2011年11月14日

ブロムシュテットのこと

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去年のN響アワーだったか、ブロムシュテットのシューベルト「グレート」をたまたま観たのだけれど、これがとんでもなく素晴らしかった。録画もしなかったし一度聴いたきりなのだけれども、早めのテンポで疾走するグレートで、この曲独特の躍動感と愉悦を存分に表現していた。N響もノリノリの名演。 at 11/14 03:19
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楽章の合間にブロムシュテットのインタビューが流れたのだけれども、テーマを口ずさみながら楽しそうにグレートの魅力を語っていた。ブロムシュテットは昔からよくN響に来ていて細かい折り目正しい繊細な音楽をやっていた記憶はあるが、個人的には音楽全体のスケールに物足りなさを感じたりしていた。 at 11/14 03:22
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単に私に聴く耳がなかったのだろう。ところが、そのグレートは軽快ながらも実に堂々とした深い音楽になっていて驚いたのである。ブロムシュテットは現在84歳だそうである。かつての細かさがむしろ音楽にメリハリを持たせて堂々たる巨匠の音楽になっている。 at 11/14 03:26
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ギュンター・ヴァントが若い日は細部に行き届いてはいるがスケールに欠ける演奏をしていたのが、晩年大化けしたのと似ているのかもしれない。生真面目な音楽から何かが溶け出して滔々とした深い響きを生む。しかしそれが老年特有の重さにならずに、むしろ若々しく少年に戻った溌剌さなのだ。 at 11/14 03:28
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それでいて、もともとの音楽のつくりの繊細さが最大限にブラスに働いて実に豊かな美しい響きをオケから引き出すことに成功している。最近見た、ラフマニノフピアノ協奏曲三番とチャイコ5番の「名曲」コンサートでも涎のたれそうな瑞々しくて美しい音を通俗名曲から見つけ出していた。 at 11/14 03:32
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チャイコ5番の2楽章も実に美しかったのだが、会心の出来だったのか楽章が終わると、聴衆に見えないようにコッソリ左手でガッツポーズをしていた。なんとも可愛らしくて憎めないお爺ちゃんぶりである。 at 11/14 03:36
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もともと持っていた無邪気な純真が歳をとってそのまま表面に噴出してきたかのような素敵な歳の取り方だ。動画で最近N響と共演した、ベートーヴェン英雄、皇帝、マーラー第九など聴いてみたが基本的にどれも同じことが言える。不感症の美女のようなところもあるN響も、精一杯の熱演でこたえているのだ at 11/14 03:38
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2011-11-14-2

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311以来ブログを更新する気力を失って現在に至る。現実を語るには重すぎて、私が普段書いているような趣味の話は軽すぎる。時間の経過に解決を期待したが現在もある種の宙吊り状態が続いている。いや日本だけではなく世界全体がなにやらザワザワしている。 at 11/13 22:24
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そのような時代状況下で個人としてどう生きるべきか。とても簡単に答えが出てきそうにないが、とりあえず普通にオロオロしながら、しかし不必要に悲観もしすぎずに「人間」として暮らしていくしかないように思う。 at 11/13 22:28
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例えば、政治的な大改革による変化や「宗教」による救いを求めたくなる状況だけれども、それはある種の罠のような気がする。こういう救いのない状況で、そのまま救いのないまま受け入れるのが唯一の救いのような気がする。 at 11/13 22:31
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勿論、現実をそのまま受容したり無思考に陥るということではなく、ありのまま人間存在を受け入れるチャンス。この期間色々な本を読んだが、吉本隆明の「決定版親鸞(最後の親鸞等を含む)が面白かった。 at 11/13 22:34
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私は吉本さんを理解しているとはとても言えないし、また違和感を感じる点も多いし、例えば昔読んだ時に親鸞が究極的には宗教を解体するのではないかという現代的論点についていけなかった。しかし、こういうギリギリの状況下で読むと「宗教」の限界的意味について考えざるをえない。 at 11/13 22:36
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私は個人的には「宗教」の周りをウロウロしながら、「宗教」と縁のない人間だった、ずっと。。 at 11/13 22:40
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しかし、最近狭義の「宗教」への未練がサッパリ切れて、人間は人間であるまま既に救われている、「宗教」によって救われるのではなく、人間のままであるのが救いで、もし本当の「宗教」があるとしたらそれが唯一の役割ではないかとなどとボンヤリ考えている at 11/13 22:40
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一方、現在の日本の状況を観ていると、いわゆる「知識人」「インテリ」(と自分が思い込んでいる)人間ほど、率直にありのままに事実を見ることが出来ていないような気がする。頭も悪くなさそうだし知識も有り余るほど持っていそうなのに、どうしてそういうことになるのか不思議で仕方なかった。 at 11/13 22:43
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それは、多分こういうことなのだろう。何者かに「洗脳」されているのではなく、既存の秩序にそういう人間ほど無意識で深く執着しているために、「理性的」な根拠付け正当化を行って偽りの制度にしがみついている。だからその言説が一見論理的合理的に見えてもその底には実に原始的な恐怖や信仰がある。 at 11/13 22:47
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だから、彼らを「理性的」に説得しようとしても不可能である。何者かに「洗脳」されているのではなくて自分から進んで「自己洗脳」にかかっているからである。そのことで、かろうじてチッポケな偽りの自己にしがみついている。 at 11/13 22:50
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しかし、そうした傾向も今まで隠蔽され続けてきた真実が急激に露呈してきている証拠とも解釈出来る。 at 11/13 22:50
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2011-11-14

