2008年09月25日

(メモ)小林秀雄「現代文学の不安」

現在と違って、当時は文学の社会的意味が真剣に論じられていたわけだが、小林の言うことはごくごく「常識的」である。この発言も、当時の状況を踏まえて読む必要があるわけだが、そのまま独立して読んでも現在でも変わらない真実だろう。あまりに常識的で正しすぎる発言は、一種通俗的に響くだけである。
私は近頃になってやっと、次のことがおぼろげながら腹に這入った様に思ふ。それは青年にとってはあらゆる思想が、単に己の行動の口実に過ぎず、思想というものは、いかに青年にとっては、真に人間的な形態をとり難いものであるか、という事だ。成る程言葉は簡単だが、事態は非常に複雑である。この欺瞞は、情熱の世界にも感情の隅々にも、愛情にも憎悪にも、さては感受性の端くれにまで、その網の目を張っている。いくら社会を眺めても、本を読んでも、政治行動の真似事をしても、自分の身を省みなければ、この謎はとけぬ。
嘉村磯多を小林は誉めたのだが、当時の風潮からすれば、いかにも天邪鬼であるように受け取られたことだろう。というか、私自身も、小林がほめていたので興味をもって読んでみたことがあるのだが、本当に私小説の極北で、社会性とか一切関知せずという作家なのだ。そういう作品に価値を認める小林の批評眼が面白いと思う。
あと、小林は芥川に対す評価がものすごく低い。小林が言っていることで、私が納得できない点の一つだ。ここでも「人間が描けてない」とか言っているのだが、別に小説で人間なんか描けていなくたって全然構わないじゃないかと思う。要するに、芥川の作品が神経だけで出来ている仮構物だといいたいようなのだが、私には十分その仮構性の完成度が高くて満足なのだが。それどころか、(「明暗」を除く)後期漱石のようなもったいぶったに作品群のほうが、余程「人間が描けてない」のではないだろうか。
posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(1) | 小林秀雄
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