2010年01月19日

浅川マキ追悼

昔からジャズは好きで渋谷毅をよく聴きにいったりしたのだが、その流れで浅川マキと遭遇することになる。錚々たるジャズミュージシャンにひきつけられて出かけたライブ。恐らく当時は名前だけしか知らなかったマキさんが静かに登場する。彼女の周りにはまったく独特の非日常的な空気が流れているのが誰にもすぐ感知できる。アンニュイで暗いが不思議にとても暖かい独特の歌声とオーラに誰もがいきなり引きずりこまれてしまう。そして、深々とした人間の心の奥深いところにある原光景をかすかに思い出さずにはいられない声でそっと歌いだす。もはや豪華なジャズミュージシャンたちも、完全に彼女にひたすら仕える従僕に過ぎない。
まぁ、そんな誰もが洗礼を受けるマキ体験を私もしたわけです。
いつになくこみあう新宿のピットインで何度か彼女だけの世界を体験したわけなのだが、いつだったかちょうど美空ひばりが亡くなった時で、マキさんはひばりをひそかに敬愛していたとか何とか例のボソボソした喋ると、いきなりひばりナンバー(何かは失念してしまった)をアカペラで歌いだした。美空ひばりも深いところで唯一無比の歌声だったが、存在感では決してひけをとらないマキさんの肉声がライブハウス全体をスッポリ包み込んだ。
人の声が、ある種神聖で特別なものであることを理屈ぬきで感じさせる稀有なヴォーカルだったと思う。
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2010年01月14日

岡本太郎の本 1 呪術誕生



岡本太郎の芸術論、若き日のパリ時代の思い出、母かの子の子供時代の追憶などが収録されている。
岡本の芸術観は「対極主義」という言葉で要約されるのだが、どちらかというと理論的な正確なものというより、彼の生き方そのままの矛盾を矛盾としてそまま受け入れて突き進もうとする姿勢の実践的表現である。
絵画的には、抽象的要素だけを追求する集団にパリでは身をおきながらも、そのなかに具体的要素を描き入れたいというほとんど本能的ともいえる欲求から会派を離脱して抽象かつ具象という岡本世界を追求していくことになる。もともと岡本が子供の頃に描いた絵がまさしくそういうもので、海外で出版された岡本画集の冒頭にそれが掲載されたこともあったという。
岡本のパリ時代の話は当然面白い。カンディンスキーといっ大御所も属するグループに最年少の身で所属する栄誉を得て、彼らと日常的に付き合ったという。とても民主的な会だった一方、いったん利害関係が絡むと日本人には想像できなくなるくらい冷酷になる彼らのやり方などを赤裸々に紹介している。単に外国芸術家に憧れる日本人という立場でなく、冷静に観察して書いている。
また、岡本はパリでは絵画だけでなく、社会学を学ぶために大学に通ったそうである。それをきっかけとしてバタイユと知り合い、個人的に付き合い深く共感しあうとこけろがあったという。簡単に言うけど凄いことだ。
しかし、何といっても岡本流の人を食ったエピソードが面白い。エジプトのツタンカーメンの墓を見てその「いやったらしさ」(岡本流の賛辞表現)に感動して、当地のマスコミに「エジプト芸術はそのいやったらしさが素晴らしい」とか一席ぶったそうである。記者も驚いただろうが、話をよく聴いた末に納得して帰ったそうである。そして翌朝の新聞に「日本のアヴァンギャルド画家、オカモト、エジプト芸術にたいし新説をはく」とのったそうな。
母岡本かの子の想い出も面白い。一般のゆったりとした叡智に満ちた大母性のイメージとは異なり、実際は余りにも傷つきやすいもろいむきだしの童女のような存在だったそうである。
とにかく岡本太郎というと、かつてタモリの「今夜は最高」などにも登場して奇矯な芸術オヤジのイメージが世間的に振りまかれたし、こうして本に書かれていることも相当変わっていて面白すぎるわけだが、根底のところではごくごくまっとうでまっすぐな人間という印象が読んでいてどんどん強まった。
なんとなく急に岡本太郎を集中的に読みたくなったのだが、今こそ日本人に読まれるべき人という気がする。
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