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横尾忠則がツイッターはある種の禅だと言った。禅としてのつぶやき、聴かれることを前提としながらも他者を気にしないつぶやき。そんな感じでやってみよう。 at 11/13 20:45
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2011年03月10日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎春の夢」第24作メモ



マドンナは一応香川京子だけれども、ハーブ・エデルマンがアメリカ版寅という設定でマドンナ以上の主役である。ただ、この役者さんが、ちょっとイマイチだ。渥美清と比べてしまったら気の毒だけれども。

「寅の夢」はチャイナタウン篇。これにも外人さんが出ていて、吉田義夫はお休み。

「江戸川オープニングサイレントコメディ」は、寅が女性たちがテニスをしているのをみていて女に何か言われ、今度は陸上を見ていたら女たちがジャージを脱いで短パンになるのを見て寅が何か言う。「男はつらいよ」の繰り返しパターンからすると、「やらしい」といわれたのを寅が言い返すというパターンか。

旅先で、寺の前に座り込んでみかんか何かを食べる寅のシーン。相変らず寅のあの格好が自然に似合っている。

ポンシュウといった寅の商売仲間がこのあたりからよく出で来る。登はいつの間にか消えたが。

おばちゃんが゛とらちゃん、シット・ダウン」という、おばちゃんは時々意表をつくポテンヒットを飛ばす。

マドンナに甘えて「どういたまして」と呂律が回らない寅。おかしい。こういうのを見たくて見続けているようなものである。

香川京子に「ご主人によろしく」と探りを入れる寅がやらしい。

マイケルが外人の若い女に「ちょっとたりない」といわれて、源ちゃんに同じことをいう御馴染みの繰り返しパターン。

博が寝っころがってアクビをしながら、「どうせ振られるに決まっているんだけどさ。」ととうのは寅の失恋に慣れ過ぎ。よく見るとさくらさんまであくびしているし。

旅一座が登場して岡本茉利がマダム・バタフライをやる。この旅一座のわびしい田舎芝居の雰囲気というのは本当にいい。

そしてさくらがマイケルの妄想でマダム・バタフライを歌うのだけれども、あれは倍賞千恵子が歌っているのだろうか。

殿山泰司は本当にいい味出している。後姿のハゲが並んで。

寅似「さくらを愛してないんだろ」といわれて博が真面目に「そんなことありませんよ」というあのニュアンスのおかしさは前田吟にしか出せません。

「寅のアリア」は、なんとなくリリーとの関係を思い浮かべてしまう。

マイケルに「アイ・ラブ・ユー」といわれて、さくらが「インポッシブル」と答えるシーン。これを撮りたかったがための作品のようなものである。

寅がさくらにマイケルの求愛のことを話されて、マイケルに思いやりを見せたり、ひろしには言うなとアドバイスしたり、本当に細やかな神経が行き届いている。自分の恋愛以外のことになると(笑)。

