2011年01月06日

小津安二郎「麦秋」雑感



コメディタッチの軽快な作品で、原節子が明るく屈託のない女性を演じている。真面目だったり耐え忍んでいたり屈折したり凛々しかったりする役柄でなく、こういうひたすら明るい原節子が見られる作品は意外に珍しいのではないだろうか。その姿を見ているだけでも幸せな気分になれる。1951年の作品だから、原節子31歳だ。ただ、映画の中の役柄では「28歳です」と若干サバを読んだりもしている。
「東京物語」のような作品の方が、芸術的に高く評価されやすいのかもしれないが、個人的には小津のモノクロ時代の一番の傑作にあげたい作品である。小津には本質的にこういう色調の映画の方がピッタリくるように感じる。ちょっと、フランク・キャプラの映画のような臭いもするホッとする作品である。
笠智衆が原節子の縁談を勧める為に、突然寝室の襖をを開けて三宅邦子を驚かせて、三宅がのけぞって驚くシーンなどは、ちょっとしたサイレントのコメディ・タッチだ。
個人的に一番好きな小津作品なので、たくさん言いたいことがあると思ったのだが、とくに取り立てて書きたいことも意外にない。見て楽しめばそれで十分という種類の傑作である。
ラスト近くで、家族の心配をよそにお茶漬けをすする原節子が妙に生々しい。
そして、原節子と三宅邦子が海岸の砂丘で語り合う美しいシーン。似たような衣装で似たような動きを見せる小津パターンの独特な様式感。そして、縁談問題の重苦しさから開放されて、広々とした海辺で晴れ晴れとして二人の女が語り合う。そして、原が砂丘から駆け下りていく後姿をカメラが追い、三宅もそれを追って駆け下りてゆく。さらに、海辺を靴を脱いで静かに満ち足りて歩いてゆく二人。本当に素晴らしいシーンである。
「東京物語」の笠智衆と東山千栄子が東京を彷徨うシーンと似たところがあり、ありふれた日常生活を送りれながら、そこから静かにだが確実にずれて生の本当の姿を垣間見させる瞬間が小津映画には、どの作品にも織り込まれている。そうした日常と非日常を大袈裟に対比させるのでなく、ちょっとだけ日常をずらせてみせることで魅力的に表現するのが小津映画なのである。
だから、題材にはドラマティックなものはいらない。日常的な家族の出来事で十分なのだ。しかし、他の表現主義的などんな映画よりも、小津の作品は非日常を鮮やかにフィルムに焼き付けている。
そもそも、映画とはそういうものではないだろうか。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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