の山と雲の広大な風景が映し出されるのだが、これがとても美しい。木下の映像には明確な個性がある。曖昧なところのないギリシャ的端正とでもいうべきものがあり、なおかつ繊細な研ぎ澄まされた感受性が映像の端々にまで漲っている。
自然だけでなく役者の人間も、くっきりたした形で、なおかつ人間らしいやわらかさも失わずに画面に定着されている。それを、しかも作為的な技巧を感じさせずに、自然体で伸びやかにやってのけているのだ。大人の映画作家だと感じる。
この映画は、道路抗夫と小使いの貧しい夫婦が健気に働きながら生き、子供を育てていくというきわめて地味なテーマである。しかし、それを映像化する木下の力量は大変なもので「芸術的」である。他の日本映画の巨匠たちと比べると、大抵テーマが「芸術的」なものではないので、評価されにくいのだろうが、彼らに全く劣らない画を撮る人だったと、この地味な映画一つをみても感じる。
佐田啓二と高峰秀子の夫婦役の二人が、実に自然にいきいきとしている。二人とも大スターだけれども、本当に庶民の働く人間という感じがよく出ている。木下の演出が明確でしっかりしているのもあるだろうし、二人ともやはり大した役者なのだと思う。佐田啓二などは、小津映画などでは役者としてはどうなのだろうと感じることもあるけれども、この映画だととてもいい役者だと素直に思える。
感動する箇所も普通に「いい」場面だ。息子の入学式で二人とも粗末な服なのを息子がやって来て気にしないでいいからと二人を連れて行くところ。こういうところに素直に感動させてもらえる映画だ。
息子が大学を辞めるといって、佐田にあまり怒らないでと止めていた高峰が、佐田の説得にもかかわらず息子が辞めるということをきかなくて、高峰が息子を何度もひっぱたく場面。こういう普通のいいシーンを、通俗的にならずにきちんと撮ってみせてくれる映画で素晴らしい。
息子の恋人役で若き日の倍賞千恵子が登場するのだが、やはり並々ならぬ存在感で、既に「男はつらいよ」のさくらのような心の優しさを自然に感じさせる。
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