マイケルの乗る飛行機から、珍しい江戸川の俯瞰のシーンがある。

柴又は雪の正月。二回目。
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2011年03月09日

山田洋次監督「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」第23作メモ



桃井かおりがマドンナ。私は桃井かおりが嫌いじゃないし、NHKの「男たちの旅路」での鶴田浩二とのからみなど、とってもよかった。しかし、なんとなく「男はつらいよ」だと違和感のようなものを抱いてしまう。あの独特の桃井かおり的な喋り方・雰囲気が、初期の頃の古きよき時代の「男はつらいよ」ワールドと微妙な齟齬がある。少なくとも個人的にはそう感じる。
私が全作見たのは、渥美清が亡くなってから、テレビで色々放映されたのを見てすっかりはまったのがキッカケだった。その時も順番にみていったのだが、初期から中期のコメディ色の強い作品が気に入って、後期作品群には、ちょっとついていけないものがあった。但し、NHKのBSで全作放映された際にもう一度全部見たときには、後期のものもなかなか楽しめたのである。今回、ついに三度目なのだけれど、どう感じるかは分からない。
そもそも、寅という存在が、初期の時代には違和感なくとけこむ存在だったが、この辺りになるとむしろ寅が時代に取り残されかかってくる。というわけで、初期の寅を愛してやまない私などは、この辺りからは色々複雑な思いをしてみることになってしまうのだ。
マドンナとの関係でも、若いマドンナの際は、さすがに寅がストレートに恋の相手になる設定は無理なので、若いカップルの恋の指南役という設定が増えざるをえない。勿論、それもそれなりに楽しいのだけれども、やっぱりそこは「シリーズ的につらいよ」ということなのだ。

「寅の夢」は、マッドサイエンティスト寅篇。夢に出るくらい、ひどい便秘だったのかというオチである。二階が爆発するパターンは中村雅俊でもあった。

起きた病院の看護婦役で、旅一座の大空まゆみの岡本茉莉登場。なんだか、ヒッチコック映画のヒッチコックみたいな登場の仕方である。

「江戸川オープニングサイレントコメディ」は、寅が財布を拾おうとするが子どものいたずらで、子どもを追いかける途中にカップルに蹴躓いて、カップルの男同士が大ケンカになるというパターン。最後は、女が男より強いというオチで、冒頭の結婚式で女の方が落ち着いているという話とつながる。ウーマンリブ(死語)の時代ですか。

寅が満男に「英語を勉強しないとオレみたいになるぞ。」というのに、おいちゃんが真面目に「寅でなきゃ言えねぇセリフだ」というのがおかしい。

満男の作文は、寅に読ます前に、博もさくらもちゃんと読んどけよっていう話です(笑)。


寅がたたき売りする、密輸ものだというイタリアもののネクタイ。絶対にそうじゃないというのが吊るされているし。

桃井かおりの前でやる「寅のアリア」。いい話なんだけど、寅がやるとなんとなく妄想的でおかしい。考えてみると「寅の夢」のようなものだ。

松村達雄、桜井センリ、犬塚弘といった準レギュラーがちょい役で顔見せする。

御前様が、源ちゃんを鐘の中に入れて鐘を叩くのは完全に虐待だ(笑)。絶対に良い子はマネしてはいけません。

木暮実千代登場。気品があるけれど、溝口、成瀬、小津といった巨匠の映画に出演した全盛時代を見た身としては複雑である。

小暮の敬語についず、珍妙な敬語を披露するおばちゃん。日本語の敬語は難しいです。

寅が「お盆がひっくりかえっちゃってさ、中の水がかえってこないんだろ」に、真顔で絶妙の間で「覆水盆に帰らずですね」と返す博。「縁は異なもの味なもの」でも、このパターンがあった。

布施明が桃井かおりに「元気?」と問いかけたのに、「はい」と答える寅。要するに寅が一番おかしいのは、こういうところだ。作品が変質していっても、こういうのがあるから見てしまうのだ。

布施明に寅が「失恋については、オレはだれよりもくわしいからよー。」と自分をしっかりみつめた発言をする。

布施明がとらやに入りにくくて、「ここが、とらやでしたか」というのは、寅のパクリである。

結婚式のシーンでは、笠智衆が歌を披露する。考えて観ると豪華だ。小津の「彼岸花」を思い出してしまった。

寅が羽織袴で、うんこをする仕方をする話。面白いけれど、初期の作品なら。もっと全然違和感がなかっただろうなと思う。本当に長い時代にわたっているから48作続けるのは大変だし、よく続いたものである。


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2011年03月08日

山田洋次監督「男はつらいよ 噂の寅次郎」第22作メモ



大原麗子登場。やはり、名マドンナの一人である。

「寅の夢」は寅観音地蔵菩薩の巻。お地蔵様の顔も、ちゃんと四角い。吉田義夫は善人役だが、やっぱり強烈な存在感。寅が最後にいらずらっぽく笑うのがいい。

「江戸川オープニングサイレントコメディ」は、画家の津嘉山正種を寅が邪魔してやはり大騒動になって、寅が逃げさるパターン。津嘉山正種も本編に出るまで随分下積みを重ねた(笑)。でも、おいしい役だけど。

