2009年02月14日

「チャンス」 ピーター・セラーズ、ハル・アシュビー監督

(思い切りネタバレで書いています。)



ベッドである男が目覚める。いかにも上品で知性的な初老の紳士である。男は、おもむろにテレビをつける。シューベルトの未完成が流れる。男はチャンネルを変える。子供向きのアニメが映る。男は無表情ながらテレビを見つめ続ける。何か変だ・・。
男は実は知的障害を持っており、屋敷に庭師として住み続けていたが、主人が死んで屋敷から追い出される。男は生まれてはじめて屋敷の外にでる。
庭師チャンスは、「空っぽ」の人間である。それが、勘違いに勘違いを重ねられて、財界の大物のキングメーカーに気に入られ、大統領とも会い、その演説でも紹介され、テレビにも出演し、最後は大統領候補に担ぎ出されそうになる・・。
セラーズは、この映画の原作を読み、どうしても主役として映画を撮りたがり、その念願がかなった作品である。空っぽの器には何でも満たすことが可能だ。俗な人間のエゴなど一切存在しない。チャンスは静謐で気品にあふれる人物に「見える」。それが誤解の誤解を重ねて持ち上げられていく。そもそもセラーズ自身がそのような人物であった。固定的な自分の自己を持たない、フィルムの中の架空の息柄を生きることだけが本当に生きるという種類の人間だった。全くといって自己を持たない男が、フィルムの上で自己を持たない男を完璧に演じきる。いや、演じるのではなく、そのまま生きる。セラーズの遺言フィルム。

誰もがチャンスを非凡な人物と思い込む中で、重病のキングメーカーのランドの家に住みこむ医師のアレンビーだけが、チャンスの正体に気付く。リチャード・ダイサートが演じているが良い役者だ。フリッツ・ラングの「飾り窓の女」のエドワード・G・ロビンソンとちょっと雰囲気が似ている。ランドか死んだ時に、アレンビーはチャンスに尋ねる。――キミは、本当にただの庭師なのだね。と。チャンスは素直に肯定する。アレンビーはつぶやく。
―I understand.
しかし、もう一度、自分に問うように再びつぶやく。
―I understand?
ランドは、チャンスが屋敷に来てから一時的に元気を取り戻していた。チャンスは確かに静謐で暖かい人柄で、周りにいるあらゆる人間の心を穏やかにする。ランドは、チャンスと会ってから死ぬことがこわくなくなったという。そして、チャンスに見守られて心穏やかに静かに息を引き取る。
アレンビー医師は、一人だけ現実を見詰めている重要な役どころなのだが、その現実主義者の彼が疑問形で「私は本当に理解したのだろうか?」と自分に問う。この映画のテーマである。

チャンスはテレビを見ることだけが楽しみである。Watch TV.
ランド婦人のエヴァ(シャーリー・マクレーン)に言い寄られても、チャンスはテレビを見ることを優先する。エヴァは、チャンスの意志の強さと勘違いして、ますます尊敬するようになる。
映画では、アメリカの多種多彩なテレビ場面が効果的に使われている。画面上に何が起ころうと、静かに画面を見続け、全てを受け入れるチャンス。テレビだけではない、生の現実に対してもチャンスはただwatchし続ける。どんな騒ぎにも巻き込まれずに、静かに見つめ続けて受け入れる。
そうした姿勢が周囲のとんでもない誤解の過大評価を呼び、大統領候補にまでなるのだが、チャンスはそんなにことにはおかまいなしである。
仮にその勘違いに気付いたとしても、ドクター・アレンビーに習って、誰もが自分にこう問わざるを得ない。
―I understand?
実際誤解ではなかった。ラストシーンで、突然チャンスが、イエス・キリストのように水の上を歩く。そのシーンに合わせて、大統領が演説の声がかぶせられる。
――Life is a state of mind.
よくこんな映画をつくったものだ。

共演のシャーリー・マクレーンが著書「アウト・オン・ア・リム」の中でピーター・セラーズについて書いている。彼女が自身の神秘体験について率直に書いた本で、アメリカでは300万部のベストセラーになった。
セラーズは心臓に持病を抱えていて、この映画の撮影当時もペースメーカーをつけていた。セラーズはマクリーンに対して、自らの臨死体験を告白したという。
心臓の発作で病院に担ぎ込まれたとき、そういう自分自身を上方から見つめていた。医師が心臓に手荒なマッサージなどして蘇生させようとする様子を逐一見つめていたのだという。セラーズは、そのとき真上に信じられないくらい明るく美しい白い光を見る。一本の腕が光から出てきてセラーズはすがりつこうとしたら、その瞬間に心臓が蘇生した。上からの手が「時はまだ至っていない。戻って生を全うせよ。」と言ったそうである。
そして、セラーズはこの世に戻ってきた。
私には、マクレーンのような神秘主義の考えはないし、このセラーズの臨死体験が「本当」かどうかも知らないが。とにかく、そう本人が言ったということである。
さらにマクレーンの本から引用して終わりにする。これも、本当かどうかはともかくとして、セラーズがなぜあのように全ての役柄に成りきれたのかの一つの「説明」にはなると思う。
ピーターは演技のことや、役柄について話をし続け、自分が今までにやった役柄を、自分は前から知っているように感じていたということを話した。自分がその人物そのものであったという彼の気持ちは、非常に具体的で明確なものであるらしかった。
最初、私は、それが何のことだかわからなかったが、話を聞いているうちに、自分が演じた人物はいつか前世で自分がその者だったという話をしているのだということがわかった。
「まあ、あなたは前世を憶えていて、その時の経験や、感情を思い出しているということなの?」
と私は当然のことのように、話の調子を合わせた。
「だから、演技がお上手なのね。きつと、あなたの前世の記憶は普通の役者よりずっといいのよ。」
彼の目は、やっと誰か話のわかってもらえる人に会ったという喜びに輝いた。
「こんなこと、他の人にはなかなかわかってもらえないのですよ。人にこんな話をしたら、私が気違いだと思われるでしょう。」
「わかるわ。私もそのようなことは誰にも話しませんもの。でも、おそらくこういうことを信じている人はたくさんいるのではないかしら。」
彼は少しホッとしたようだった。



posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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