墓を間違えても、御前様が平気で大真面目でやりなおすのがおかしい。

旅の雲水の大滝秀治が寅に「女難の相がある。」というのに対する答がいい。「分かっております。物心ついた頃から、そのことで苦しみぬいております。」。なんという的確な自己認識。

大滝秀治は最後にもチラッと再登場する。「女難」が避けられなかった後で(笑)。

志村喬が三回目の登場。今回は最初からニコニコして登場。相変らずとぼけたいい味を出している。寅と芸者遊びをして「まいったな。」「大人物は反省して去ったか。」あの言い方。

寅が芸者に、面白い場所があるといわれて。嬉しそうに「どこどこどこ」。子供か。

大原麗子は本当に独特の良さですね。あの声、喋り方。美しくてかわいくて色っぽいのを全部両立している珍しいタイプ。

博が「たまには兄さんのお株を奪って恋でもしますか、ワッハッハ」が笑える。

寅が社長に対して「この手の人物とは、つきあわない方がいいんじゃないか。人間が堕落する」という顔と言い方のおかしさ。

「寅のアリア」で志村喬から聞いた今昔物語の話を再現するのだが、細かいところを脚色していてじつにうまい。いい出来のアリア。

おばちゃんにおいちゃんが吹っ飛ばされる。確かにすごい体格差だ。


大原麗子に寅が出会った際の凝固っぷり、照れの表情ががすごい。この辺まで来ると、完全に古典的形式感が出てくる。


寅が大原麗子が救急車を呼んだといわれた際の変貌っぷり芸。「いたんですか」といって、一応は体裁をつくろうために無理に怒り顔をするのが異常におかしい顔芸。
そして、「よく気がついてくれましたね。オレ。前からいっぺん乗りたいと思っていたの。救急車。」よくしゃあしゃあと言います。

というわけで、下宿に帰った大原麗子が、外を通る救急車の音を聞いて笑うのももっともである。かわいい。

寅に弁当をのぞきこまれて「みないでっ」と甘えた感じで言うのは実に大原麗子調。こういうのは彼女にしか出来ない。

大原麗子の夫との別居を聞いた際の、思わず出る嬉しそうな顔の直後に無理しかめつらする顔芸。この回は渥美清の顔芸が冴え渡る。

大原麗子に「今日から姓が変わったの。」といわれて寅が「へーどーして」「そりゃよかったね」というのは、いくらなんでも寅のレベルを低く設定しすぎである(笑)。

そして、大原麗子が「寅さん、わたし泣きそう」というのも、実に大原麗子調である。

大原麗子の「寅さん、もてるのね。」も大原麗子調。何を言っても大原麗子調になってしまう。

以前「電線音頭」が出てきたが、この作品では満男が「みじめ」。小松政夫や伊東四郎を「男はつらいよ」に出せばよかったのに。

寅が「この年になると楽しいことなんて何もないし。」というのは、志村喬のパクリ。お得意のパターン。

大原麗子が「わたし、寅さん好きよ」と言われた渥美清の絶妙な後姿。そして。おぱちゃんが「なんであの人、あんなこといっちゃったんだろう。」さくら「よっぽど嬉しかったのね、今日の食事」というりも、冷静に考えると、かなりひどい。

トランクから下着がこぼれて、大原麗子「寅さん、みちゃいやっ」。大原麗子調もいいところだけど、山田監督も随分大原麗子にこういうのを喜んで?言わせてますね(笑)。

寅のライバルの室田日出男にマドンナが奪われるパターン。なおかつ、寅に室田を追えとマドンナに「早く、いってやんなよ。」と言わす残酷パターン。

大原麗子が、室田をすぐに追わずに、寅のことを気にして「明日の朝、まくたね。」というのがなんとなく女らしくていい。もう来なかったのかもしれないが。随分、大原麗子マドンナはいいイメージで描かれている。

最後にSLが走る。初期によく出てきたけど、まだこの時代にも田舎では走っていたんですね。
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2011年03月07日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」第21作メモ



「寅の夢」は「未知との遭遇」バージョン。最もワルノリした一本である。いきなり寅が宇宙人に。まぁ、ある意味寅は地球人離れした心の美しさですからね。そして、源ちゃんがかぶりものをしないまま猿の惑星だというひどいギャグ。さらには、博と社長の舞台裏ネタまで。UFOの型が寅の帽子。さくらまで「本当に飛んでいけるのかなにぁ」と。心配するの、そこかい。で、起きたらピンクレディのUFOが流れていると。そんな時代なのですね。

「江戸川オープニングサイレントコメディ」は、寅がシャッターを押そうとして人につまずくのをきっかけに大騒動に発展する篇。夢といい、かなりドタバタコメディ色が強い。

何となく気になる、旅一座の大空まゆみ、岡本茉利は武田鉄矢を降る女の役。二人が全く水と油の個性でおかしい。演技が全然噛み合ってないし。

木の実ナナは木の実ナナである。演技するというより、ほぼそのまんま。あのド派手な顔とはちきれるような明るさ。やはり得がたいキャラクターである。踊りを披露するわけだが、さすがにスタイルが抜群ですね。

寅の手紙で「ついしん」を「おいしん」と間違える細かいギャグ。

さくらはまた寅の金の支払いのために旅へ。倍賞千恵子がバスに黙って乗る横顔がいい。私の好きなさくらの旅のシーンである。

パチンコ屋で寅の横に座ってすごい存在感だった杉山とく子が、その演技を認められて?
武田鉄矢の母親役で登場。

寅が改心したという長い長い念入りなフリがあって、
木の実ナナが登場して寅が放心して黙ってついてっぃて一気にダメになる見事な本(笑)。

寅と幼馴染という八千草薫パターンで寅を「おにいちゃん」と呼ぶが、今回は本当に純粋な幼馴染で寅を全く男としては見ていないというパターン。

おいちゃんが社長に「寅はおまえの楽しみのために失恋しているわけじゃねえ」とか大真面目に言うのが妙におかしい。

木の実ナナに結婚話を打ち明けられて、さくらが「やっぱり」というのがおかしい。寅のことを考えてなんとも言えない表情をしてね。

竜雷太わかっ。それにしても木の実ナナは本当に感情が自然に発露する感じでいいですねぇ。

今回の寅は、マドンナと恋人の雨の中のラブシーンを見せ付けられる。結構残酷なパターンだ。

木の実ナナの家に止まらないことだけは博もおいちゃんも全面信頼している。寅の純情がこのあたりから明確になってくる。

寅の「オレだったら踊り子をやめさせるようなことはしねぇ」といいきるのが泣かせますねぇ。

ダンサーが武田鉄矢を振る際に「きれいな思い出にしようね」というのは、岡本茉利と同じセリフ。忘れた頃に。お得意の脚本パターンである。
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2011年03月06日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎頑張れ」第20作メモ



これもとても好きな作品。特に、長崎平戸の部分。

「寅の夢」は、とらやファミリーが成金になる夢。さくらだけは控えめだが、あとは全員堂々たる成金ぶりである。博がぶどうの房をもって現れるが、一体どんな金持ちのイメージなのだろう。そして、食事もミニオケの伴奏つき。「ジークフリート牧歌」ですかと。吉田義夫と岡本茉利の旅一座の父娘も登場して、ラストシーンと形式的につながっている。家族全員が寅を笑って、ある意味、「寅の夢」中でも一番の悪夢かもしれない(笑)。

「江戸川オープニングサイレントコメディ」は、江戸川のほとりでジャム・セッションをしているところに、寅がサックスに柿を放り込んで音が出なくなってしまうパターン。サックスを吹く男の津嘉山正種は、オープニングのレギュラーだ。

もし本当に「押し売りが来た」と通報されて、サイレン鳴らしてとんでくる真面目な警察がいたらイヤだ。

パチンコ屋で寅の隣に座るおばちゃん役の杉山とく子が存在感抜群。寅に「どうだ、ばばぁ」とか言われているし。

満男も結構悪がきになって、源ちゃんに猿回しの猿をさせたりしている。

寅は中村雅俊が大竹しのぶに惚れているのをすぐ察する。そういうところには本当に敏感すぎるくらい敏感だ。

それにしても、当時二十歳の大竹しのぶは本当にうまい。天才である。

個人的には、中村雅俊や大竹しのぶが出ていると同時代を感じる。私は「男はつらいよ」を全部見たのは、渥美清が亡くなってからだった。若い頃はビスコンティに心酔するイヤな映画青年で、「男はつらいよ」なんがバカにしていたのだ。要するに、そういう私の方がバカだったということである。

寅が若い二人の恋愛に興奮しているのを聞いて、博が「そりゃ、まずいな」と真顔で言うのがおかしい。

博が「選手の時はダメでも、コーチになってよくなったということもありますからね。」と言うのがひどすぎる(笑)。

満男と中村雅杜俊が「電線音頭」を歌っている。懐かしい。そういう時代なのね。

「寅のアリア」はデート指南。相変らず笑ってしまうくらい細部まで具体的だ。

あんなに詳しく寅が教えたのに、なんで二人はジャパニーズ・ホラーを見ているんだよ。と。

中村雅俊がガス自殺を図るシーンはヒッチコック映画のようなサスペンス。マッチに火がつかずドキドキして、下の皆に絵が降りてきていつ爆発するかとハラハラする。寅がふうーっと息をぬいたところで爆発する。そのタイミングも精密に計算されている。

御前様が「寅が逃げた」と「猿が逃げた」をかける。寅が「猿が腹をこわしている」と「中村が失恋している」をかけてからかった報いで、こういうところも凝った脚本だ。

寅は、まだマドンナも見ないのに、中村の姉が独り者だと聞いてだけでソワソワしだす。もう見境なしの惚れっぽさじゃないですか。

神父役の桜井センリが素晴らしい。船長に寅が藤村志保に惚れているというのを勘違いして自分が言われていると思って勝手に告白するおかしさ。その妙にオカマっぽい動き。道路を横断する際に、神父と船長が同時に左右を確認する動き。動きだけで笑わせてくれる。

おいちゃんが、寅がマドンナに惚れた状況を冷静に推測するところが妙におかしい。

寅が藤村志保と二人きりのところを妄想する「寅のアリア」は、本当に一人でやっていて、最早ほんまもんの妄想である。

中村が「ほれとるばい」といって、さらに桜井センリが「ほれとるばい」を重ねるお得意の脚本パターン。

さらに、満男が伊勢海老をザリガニだというのはまだしも、博までザリガニだと重ねる同じパターン。博まで、と意表をつく。

平戸の夕焼けが美しい。「男はつらいよ」は夕焼け映画なのだ。

シューベルトの菩提樹を歌う大竹しのぶのおじさんはいい声していますね。なんという役者なのか確認できず。

マドンナが寅の気持に無頓着で気づかないパターンは多いが、それを弟の中村が教えて姉を諌めるという初めてのパターン。普通に考えると気がつかないのが不自然だけど、映画の設定上仕方ないのか。

藤村志保が「寅さんはね、あんたの考えちょるより、もっともっと心のきれいか人よ」というのは、これまた真実を語っているのだ。そして、さくらも「そういう気持を知ったら満足するはずよ。兄ってそういう人間なのよ」というのも、また真実。本当に寅というのは本当に得がたい素晴らしいキャラクターだ。と素直に思う。

桜井センリが中村の恋人が来ると聞いて、子どもたちに丁寧に挨拶しながら、いてもたってもいられなくなって、最後は猛然とダッシュする動きのおかしさ。本当に素晴らしい役者だ。

柴又は珍しく雪の正月だ。

ラストで寅が坂道を降りてきて、お地蔵様にみかんをのせるあたりの絵の構図が、なんとも印象的である。そして、旅一座との再会はラストとしては一番安心感がある。寅の生き方の仲間、同類だから。












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2011年03月05日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎と殿様」第十九作メモ



「寅の夢」は、嵐寛寿郎にちなんで「鞍馬天狗」篇。敵が次々に自滅していくギャグ。戦いの最中にさくらが「どうしたの、おにいちゃん、ももひきなんてはいて」ととぼけて言うギャグつき。ついに夢の中にまでギャグだらけである。

「江戸川オープニングサイレントコメディ」は、グラビア撮影のフィルムを白日の下ひっぱりだして大騒動になる篇。それをよそに寅が逃げ去るというパターンが増えてくる。

キャスト字幕は、嵐寛寿郎を差し置いて三木のり平がトリ。そういう位置づけなのか。

冒頭の犬に「寅」とつける脚本が実によく出来ていて笑う。特におばちゃんがポイントの面白セリフを連発。@おいちゃん「そろそろ帰って来るかな。」おばちゃん「ポチかい。いや違った、寅さんかい。」Aおばちゃん「寅、ごはんだよ、寅っ」寅「犬みたいに呼ぶなよ。」そして博の「寅、なんだこんなところにクソして」。と寅の反応といったら。Bおばちゃん「あらっ、おんなじ名前だねぇ、あたし、ちっとも気がつかなかったよ。」そんなわけないと。「寅ちゃん漢字だしねぇ。」フォローになってないし。Cおばちゃん「そんな犬かわいがらなくたって、うちには立派な寅ちゃんという犬が、いや人間がいるんだからねぇ。」そして寅の反応(笑)。そして何とかおさまったところにKY社長が「とら、とらとら」とやってくる御馴染みのパターン。Dおばちゃん「だからポチに変えたほうがいいっていったんじゃないか。」今更そんなこと言ってもというオチ。

寅も、鯉幟騒動で一度は怒るが、若い時ならすぐ飛び出していたところを、一度はこらえて二階へ。少しは成長したか。でも、犬の寅騒動では我慢できなくなるのだ。

寅の正式な「それをいっちゃあおしまいよ」は初めてか。今までは「おしまいだよ」とか微妙に違っていた。でも、今回はおいちゃんのセリフが「出てゆけ」ではないので、実はパターン確立まで結構月日を必要としているのだ(笑)。

真野響子は、そのまま現在でも通用するタイプの美人で色っぽくていいですね。

寅がかっこよく真野響子に鮎をプレゼントするが、寅が隣の部屋で反応をうかがって盗み聞きしているのがいやらしい(笑)。

旅一座の娘役の岡本茉利が配達人役でチラッと出てくる。

三木のり平は、あの強烈な容貌で、ちょっと「男はつらいよ」的でないコメディセンスで毒気を発している感じ。忠臣蔵パロディでも、意外なオチで。なんとなく三木のアドリブっぽい。

そして
、次は水戸黄門のパロディと。

「寅のアリア」は、寅が駆け落ちして旅先で病死するパターン。おばちゃんが真面目に同情するのが笑える。おばちゃん大活躍。おいちゃんが変わってからコメディ担当の負荷が増えた感じ(笑)。


嵐寛寿郎と真野響子が夕暮れの江戸川のほとりの道を二人で歩いてゆく後姿はワイエスの絵のようだ。

寅が真野響子と結婚した妄想したミニアリアをした後に博が冷静そのものに「自分のことを言っているんですね。」というのが妙におかしい。

殿様の手紙に「即ち私の友人にして最も人格高潔清廉潔白なる人物、車寅次郎くん」というのは、まさしく本当のことを言っているのだ。そして、博が「あれっ、へんだな」と真顔で言うのに腹を抱える。

実は寅がはっきり振られる回は意外に少ないのだが、今回は久々に分かりやすく振られる。長山藍子マドンナの回とパターンが似ている。マドンナが寅の気持に気づいていないで残酷なことをぃってしまうところも同じだ。そして寅が珍しく結婚する気になったところも。
寅の失恋パターンも分類できそうである。リリーや八千草薫のように逆プロポーズされて動揺して絶好球を見送ってしまうパターンなど。




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2011年03月04日

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」第十八作メモ



京マチ子登場。「男はつらいよ」のマドンナの場合、どちらかというと寅が愛でる美しい花といつた意味合いも強くて、マドンナに表現者としての「女優」が求められるといわけではない。勿論、リリーのような魅力的な存在感を発揮する場合もあるけれども、マドンナが本当に深刻な人間的な問題に直面するわけではなく、美しい花のイメージにとどまる。また、観る側もそういうマドンナに期待して安心して楽しむことが出来る。
しかし、本作の場合はマドンナが病から死に至る稀なケースである。そういう難しい役柄を京マチ子はみごとに演じている。世間ずれしていない心が娘のままのような天真爛漫な年配の女性というのは、本来京マチ子にはあわないところもあるような気もするが、ここでは見事にそういう女性になりきっている。また、「男はつらいよ」という基本的にはコメディで、その劇の笑いの要素を殺すことなく深刻になりすぎずにコミカルに演じながらも、自身の病気や不幸な境遇を感じさせるさりげないが深い表現も行っている。テーマのせいもあるが、マドンナが女優として見事な表現行為をしている作品なのだ。日本映画を代表する女優の京マチ子が出たかいがあったといえそうだ。今回改めて見直してみて、特にそのことを強く感じた。

「寅の夢」はますますエスカレートして「カサブランカ」風で、寅はなんと「アラビアのトランス」である。寅ともさくらがフランス語を話したりする。
吉田義夫も登場して、相変らず見事な大袈裟な「倒れ芸」を披露している。そして、フランス映画風なのとは関係ない「おにいちゃん」
のキメ台詞がシュール。

「オープニング江戸川サイレントコント」(と呼ぶことにした)は、映画中の映画撮影で、寅が移動カメラの先にたってじゃましてぶちこわしにして大騒ぎになるパターン。こちらも、段々凝ってくる。

小学校の女性担任が家庭訪問に来る日に寅が帰って来て、博が「よわったなぁ」という一言がおかしい。そして。寅が散々邪魔した後に博が「いくら兄さんでも今の態度は許せないよ」と怒るのもおかしい。博がまじめに笑えるセリフを言うパターンが増えてくる。そして、寅に婿のくせい生意気言うなといわれのだが、最初のことろは寅をぶんなぐったりしていたんですけどね。

満男も随分大きくなった。そして、あんまり賢くなさそうなのが、親似でなく寅似なのだ(笑)。

長野県の別所温泉付近の「自然の中の寅」が結構長く映る。何度も言うが寅のあの顔とファッションが、妙に自然とマッチするのだ。

旅芸人一座との再会する。岡本茉利がそんなに器量よしというわけではないが、一生懸命な純粋な心の娘役でなんだかすごく印象に残る。そして、吉田義夫がものすごい白塗りで学生の役を、思いきり田舎芝居の大袈裟さで演じきるのだ。岡本茉利が芝居のセリフでいう「人間はどうして死ぬんでしょうね」を、京マチ子が繰り返す。「男はつらいよ」得意のパターンである。

寅は旅芸人一座を接待して無銭飲食して、さくらに迷惑をかけてしまう。寅は現実的にはどうしようもない男だが、寅がわびしい旅一座を楽しませたいという気持はあくまで純粋である。京マチ子への愛も、結局しに直面するマドンナの心にあかりをともすことになる。寅は不良のマザーテレサなのだ。翌朝の、旅一座の別れの挨拶のシーンも含めて、なんともしみじみするよいシーンで゛ある。

倍賞千恵子のさくらが、寅の無銭飲食の支払いをするために旅をする。そして、さくらにも旅がよく似合う。さくらも、結構な回数、寅のおかげで旅している。

寅の「いい雰囲気の警察でしょ」がおっかしい。

寅が檀ふみと再会して「帰ってらちたの」と甘えて赤ちゃん言葉になるのが凄い。京マチ子と初めて会って恥じらいながら「とらじろうです」と蚊のなくような声でいうのも腹をかかえる。寅のマドンナへの表現も過激に進化している。

「寅のアリア」の、柳生家(すごいわかりやすい名前だ)の食事の様子の描写が実に巧み。目に浮かぶようである。

源ちゃんに逃げられた御前様が自分で鐘をつくことがおかし。

浦辺粂子は、成瀬映画に出ようが、男はつらいよに出ようが、手品をしていようが、常に浦辺粂子なのがすごい。そして、寅にお世辞をつかって寅からおこずかいをせしめたりしているのだ。

さくらさんが、檀ふみ先生と結構タメ口て話しているのが、なんか下町らしい。

皆で祈りをしているところに、社長がやってきてお経をとなえて皆が笑い出すところ。あれは本当におかしい。

皆で、京マチ子がどういう仕事が出来るのかを語り合い、彼女が余命いくばくもないことを知っているさくらと檀ふみが悲しそうな表情をするシーンはなんとも言えませんね。

京マチ子はコミカルにやりながら、ちゃんと同時に悲しい女の人生を表現しているのが見事だ。

普段はマドンナと寅の関係を気に病むさくらさんが、もう人目なんか気にせずに寅に京マチ子に会いに行けというところが泣ける。

京マチコと結果的には最後になるシーン。京マチ子が「顔色も悪くないでしょ」といって寅が「それもそうですね」と答えるが、実際はひどい顔色で、浦辺粂子が「庭が枯葉だらけになって」という一言がよくきいている。緻密な脚本である。

この(実質)、寅とマドンナの別れになるシーンは素晴らしい。二人の偉大な役者がやりあっているという感じがする。

京マチコが芋の煮っころがしを食べたいと聞いて、寅が芋を袋こど買ってきて、さくらが泣きなそうになりながらつくるしところは文句なく名シーンだ。

寅とさくらが柴又の駅で、京マチコの花屋の話をするシーンでは泣いちゃうよ。普通にいい話である。そして、二人の駅での別れでも最も悲しいシーンなのに、寅は笑顔で去っていくという演出の素晴らしさ。一方、さくらは泣き顔で悲しそうなのだ。




posted by rukert | Comment(0) | TrackBack(0) | 男はつらいよ

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